玉勝間 / 三の巻 から人のおやのおもひに身をやつす事
もろこしの國の、世世の物知り人どもの、親の喪に、身のいみしくやつれたるを、孝心ふかき事にして、しるしたるがあまたある中には、まことに心のかなしさは、いとさばかりも有らざりけむを、食物をいたくへらしなどして、瘦さらぼひて、ことさらに顏かたちをやつして、いみしげにうはべを見せたるが多かりげに見ゆるは、例のいといとうるさきわざなるを、いみしき事に褒めたるも又をこなり。失せにし親を、まことに思ふ心深くは、おのが身をも、さばかりやつすべき物かは、身のやつれに、病なども起りて、もしはからず、なくなりなどもしたらむには、孝ある子と云ふべしやは、たとひさまでには至らずとも、然かいみしくやつれたらむをば、苔の下にも、親はさこそ心ぐるしく思はめ、いかでかうれしとは見む。さる親の心をば思はで、唯だ世の人目をのみつくろひて、名をむさぼるは、何のよき事ならむ。すべて孝行も何わざも、世にけやけきふるまひをして、いみしき事に思はするは、かの國人のならひにぞ有りける。
新字:もろこしの国の、世世の物知り人どもの、親の喪に、身のいみしくやつれたるを、孝心ふかき事にして、しるしたるがあまたある中には、まことに心のかなしさは、いとさばかりも有らざりけむを、食物をいたくへらしなどして、痩さらぼひて、ことさらに顔かたちをやつして、いみしげにうはべを見せたるが多かりげに見ゆるは、例のいといとうるさきわざなるを、いみしき事に褒めたるも又をこなり。失せにし親を、まことに思ふ心深くは、おのが身をも、さばかりやつすべき物かは、身のやつれに、病なども起りて、もしはからず、なくなりなどもしたらむには、孝ある子と云ふべしやは、たとひさまでには至らずとも、然かいみしくやつれたらむをば、苔の下にも、親はさこそ心ぐるしく思はめ、いかでかうれしとは見む。さる親の心をば思はで、唯だ世の人目をのみつくろひて、名をむさぼるは、何のよき事ならむ。すべて孝行も何わざも、世にけやけきふるまひをして、いみしき事に思はするは、かの国人のならひにぞ有りける。
書き下し
もろこしの国の、世世の物知り人どもの、親の喪に、身のいみしくやつれたるを、孝心ふかき事にして、しるしたるがあまたある中には、まことに心のかなしさは、いとさばかりも有らざりけむを、食物をいたくへらしなどして、痩せさらぼいて、ことさらに顔かたちをやつして、いみしげにうわべを見せたるが多かりげに見ゆるは、例のいといとうるさきわざなるを、いみしき事に褒めたるも又おこなり。失せにし親を、まことに思う心深くは、おのが身をも、さばかりやつすべき物かは、身のやつれに、病なども起りて、もしはからず、なくなりなどもしたらむには、孝ある子と云うべしやは、たとい然までには至らずとも、然かいみしくやつれたらむをば、苔の下にも、親はさこそ心ぐるしく思わめ、いかでかうれしとは見む。さる親の心をば思わで、唯だ世の人目をのみつくろいて、名をむさぼるは、何のよき事ならむ。すべて孝行も何わざも、世にけやけきふるまいをして、いみしき事に思わするは、かの国人のならいにぞ有りける。
現代語訳
中国の、代々の学者たちについて、親の喪に服して身がひどくやつれたことを、孝心の深いこととして記したものが数多くある。その中には、本当は心の悲しみはそれほどでもなかっただろうに、食べ物をひどく減らしたりして痩せ衰え、わざと顔かたちをやつして、いかにも立派そうに上辺を見せたものが多いように見えるのは、いつものたいへん煩わしいしわざであり、それを立派なことだと褒めているのもまた愚かである。亡くなった親を本当に思う心が深いなら、自分の身をそれほどまでにやつしてよいものだろうか。身がやつれたために病なども起こって、もし思いがけず死んだりしたら、孝行な子と言えるだろうか。たとえそこまで至らなくても、そのようにひどくやつれたのを、苔の下(墓の中)でも親はさぞ心苦しく思うだろう。どうして嬉しいと見るだろうか。そういう親の心を思わず、ただ世間の人目だけを取り繕って名声をむさぼるのは、何の良いことがあろうか。およそ孝行も何事も、世に際立った振る舞いをして立派だと思わせるのは、あの国の人の習いなのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 人のうせたる後のわざ親を思う心の浅からむ子は、三年をまたで、はやくかなしさはさめぬべきに、なお服をきて、悲しきさまをもてつけ、また心ざし深からんは、三とせ過ぎたらむからに、かなしさは歇むべきならぬに、ぬぎ捨てて、名残り無くしなさむは、共にうわべのいつわりに有らずや。さるを皇国にこの服と云う事の無かりしは、きわやかなるかぎりの無き悲しさのままなるにて、長くも短かくも、これぞまことにかなしむには有りける。服は着ざれども、悲しきはかなしく、着ても、かなしからぬは悲しからねば、いたづら事なり。さればかの国にても、漢の文帝と云いし王は、こよなく服をちぢめたりしを、儒者は、いみしく善からぬ事に、もどき云えども、ことわり有る事ぞかし。皇国にならいまねばれたるにも、ちぢめて、親のをも、一とせと定められたり。さるはいと久しく、身のつとめを欠かむも、よう無きいたづら事なれば、かなしながらに、出でて仕えんに、なでう事かあらむ。さてかく云うは、服ちょう事の有り無しの、本のあげつらいにこそあれ、すでにその御おきての有るうえは、かたく守りて、冒すまじき物ぞかし。
