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玉勝間 / 五の巻 鳥羽殿八月十五夜月見御歌御遊

於女院御方(東面、)被講和哥、題云翫池上月、序題題、予勤〓講講師、左大臣爲讀師、講大納言哥了後、頃而頗遲遲、是左大臣與關白殿哥次第之事也。依大殿命、先講關白殿哥、次左大臣、次大殿、此間女房從簾中、被出三首哥、書薄樣三重、被置扇上、(扇銀骨、畫圖殊例、)同講之、皆以秀哥也。人人感歎、爰從簾中、給御製於關白、關白傳-獻大殿、便宜也大殿令氣色、講師起座、擬臣下哥、召新中納言通俊卿、被講御製、誠以優妙也、不堪差歎、滿座諷詠、及曉更各分散、予今日殿上人布衣中著直衣、是爲辨官人一人臣被著直-衣冠時、可無便之故也。加之勤講師役間、數刻候御前、尤爲善耳、愚意之案、已叶禮法、兩殿下(烏帽子直衣、)左大臣公卿(冠直衣、)但此中藤中納言(基)左宰相中將(伊實)右兵衞督(雅俊)新宰相中將(宗通)布衣也。皇大后宮權大夫(公定)衣冠、上皇御烏帽子直衣、と見えたり。これは堀河ノ天皇の御世にて、鳥羽殿におはしまししは、白川ノ上皇におはします。大殿と有るは、京極ノ前ノ關白師實公、左大臣は、源ノ俊房公、關白は、京極殿の御子後二條ノ師通公なり。此時內大臣にて、關白ながら、左大臣の次に立チ給へりき。

新字:於女院御方(東面、)被講和歌、題云翫池上月、序題題、予勤〓講講師、左大臣為読師、講大納言歌了後、頃而頗遅遅、是左大臣与関白殿歌次第之事也。依大殿命、先講関白殿歌、次左大臣、次大殿、此間女房従簾中、被出三首歌、書薄様三重、被置扇上、(扇銀骨、画図殊例、)同講之、皆以秀歌也。人人感嘆、爰従簾中、給御製於関白、関白伝-献大殿、便宜也大殿令気色、講師起座、擬臣下歌、召新中納言通俊卿、被講御製、誠以優妙也、不堪差嘆、満座諷詠、及暁更各分散、予今日殿上人布衣中著直衣、是為弁官人一人臣被著直-衣冠時、可無便之故也。加之勤講師役間、数刻候御前、尤為善耳、愚意之案、已叶礼法、両殿下(烏帽子直衣、)左大臣公卿(冠直衣、)但此中藤中納言(基)左宰相中将(伊実)右兵衛督(雅俊)新宰相中将(宗通)布衣也。皇大后宮権大夫(公定)衣冠、上皇御烏帽子直衣、と見えたり。これは堀河ノ天皇の御世にて、鳥羽殿におはしまししは、白川ノ上皇におはします。大殿と有るは、京極ノ前ノ関白師実公、左大臣は、源ノ俊房公、関白は、京極殿の御子後二条ノ師通公なり。此時内大臣にて、関白ながら、左大臣の次に立チ給へりき。

