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玉勝間 / 四の巻 伏見天皇御即位の次第

中務ノ內侍ノ日記に、弘安十一年、伏見ノ天皇御即位の儀をしるして云はく、三月十五日、御即位行幸の儀式、關白殿左大將以下、供奉の人人、めづらしく面白し。かみあげの內侍、この御所より、少將ノ內侍せうの内侍なり。御所御しやうぞくめされぬ。殿入らせ給ふ。召し仰せはてぬるよし、奉行のしきじ申せば、南殿へならせ給ふ。御こしに召されぬれば、くわんのちやうへ、いそぎこうたうもまゐる。かみあげのとくせんまうけたれば、車のしりにのせて、くわんのちやうの北むきよりまゐりて、かみあげしたためて、あした所の南むきに、勾當とさぶらへば、やうやう行幸ちかづかせおはしますとて、ぐぶの公卿しだいにれちに立ちたり。御こしよらせ給ひぬ。關白殿、御したがさねひきなほしまゐらせらる。公卿のすけまゐりて、けんしとりて、內侍につたへて後、御こしにつきて、みつなのすけそうぞきぬ。奏はてて、主上入らせ給へば、殿御れんにまゐらせ給ひ、ひさしのみすあらはより、しきじあきよたれたれは、御もやの御れんあげられて、主上大しやうじにわたらせ給ふ。けんしも大しやうじにおき奉りて、內侍あした所の北むきに出でてさぶらふ。

新字:中務ノ内侍ノ日記に、弘安十一年、伏見ノ天皇御即位の儀をしるして云はく、三月十五日、御即位行幸の儀式、関白殿左大将以下、供奉の人人、めづらしく面白し。かみあげの内侍、この御所より、少将ノ内侍せうの内侍なり。御所御しやうぞくめされぬ。殿入らせ給ふ。召し仰せはてぬるよし、奉行のしきじ申せば、南殿へならせ給ふ。御こしに召されぬれば、くわんのちやうへ、いそぎこうたうもまゐる。かみあげのとくせんまうけたれば、車のしりにのせて、くわんのちやうの北むきよりまゐりて、かみあげしたためて、あした所の南むきに、勾当とさぶらへば、やうやう行幸ちかづかせおはしますとて、ぐぶの公卿しだいにれちに立ちたり。御こしよらせ給ひぬ。関白殿、御したがさねひきなほしまゐらせらる。公卿のすけまゐりて、けんしとりて、内侍につたへて後、御こしにつきて、みつなのすけそうぞきぬ。奏はてて、主上入らせ給へば、殿御れんにまゐらせ給ひ、ひさしのみすあらはより、しきじあきよたれたれは、御もやの御れんあげられて、主上大しやうじにわたらせ給ふ。けんしも大しやうじにおき奉りて、内侍あした所の北むきに出でてさぶらふ。

書き下し

中務の内侍の日記に、弘安十一年、伏見の天皇御即位の儀をしるして云わく、三月十五日、御即位行幸の儀式、関白殿・左大将以下、供奉の人々、めずらしく面白し。かみあげの内侍、この御所より、少将の内侍・しょうの内侍なり。御所御しょうぞくめされぬ。殿入らせ給う。召し仰せはてぬるよし、奉行のしきじ申せば、南殿へならせ給う。御輿に召されぬれば、かんのちょうへ、いそぎこうとうもまいる。かみあげのとくせんもうけたれば、車のしりにのせて、かんのちょうの北むきよりまいりて、かみあげしたためて、あした所の南むきに、勾当とさぶらえば、ようよう行幸ちかづかせおわしますとて、ぐぶの公卿しだいにれちに立ちたり。御輿よらせ給いぬ。関白殿、御したがさねひきなおしまいらせらる。公卿のすけまいりて、けんしとりて、内侍につたえて後、御輿につきて、みつなのすけそうぞきぬ。奏はてて、主上入らせ給えば、殿御簾にまいらせ給い、ひさしのみすあらわより、しきじあきよたれたれは、御もやの御簾あげられて、主上大しょうじにわたらせ給う。けんしも大しょうじにおき奉りて、内侍あした所の北むきに出でてさぶらう。

現代語訳

中務内侍の日記に、弘安十一年(1288年)、伏見天皇の御即位の儀を記して言う。三月十五日、御即位の行幸の儀式は、関白殿・左大将以下、お供の人々も珍しく趣深い。髪上げの内侍は、この御所からは少将内侍と少輔内侍である。天皇は御装束をお召しになった。関白殿がお入りになる。召し仰せ(命令の伝達)が終わったことを奉行の職事が申し上げると、南殿(紫宸殿)へお出ましになる。御輿にお乗りになったので、官の庁(太政官庁)へ、急いで勾当内侍も参る。髪上げの得選が用意しておいたので、車の後ろに乗せて、官の庁の北向きの所から参って、髪上げを整えて、朝所(あいたどころ)の南向きの所に勾当内侍と控えていると、だんだん行幸が近づいておいでになるというので、お供の公卿たちが順々に列に並んで立った。御輿が寄せられた。関白殿が、天皇の下襲を引き直して差し上げなさる。公卿の次官が参って剣璽を取り、内侍に伝えた後、御輿について、御綱の助が(装束を整えて)控えた。奏上が終わって天皇がお入りになると、関白殿が御簾のところに参られ、廂の御簾の外から、職事のあきよ某らは、母屋の御簾を上げられて、天皇は大床子にお渡りになる。剣璽も大床子に置き申し上げて、内侍は朝所の北向きに出て控える。

解説

伏見天皇の即位式の次第を、仕えた女官の日記から長く写した段の最初である。中務内侍日記は、伏見天皇に仕えた中務内侍藤原経子の宮仕えの記録で、弘安十一年の即位式を内侍の目から細かく描く。宣長は、即位式の場である太政官庁に向かう天皇の行幸、関白が天皇の装束を整える所作、剣璽を公卿から内侍に渡す手順、天皇が大床子に着くまでを、日記の本文そのままに写している。女官は髪上げをして儀式に仕え、神器である剣と璽を捧げ持つ大切な役を負った。即位式の実際の段取りを当事者の目で記した記録は少なく、有職故実の研究にとって貴重な資料である。宣長が長い本文を省かず写したのは、朝廷の古い儀式の姿を正確に後に残そうとしたからであろう。

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