玉勝間 / 六の巻 神今食
神今食は、じんこんじきと、字音にのみ唱へ來りて、正しくはいかに唱ふべきにか、昔よりさだも無く、知れる人無し。書紀の私記に、古は神今木と謂しよし見えたるによりて、じんこんけとも唱ふれども、上二字は猶もじこゑなり。これによりてつらつら此名を考ふるに、加牟伊麻氣と唱ふべきなり。そは神は、神嘗祭などの神に同く、今は新の意なり。すべて新に物したるを、今某と云ふこと多し。古、漢ノ國より新に參來つる人どもを、今來の漢人と云て、書紀に新漢と見え、大かたもあらたに參れる人を、今參りと云ふ類なり。さて今食と云ふは、俗言に、稻を粟にてたくはへ置きたるを、新に磨て、米にしたるを、今ずりと云ふ。其意にて、新磨の御食と云ふ事なるべし。古に今毛人と云ふ人ノ名の見えたるも、今食と云ふ事の有りしによれる名なるべし。斯くて此神今食は、年毎の六月と十二月との十一日にて、月次祭の同シ日の夜に行はるる事なり。まづ其の月次祭は、三百四座の神たちに、幣帛を奉り給ふ。
新字:神今食は、じんこんじきと、字音にのみ唱へ来りて、正しくはいかに唱ふべきにか、昔よりさだも無く、知れる人無し。書紀の私記に、古は神今木と謂しよし見えたるによりて、じんこんけとも唱ふれども、上二字は猶もじこゑなり。これによりてつらつら此名を考ふるに、加牟伊麻気と唱ふべきなり。そは神は、神嘗祭などの神に同く、今は新の意なり。すべて新に物したるを、今某と云ふこと多し。古、漢ノ国より新に参来つる人どもを、今来の漢人と云て、書紀に新漢と見え、大かたもあらたに参れる人を、今参りと云ふ類なり。さて今食と云ふは、俗言に、稲を粟にてたくはへ置きたるを、新に磨て、米にしたるを、今ずりと云ふ。其意にて、新磨の御食と云ふ事なるべし。古に今毛人と云ふ人ノ名の見えたるも、今食と云ふ事の有りしによれる名なるべし。斯くて此神今食は、年毎の六月と十二月との十一日にて、月次祭の同シ日の夜に行はるる事なり。まづ其の月次祭は、三百四座の神たちに、幣帛を奉り給ふ。
書き下し
神今食は、じんこんじきと、字音にのみ唱え来たりて、正しくはいかに唱うべきにか、昔よりさだも無く、知れる人無し。書紀の私記に、古は神今木と謂いしよし見えたるによりて、じんこんけとも唱うれども、上二字はなおもじごえなり。これによりてつらつらこの名を考うるに、加牟伊麻気と唱うべきなり。そは神は、神嘗祭などの神に同じく、今は新の意なり。すべて新たに物したるを、今某と云うこと多し。古、漢の国より新たに参来つる人どもを、今来の漢人と云いて、書紀に新漢と見え、大かたもあらたに参れる人を、今参りと云う類なり。さて今食と云うは、俗言に、稲を粟にてたくわえ置きたるを、新たに磨りて、米にしたるを、今ずりと云う。その意にて、新磨の御食と云う事なるべし。古に今毛人と云う人の名の見えたるも、今食と云う事の有りしによれる名なるべし。かくてこの神今食は、年毎の六月と十二月との十一日にて、月次祭の同じ日の夜に行わるる事なり。まずその月次祭は、三百四座の神たちに、幣帛を奉り給う。
現代語訳
神今食は「じんこんじき」と字音でばかり唱えてきて、正しくはどう唱えるべきなのか、昔から論もなく、知っている人もない。日本書紀の私記に、古は「神今木」と言ったと見えることによって「じんこんけ」とも唱えるが、上の二字はやはり字音である。そこでつくづくこの名を考えると、「かむいまけ」と唱えるべきである。それは「神」は神嘗祭などの「神」と同じで、「今」は「新」の意味である。およそ新しく作ったものを「今何々」ということが多い。古に漢の国から新たに渡って来た人々を「今来の漢人」と言って、書紀に「新漢」と見え、おおよそ新たに出仕した人を「今参り」というたぐいである。さて「今食」というのは、俗語で、稲を籾のまま蓄えておいたのを新たに磨って米にしたのを「今ずり」という、その意味で、新しく磨った御食ということであろう。古に「今毛人」という人の名が見えるのも、「今食」ということがあったのによる名であろう。こうしてこの神今食は、毎年六月と十二月の十一日で、月次祭と同じ日の夜に行われることである。まずその月次祭は、三百四座の神々に幣帛を奉られるものである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 神今食そを月次と名づくるよしは、月毎に奉り給うべきを、合わせて二度に奉り給うにて、六月には、その年の七月より、十二月までのを奉り、十二月には、来年の正月より、六月までのを奉り給うなり。かくてその同じ夜に行わるる神今食も、その同じ趣にて、天皇の月毎に新磨の御食を聞こし食すよしにて、その度ごとに行い給うべきを、合わせて二度に行い給うよしにて、そは新穀にはあらざれども、新磨を聞こし食し始むるをさえに、重く厳かに斎い給うにて、まず神に奉り給いて、さて天皇のきこしめす事、もはら新嘗大嘗のこころばえに同じ。さる故にこの祭の儀式は、何事も大かた新嘗大嘗の儀のごとくなるなり。