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『玉勝間』三の巻 富貴を願はざるを善き事にする論ひ世世の儒者、身のまずしく賤しきをうれえず、とみ栄えをねがわず、喜ばざるを、善き事にすれども、そは人のまことの情にあらず、多くは名をむさぼる、例のいつわりなり。まれまれにさる心ならむもの有りとも、そは世のひが者にこそあれ、なにの善き事ならん。ことわりならぬ振舞いをして、あながちに願わむこそは、悪しからめ。ほどほどにつとむべきわざを、いそしくつとめて、なりのぼり、富さかえむこそ、父母にも先祖にも、孝行ならめ。身衰え家貧しからむは、うえ無き不孝にこそ有りけれ。唯だおのがいさぎよき名をむさぼるあまりに、まことの孝を忘るるも、又もろこし人の常なりかし。
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『玉勝間』十四の巻 孟子孟子に、不孝に三有り、後無きを大と為すと云えり。然る時は、後あるが孝なること知るべし。もし後あるが孝ならば、身を富貴にせむこそ大孝ならめ。然るを、儒者の富貴を願わざるは、ただおのが身を潔くせむとして、親を思わざるなり。これ又不孝と云うべし。
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『玉勝間』四の巻 人のうせたる後のわざ人の死にたる後のわざ、上つ代にはいかに有りけむ。神代に天若日子の身うせにし時、八日八夜遊ぶと有りて、楽して遊びし事などの、わづかに見えたるのみにして、こまかなる事は、すべて知りがたし。ただし音楽して遊びし事は、なべての定まりなり。そのよしは古事記伝に云えるが如し。さて死を穢とする事は、神代より然り。されどそれも、日数のかぎりの定まりしは、後なるべし。また忌服は、から国をまねびたる、後の事なり。書紀の仁徳天皇の御巻に、素服と云う字など見えたれど、例の漢文のかざりにこそ有れ、そのかみさる事有りしにあらず。仲哀天皇崩りましまして、いく程も無く、神功皇后の、重き御神わざの有りしにても、服無かりけむ事知られたり。そもそも漢国に、喪服と云う事のかぎりを、こまやかに定めたるは、ねもころなるに似たれども、なかなかに心ざし浅き、うわべの事なり。親などにおくれたらん悲しさは、その月のその頃までと、きわやかにかぎりの有るべきわざには有らざるに、しいてかぎりをたてて、きわやかに定めたるは、かの国のなべてのくせにて、云いもてゆけば、人にいつわりを教うるわざなり。
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『玉勝間』四の巻 やしなひ子世には人に深き恨みなどを残して、なくなりたる者のたましいは、その人に来よりつきて、たたりをもなすに有らずや。さるはその人には、何のすじも有らざれども、ただ一ふし思いしめたるゆかりにだに、然かよりくる物を、ましてひたぶるに子とたのみて、代を継がせたる者の祭を、受けには来ざるべきものかは。
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『玉勝間』二の巻 忌日祥月年忌の事今の世に、親先祖のうせぬる日を、忌日と云うは、月毎のその日にて、その月のをば、殊に祥月とぞ云うなる。この祥の字は、もろこしの小祥大祥よりうつれるなるべし。されど古は、今云う祥月をこそ、忌日とはしけれ、月ごとの忌日と云うは、ここにももろこしなどにも、無かりしかば、祥月と云う事も、もとより無かりしなり。昔は忌月とて、その月の内は、すべてよろずをつつしみて、その日をば殊に正日と云う事は有りきかし。されば今祥月と云うも、正日の例にて、正月なるべきを、然書きては、月次の正月にまぎるる故に、祥の字は書きにもあらむか。さて月毎の忌日は、もろこしに無き事なるを以て、今儒者などは、有るまじき事として、親も先祖も、月毎には死なず、死にし日は、ただ一日こそあれ、など云うめるは、一わたりはことわり聞こえたれども、もし然云わんには、年毎にも死にはせざれば、年ごとの忌日も、あるまじき事とや云わまし。すでに年毎の忌日あるうえは、月毎にせむも、何か悪しからむ。これは古よりもまさりて、ねもころなるしわざにしあれば、今の世のならいに従わんこそ、まさりては有らめ。
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