玉勝間 / 六の巻 万葉集にてしと云ふ辞に義之また大王と書る事
萬葉三の卷に、我定義之、四の卷に、言義之鬼尾、七の卷又十二の卷に、結義之、十の卷に、織義之、また逢義之、十一の卷に、觸義之鬼尾、これらの義之、みな同じ辭にて、テシと訓ムべき事論無し。さて其れは、義ノ字を、テの假字に用ひたるには有らず。さる故に、義之とつづけるのみにて、義とのみ云へるは、一つも、無し。義ノ字は、みな羲を誤れるにて、もろこしの王義之と云ひし人の名なり。此人、書に名高きこと、古、よりならび無くして、皇國にても、古、より是れが手跡をば、殊にめで尊みける故に、手師の意にて書るなり。書のことを手と云ふは、古き事にて、日本紀にも、書博士を、てのはかせとも、てかきとも訓たり。又同じ萬葉の中に、テシと云ふ辭を、即ち手師とも書るにて知べし。さて又七の卷十一の卷に、結大王、十の卷に、定大王、十一の卷に、言大王物乎とある、これらの大王も、テシと訓てことわり明らかなるを、古くは、斯く訓べき事を知らずして、いたく訓み誤りたり。これもかの王義之にて、同じく手師の意なり。そは義之が子の王獻之と云へるも、手かきにて有しかば、父子を大王、小王と云ひて、大王は義之が事なればなり。
新字:万葉三の巻に、我定義之、四の巻に、言義之鬼尾、七の巻又十二の巻に、結義之、十の巻に、織義之、また逢義之、十一の巻に、触義之鬼尾、これらの義之、みな同じ辞にて、テシと訓ムべき事論無し。さて其れは、義ノ字を、テの仮字に用ひたるには有らず。さる故に、義之とつづけるのみにて、義とのみ云へるは、一つも、無し。義ノ字は、みな羲を誤れるにて、もろこしの王義之と云ひし人の名なり。此人、書に名高きこと、古、よりならび無くして、皇国にても、古、より是れが手跡をば、殊にめで尊みける故に、手師の意にて書るなり。書のことを手と云ふは、古き事にて、日本紀にも、書博士を、てのはかせとも、てかきとも訓たり。又同じ万葉の中に、テシと云ふ辞を、即ち手師とも書るにて知べし。さて又七の巻十一の巻に、結大王、十の巻に、定大王、十一の巻に、言大王物乎とある、これらの大王も、テシと訓てことわり明らかなるを、古くは、斯く訓べき事を知らずして、いたく訓み誤りたり。これもかの王義之にて、同じく手師の意なり。そは義之が子の王献之と云へるも、手かきにて有しかば、父子を大王、小王と云ひて、大王は義之が事なればなり。
書き下し
万葉三の巻に、我定義之、四の巻に、言義之鬼尾、七の巻また十二の巻に、結義之、十の巻に、織義之、また逢義之、十一の巻に、触義之鬼尾、これらの義之、みな同じ辞にて、てしと訓むべき事論無し。さてそれは、義の字を、ての仮字に用いたるには有らず。さる故に、義之とつづけるのみにて、義とのみ云えるは、一つも無し。義の字は、みな羲を誤れるにて、もろこしの王義之と云いし人の名なり。この人、書に名高きこと、古よりならび無くして、皇国にても、古よりこれが手跡をば、殊にめで尊みける故に、手師の意にて書けるなり。書のことを手と云うは、古き事にて、日本紀にも、書博士を、てのはかせとも、てかきとも訓みたり。また同じ万葉の中に、てしと云う辞を、即ち手師とも書けるにて知るべし。さてまた七の巻十一の巻に、結大王、十の巻に、定大王、十一の巻に、言大王物乎とある、これらの大王も、てしと訓みてことわり明らかなるを、古くは、かく訓むべき事を知らずして、いたく訓み誤りたり。これもかの王義之にて、同じく手師の意なり。そは義之が子の王献之と云えるも、手かきにて有りしかば、父子を大王、小王と云いて、大王は義之が事なればなり。
現代語訳
万葉集巻三に「我定義之」、巻四に「言義之鬼尾」、巻七と巻十二に「結義之」、巻十に「織義之」「逢義之」、巻十一に「触義之鬼尾」とある、これらの「義之」はみな同じ辞で、「てし」と訓むべきことは論ずるまでもない。さてそれは、「義」の字を「て」の仮名に用いたのではない。それゆえ「義之」と続けたものばかりで、「義」とだけ書いたものは一つもない。「義」の字はみな「羲」を誤ったもので、唐土の王羲之という人の名である。この人は書に名高いこと古来並ぶ者がなく、皇国でも古からこの人の筆跡をことに愛で尊んだので、「手師(書の師)」の意味で書いたのである。書のことを「手」というのは古いことで、日本書紀にも書博士を「てのはかせ」とも「てかき」とも訓んでいる。また同じ万葉集の中に、「てし」という辞をそのまま「手師」とも書いていることで知るべきである。さてまた巻七・巻十一に「結大王」、巻十に「定大王」、巻十一に「言大王物乎」とある、これらの「大王」も「てし」と訓んで筋が明らかなのに、古くはこう訓むべきことを知らずに、ひどく訓み誤っていた。これもあの王羲之のことで、同じく手師の意味である。