そもそもこの神今食の事、いかなるよしをもて行わるる御わざとも、昔よりそのよしをしるせる事も無く、考えたる人も無きを、おのれもいといぶかしく思いわたりて、年月かにかくに思いめぐらして、近き程かく思い得たるままにしるせるを、なおいかならむ、かしこき物知り人定めてよ。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞その中に、上に引きたる左京二条座二座神は、大社の列にだに入り給わざるに、この祭に預かり給うことは、新嘗に殊なる故ある神なるべし。明良志は、理を延べて良志と云えるにて、阿加理なり。事仁は、下の奉仕と云うへ続く辞なり。食倍はみな多倍と訓むべし、給えと云う事なり。さて聞食倍の下に、弖と云う辞を添えて心得べし。天皇明庭の明の字は、朝の誤りなり。禱乎所聞食止は、一本には称辞竟奉良久止と有り、これも悪しからず。さて天忍雲根神云々の事、伊勢の外宮の書どもに、天村雲命の事として記せり。同じ神にやあらむ。さてこの寿詞を申す事は、辰の日豊楽院に幸し、悠紀の帳に御す、神祇官の中臣、賢木を笏に執りそえて、南門より入る。版位につき跪きて、天つ神の寿詞を奏すと、大嘗祭式に見えたり。わすれたり、大嘗会乃斎場とある会の字は、宮を誤れるなるべし
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞相候は、儀式には相仕、大嘗祭式には共作と有り。これらを合わせて思うに、仕も候も誤りにて、相作なるべし。由志理伊都志理は、由は斎、伊都は厳にて、共に斎い清めたること、志理は、斎まわり清まわりの、まわりの如き、辞と聞こえたり。日時撰撰定、こはいつも定まれる事なるを、かく申すは、上代には、その度々撰びて定めしにや。さてその代の詞のままに、後までも申せるか。赤丹乃穂仁毛の毛の字は、衍なり。後の人、この言の意を知らず、ただ上に二つ仁毛と有るにならいて、みだりにここにも加えたる物なるべし。明御座弖の弖は、かならず止と有るべき所なり。相嘗は、阿比爾閉と唱うべし。爾閉を牟倍と唱うるは、後の世の音便にくづれたる唱えなり。大嘗も、大爾閉なるを、大牟倍と云うと同じ。さてこの相嘗は、天皇と相伴に、新饗し奉る意の名にて、俗に云わゆる相伴の心ばえなり。さる故にこの祭は、必ずしもその神社の尊き卑きにもよらず、必ず預かり給うべく思わるる神にも、預かり給わぬ多し。これ殊に故有りて、預かり給うは預かり給うなるべし。その神七十一座おわしまして、四時祭式に見えたり。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞物部の人等、酒造児・酒波・粉走・灰焼・新採・相候・稲実公等、大嘗会の斎場に持ち斎わり参来て、今年十一月の中の卯の日に、ゆしりいつしり持ち恐み恐み、清まわり仕え奉り、月の内に日時を撰び撰び定めて献る悠紀・主基の黒木・白木の大御酒を、大倭根子天皇が天つ御膳の長御膳の遠御膳と、汁にも実にも赤丹の穂にも聞こしめして、豊の明りに明り御坐して、天つ神の寿詞を称辞定め奉る皇神等も、千秋五百秋の相嘗に相うづのい奉り、堅磐に常磐に斎い奉り、いかし御世に栄えしめ奉り、康治元年より始めて、大地・月・日と共に照らし明らし御坐す事に、本末傾けず茂し槍の中執り持ちて仕え奉る中臣祭主正四位上行神祇大副大中臣朝臣清親、寿詞を称辞定め奉らくと申す。
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『玉勝間』十二の巻 大嘗会の斎場この書の初若菜の巻のはじめに出だせる、中臣の寿詞の中に、大嘗会の斎場とある、会の字は、宮の誤りなるべしと云いて、みやと訓めるはおのれふと心得たがえたるにて、なかなかに誤りなりき。本のままにてよろし。大嘗会の三字を、おおにえと訓むべし。斎場は、別に北野に於て、その地をト定めて、構え造らるる事にて、大嘗宮とは別なり。九月下旬、悠紀・主基二国より齎し参れる、諸の物も人も、まず斎場に詣でて、そこにてくさぐさの事有りて、十一月祭の当日に至りて、斎場より大嘗宮に運び奉る。その行列など、儀式に委しく見えたり。またはじめ二国の斎郡にも、斎場を構えて、物することなれば、ここはその国の斎場を云えるか、はた京の斎場か、いずれにても有るべし。
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『玉勝間』十四の巻 米粒を仏法ほさつなど云ひならへる事穀物をおろそかにすまじきよしを云う時に、米粒などを、仏法と云い、東国にては、菩薩と云う。これ大切にして、おろそかにすまじきよしなれば、然云う心はいと有りがたけれども、仏菩薩より尊き物は無しと心得たる心より然云うなれば、言はいとひがことなり。神とこそ云うべけれ。まことに穀はうえも無き尊き物なれば、神とも神と申すべき物なり。
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