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玉勝間 / 五の巻 東宮の御息所 東宮の女御

古今集に、二條ノ后の、東宮のみやすむ所と聞えける時云云、いせ物語に、昔し東宮の女御の御方の云云と有る。まづ二條ノ后は、清和天皇の中宮なり。貞觀八年に、女御となり給ひ、同十年に、貞明親王を生奉り給ひ、同十一年に、其親王皇太子に立せ給ふ。これ陽成天皇におはします。これよりして、元慶元年に、中宮となり給ふまでのあひだ、女御にて、皇太子の御母にましますを以て、東宮の女御とも、東宮の御息所とも申せること、契沖が餘材抄、勢語臆斷などに云へるが如し。東宮の御母女御、御母御息所と云ふことなり。御息所と申す稱は、女御にまれ更衣にまれ、皇子皇女を生奉り給へる人を申す稱なり。其趣源氏物語などを見て知ルべし。かの物語に、桐壺ノ更衣などをも光源氏ノ君を生奉られたる後は、御息所と云へること有り。その外も皆然かなり。然るを後ノ世に至りて、これを誤りて、御息所と申すを、東宮の妃の御事と心得たるから、此古今集いせ物語なるをも、清和天皇の東宮にて、ましましける時の御息所なり、と云ふ注あるは、いみしきひが事なり。東宮の妃を御息所と申すは、いたく後の世の俗稱にこそあれ、古、にはかつて無き事なり。

新字:古今集に、二条ノ后の、東宮のみやすむ所と聞えける時云云、いせ物語に、昔し東宮の女御の御方の云云と有る。まづ二条ノ后は、清和天皇の中宮なり。貞観八年に、女御となり給ひ、同十年に、貞明親王を生奉り給ひ、同十一年に、其親王皇太子に立せ給ふ。これ陽成天皇におはします。これよりして、元慶元年に、中宮となり給ふまでのあひだ、女御にて、皇太子の御母にましますを以て、東宮の女御とも、東宮の御息所とも申せること、契沖が余材抄、勢語臆断などに云へるが如し。東宮の御母女御、御母御息所と云ふことなり。御息所と申す称は、女御にまれ更衣にまれ、皇子皇女を生奉り給へる人を申す称なり。其趣源氏物語などを見て知ルべし。かの物語に、桐壺ノ更衣などをも光源氏ノ君を生奉られたる後は、御息所と云へること有り。その外も皆然かなり。然るを後ノ世に至りて、これを誤りて、御息所と申すを、東宮の妃の御事と心得たるから、此古今集いせ物語なるをも、清和天皇の東宮にて、ましましける時の御息所なり、と云ふ注あるは、いみしきひが事なり。東宮の妃を御息所と申すは、いたく後の世の俗称にこそあれ、古、にはかつて無き事なり。

書き下し

古今集に、二条の后の、東宮のみやすん所と聞えける時云云、いせ物語に、昔、東宮の女御の御方の云云と有る。まず二条の后は、清和天皇の中宮なり。貞観八年に、女御となり給い、同十年に、貞明親王を生み奉り給い、同十一年に、その親王皇太子に立たせ給う。これ陽成天皇におわします。これよりして、元慶元年に、中宮となり給うまでのあいだ、女御にて、皇太子の御母にましますを以て、東宮の女御とも、東宮の御息所とも申せること、契沖が余材抄、勢語臆断などに云えるがごとし。東宮の御母女御、御母御息所と云うことなり。御息所と申す称は、女御にまれ更衣にまれ、皇子皇女を生み奉り給える人を申す称なり。その趣源氏物語などを見て知るべし。かの物語に、桐壺の更衣などをも光源氏の君を生み奉られたる後は、御息所と云えること有り。その外も皆然かなり。然るを後の世に至りて、これを誤りて、御息所と申すを、東宮の妃の御事と心得たるから、この古今集いせ物語なるをも、清和天皇の東宮にて、ましましける時の御息所なり、と云う注あるは、いみじきひが事なり。東宮の妃を御息所と申すは、いたく後の世の俗称にこそあれ、古えにはかつて無き事なり。

現代語訳

古今集に「二条の后が、東宮の御息所と申し上げていた時」云々、伊勢物語に「昔、東宮の女御の御方の」云々とある。まず二条の后(藤原高子)は清和天皇の中宮である。貞観八年(866)に女御となられ、同十年に貞明親王をお生みになり、同十一年にその親王が皇太子にお立ちになった。これが陽成天皇でいらっしゃる。このときから元慶元年(877)に中宮となられるまでの間、女御であって皇太子の御母でいらっしゃったので、「東宮の女御」とも「東宮の御息所」とも申し上げたことは、契沖の『古今余材抄』や『勢語臆断』などに言っているとおりである。東宮の御母である女御、御母である御息所ということである。「御息所」と申す呼び名は、女御であれ更衣であれ、皇子・皇女をお生みになった人を申す呼び名である。その様子は源氏物語などを見て知るべきである。あの物語で、桐壺の更衣なども、光源氏の君をお生みになった後は「御息所」と言っていることがある。そのほかもみなそうである。ところが後の世になって、これを誤って、「御息所」と申すのを東宮の妃のことと心得たために、この古今集や伊勢物語のものについても、清和天皇が東宮でいらっしゃった時の御息所である、という注があるのは、ひどい誤りである。東宮の妃を御息所と申すのは、ずっと後の世の俗称であって、古にはまったくないことである。

解説

「東宮の御息所」という呼び名の意味を正した長い段の第一部である。古今集は二条の后藤原高子を「東宮の御息所」、伊勢物語は「東宮の女御」と呼ぶ。高子は清和天皇の女御で、生んだ皇子が皇太子になった。だから東宮の御母である女御、という意味でこう呼ばれたのだと、宣長は契沖の説を支持する。御息所とは本来、女御でも更衣でも、皇子や皇女を生んだ人の呼び名であり、源氏物語でも桐壺の更衣が光源氏を生んだ後に御息所と呼ばれている、と証拠を挙げる。後世、御息所を東宮の妃の意味と取り違えたため、清和天皇の東宮時代の妃と解する誤った注が生まれたと指摘する。言葉の意味は時代とともに変わり、後の意味で古い文を読むと誤る。宣長が繰り返し警告した落とし穴である。

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