それは羲之の子の王献之という人も能書家であったので、父子を大王・小王と言って、大王は羲之のことだからである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 万葉集にてしと云ふ辞に義之また大王と書る事かかれば彼の義之と、この大王とを相照らして、共にてしと訓むべき事、またともに王羲之なる事をさとるべし。師の説には、義之をてしと訓むは、義は篆の誤りなり、また大王をもてしと訓むは、天子の意なり、と云われしかど、篆を仮字に用いたる例無く、また義之とつづけるのみにて、義と一字はなして書ける所も無ければ、必ず義之とつづけたる意なる事しるし。また大王もし天子の意ならば、直に天子と書ける所も有るべく、天皇なども書くべきに、いずれもただ大王とのみ書けるは、その意にあらざるなり。そのうえ天子の意ならば、字音なるを、他字の訓に用いむこと、有るべくも覚えず。
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『玉勝間』十三の巻 文字を添て書る例同集に、雖干跡、将有裳、不知爾、これらの書きざま、下なる跡の字裳の字爾の字余れるが如し。この例、続紀の宣命の詞、又菅家万葉などにも有り、その外にも有りしとおぼゆ。
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『玉勝間』十一の巻 万葉集をよむこころばへ然れども誤字なるを知らずして、本のままに訓めるなどには、強いたる事多く、そのほかすべての訓みざまも、なおよからざること多きを、その後またこの集の事、いよいよ委しくなりもてきぬるまにまに、訓もいと善くなれれども、なおいまだ〓く直りはてたりとは云いがたし。まず誤字のことごとく知られざる程は、訓もことごとくよろしくは直り難きわざなり。誤字のなおいと多かるを、その字のままに訓まむとせむには、かえりてしい言になるたぐい多かるべきをよく心得べし。またすべての訓みざま、仮字書きの所をよく考えて、その例をもてよむべきなり。おおかたこれら、この集をよむに、むねと心得べき事どもなりかし。
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『玉勝間』八の巻 万葉集に乎知と云ふ言万葉集五の巻に、わがさかりいたくくだちぬ雲にとぶ薬はむともまた遠知めやも、雲にとぶくすりはむよは京見ばいやしき我身また越知ぬべし、此二つの遠知と云う言、落にしては、仮字もたがい、歌の意も聞えず。昔より解えたる人無きを、おのれ考え得たり。まず此二うたは、久しく筑紫に在りて、京を恋しく思いて詠めるにて、始めの歌の意は、わがよわい盛り過て、いたく衰えたり、今はかのもろこしに有りし、淮南王の仙薬を服とも、又若き昔にかえる事は得あらじとなり。次なるは、淮南王の薬をはまんよりは、我は、京を見たらば、又昔にかえりて、若くなるべしとなり。遠知は、何事にても、又もとへかえる意にて、此歌どもなるは、身の又若かりし昔にかえるを云えるなり。十七の巻、家持主の鷹の長歌に、手ばなれも乎知もかやすき云云、こは鷹を褒めたるにて、この乎知は、本の手へ返りくる事を云えるなり。二十の巻に、わが屋戸に咲るなでしこまいはせむゆめ花ちるないや乎知にさけ、是れも又初めへ返り返りして、いよいよ久しく咲けと云えるなり。
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『玉勝間』四の巻 者と云ふ事もろもろの文書に、云々者云々と云える事多し。この者の字を、中ごろより、下の語のかしらに付けて、てえれば云々と読みならえるは、ひがことなり。こは上の語につきて、云々てえりと読む事なり。てえりは、と云えりと云うことなり。
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『玉勝間』十二の巻 のもじ添て書ノまじき例今の世の学者、物書くに、の文字を書くまじき所に、添えて書くこと多し。たとえば国の名を某の国、人の名を某の君など書くのもじなり。かかるたぐいは皆、某国某君と書きて、のは読み付くべき例なるを書き添えたるは、こちなくかたわに見ゆるわざぞかし。但しやまとの国げんじの君などように、仮字に書く時は、の文字必ず書くべし。こののもじの例、たとえば在原業平朝臣、ありわらの業平朝臣、在原のなりひらの朝臣、かくの如し。これにて書くべきと、書かで読み付くべきとのけじめをわきまうべし。さるを今の世の人は、大かたの文字を読みつくることを知らで、のもじ書きたらぬをば、のとは読まぬたぐい多かる故に、そこを思いて、書くまじき処にも、書くなめり。また古学のともがらなどは、殊に万葉集の歌の書きざまにならいて、歌ならぬ事も、書きざまみだりなること多し。かの集の歌を書けるようは、歌ならぬ物書くのりには採り難きことのみ多きぞかし。
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