書き下し

女院の御方(東面)に於て和歌を講ぜらる。題に云う、池上の月を翫ぶ、序題題、予講師を勤め、左大臣読師たり。大納言の歌を講じ了りて後、しばらくして頗る遅々たり、これ左大臣と関白殿との歌の次第の事なり。大殿の命に依りて、先ず関白殿の歌を講じ、次に左大臣、次に大殿。この間女房簾中より、三首の歌を出ださる、薄様三重に書き、扇の上に置かる(扇は銀の骨、画図殊に例なり)、同じくこれを講ず、皆以て秀歌なり。人々感歎す。ここに簾中より、御製を関白に給う、関白大殿に伝え献ず、便宜なり。大殿気色せしめ、講師座を起ちて、臣下の歌に擬す。新中納言通俊卿を召して、御製を講ぜらる、誠に以て優妙なり、感歎に堪えず、満座諷詠し、暁更に及びて各分散す。予今日殿上人の布衣の中に直衣を著く、これ弁官の人一人臣として直衣冠を著けらるる時、便無かるべきの故なり。加之、講師の役を勤むる間、数刻御前に候う、尤も善しと為すのみ、愚意の案、已に礼法に叶う。両殿下(烏帽子直衣)、左大臣公卿(冠直衣)、但しこの中藤中納言(基)・左宰相中将(伊実)・右兵衛督(雅俊)・新宰相中将(宗通)は布衣なり。皇太后宮権大夫(公定)は衣冠、上皇は御烏帽子直衣、と見えたり。これは堀河の天皇の御世にて、鳥羽殿におわしまししは、白川の上皇におわします。大殿と有るは、京極の前の関白師実公、左大臣は、源の俊房公、関白は、京極殿の御子後二条の師通公なり。この時内大臣にて、関白ながら、左大臣の次に立ち給えりき。

現代語訳

女院の御方(東面)で和歌が披講された。題は「池の上の月をめでる」。私(宗忠)が講師を務め、左大臣が読師であった。大納言の歌を読み上げ終えた後、しばらくたいへん手間取った。これは左大臣と関白殿との歌の順序のことである。大殿の命によって、まず関白殿の歌を読み上げ、次に左大臣、次に大殿の歌を読んだ。この間、女房たちが簾の中から三首の歌を出された。薄様の紙三重に書いて、扇の上に置かれていた(扇は銀の骨で、絵は格別であった)。同じくこれも読み上げたが、みな秀歌であった。人々は感嘆した。そこで簾の中から上皇の御製を関白に賜り、関白はそれを大殿に伝え献じた。適切な計らいである。大殿が合図をされ、講師は座を立って、臣下の歌の扱いとした。新中納言通俊卿を召して御製を読み上げさせられた。まことに優美で絶妙であり、感嘆に堪えなかった。満座で吟じ、明け方に及んで各自退出した。私は今日、殿上人が布衣である中で直衣を着た。これは弁官である者が一人だけ臣下として直衣・冠を着けておられる時に、具合が悪かろうと考えたからである。そのうえ講師の役を務める間、数刻御前に伺候するのだから、まことに良かったと思う。私の考えは、すでに礼法にかなっている。両殿下(大殿と関白)は烏帽子に直衣、左大臣と公卿は冠に直衣、ただしこの中で藤中納言(基)・左宰相中将(伊実)・右兵衛督(雅俊)・新宰相中将(宗通)は布衣であった。皇太后宮権大夫(公定)は衣冠、上皇は御烏帽子に直衣であった」と見える。これは堀河天皇の御代で、鳥羽殿においでになったのは白河上皇でいらっしゃる。「大殿」とあるのは京極の前関白師実公、左大臣は源俊房公、関白は京極殿の御子、後二条師通公である。この時は内大臣であったので、関白でありながら左大臣の次に立たれたのである。

解説

前の段に続く『中右記』の後半で、船遊びの後に催された和歌の披講を記す。題は「池上の月を翫ぶ」。講師を務めた宗忠は、関白と左大臣のどちらの歌を先に読むかでもめたことを書き留める。関白は官位では内大臣で左大臣より下だが、関白という立場は上であるため、順序が問題になったのである。女房たちが簾の中から銀の骨の扇に載せて歌を差し出す場面や、上皇の御製を別の人に読ませた作法など、宮廷の披講の実際が生き生きとわかる。宗忠が自分の装束の選び方を礼法にかなうと自賛するくだりには、日記の書き手の人柄がにじむ。宣長は最後に、登場する大殿・左大臣・関白が誰かを注して、読者の理解を助けている。記録を写すだけでなく、読むための手がかりを添える親切さがある。

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