玉勝間 / 四の巻 ひとむきにかたよることの論ひ
世の物知り人の、他の說の惡しきをとがめず、一むきにかたよらず、此れをも彼れをも捨てぬさまに論をなすは、多くはおのが思ひとりたる趣をまげて、世の人の心に、洽くかなへむとするものにて、まことに有らず、心ぎたなし。たとひ世ノ人は、いかにそしるとも、わが思ふ筋をまげて、從ふべき事にはあらず、人のほめそしりにはかかはるまじきわざぞ。大かた一むきにかたよりて、他說をば、惡ろしととがむるをば、心せばく善からぬ事とし、ひとむきにはかたよらず、他說をも、惡ろしとは云はぬを、心ひろくおいらかにて、善しとするは、なべての人の心なめれど、必ず其れさしも善き事にもあらず。よる所定まりて、そを深く信ずる心ならば、必ずひとむきにこそよるべけれ、それにたがへる筋をば、とるべきに有らず。善しとしてよる所に異なるは、皆惡しきなり、これ善ければ、彼れは必ず惡しきことわりぞかし。然るを是れも善し、又彼れも惡しからずと云ふは、よる所さだまらず、信ずべき所を、深く信ぜざるものなり。
新字:世の物知り人の、他の説の悪しきをとがめず、一むきにかたよらず、此れをも彼れをも捨てぬさまに論をなすは、多くはおのが思ひとりたる趣をまげて、世の人の心に、洽くかなへむとするものにて、まことに有らず、心ぎたなし。たとひ世ノ人は、いかにそしるとも、わが思ふ筋をまげて、従ふべき事にはあらず、人のほめそしりにはかかはるまじきわざぞ。大かた一むきにかたよりて、他説をば、悪ろしととがむるをば、心せばく善からぬ事とし、ひとむきにはかたよらず、他説をも、悪ろしとは云はぬを、心ひろくおいらかにて、善しとするは、なべての人の心なめれど、必ず其れさしも善き事にもあらず。よる所定まりて、そを深く信ずる心ならば、必ずひとむきにこそよるべけれ、それにたがへる筋をば、とるべきに有らず。善しとしてよる所に異なるは、皆悪しきなり、これ善ければ、彼れは必ず悪しきことわりぞかし。然るを是れも善し、又彼れも悪しからずと云ふは、よる所さだまらず、信ずべき所を、深く信ぜざるものなり。
書き下し
世の物知り人の、他の説の悪しきをとがめず、一むきにかたよらず、これをもかれをも捨てぬさまに論をなすは、多くはおのが思いとりたる趣をまげて、世の人の心に、洽くかなえむとするものにて、まことに有らず、心ぎたなし。たとい世の人は、いかにそしるとも、わが思う筋をまげて、従うべき事にはあらず、人のほめそしりにはかかわるまじきわざぞ。大かた一むきにかたよりて、他説をば、悪ろしととがむるをば、心せばく善からぬ事とし、ひとむきにはかたよらず、他説をも、悪ろしとは云わぬを、心ひろくおいらかにて、善しとするは、なべての人の心なめれど、必ずそれさしも善き事にもあらず。よる所定まりて、そを深く信ずる心ならば、必ずひとむきにこそよるべけれ、それにたがえる筋をば、とるべきに有らず。善しとしてよる所に異なるは、皆悪しきなり、これ善ければ、かれは必ず悪しきことわりぞかし。然るをこれも善し、またかれも悪しからずと云うは、よる所さだまらず、信ずべき所を、深く信ぜざるものなり。
現代語訳
世の物知りが、他人の説の悪いところを咎めず、一方に偏らず、あれもこれも捨てない様子で論を立てるのは、多くは自分が考え取った趣旨を曲げて、世の人の心に広く合わせようとするものであって、誠実ではなく、心が汚い。たとえ世の人がどれほど謗ろうとも、自分の考える筋を曲げて従うべきではない。人の褒め謗りには関わってはならないのである。おおよそ一方に偏って他説を悪いと咎めることを、心が狭く良くないこととし、一方に偏らず他説も悪いとは言わないことを、心が広くおおらかで良いとするのが、世間一般の人の心のようだが、それは必ずしもそれほど良いことではない。拠り所が定まって、それを深く信じる心であるならば、必ず一方にこそ拠るべきであって、それに違う筋を取るべきではない。良いとして拠る所と異なるものは、みな悪いのである。これが良ければ、あれは必ず悪いという道理なのだ。それなのに、これも良い、またあれも悪くないと言うのは、拠り所が定まらず、信じるべき所を深く信じていない者である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 ひとむきにかたよることの論ひよる所さだまりて、そを信ずる心の深ければ、それに異なるすじの悪しきことをば、おのづからとがめざる事あたわず、これ信ずる所を信ずるまめ心なり。人はいかに思うらむ。われは一むきにかたよりて、あだし説をば悪ろしととがむるも、必ず悪ろしとは思わずなむ。
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『玉勝間』四の巻 前後と説のかはる事ただしまたみづからこそ、初めのをば悪ろしと思いて、改めつれ、またのちに人の見るには、なお初めのかたよろしくて、後のはなかなかに悪ろきも無きにあらざれば、とにかくにえらびは、見む人の心になむ。
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『玉勝間』七の巻 道を説く事はあだし道道の意にも世の人のとりとらざるにもかかはるまじき事道を説かむに儒にまれ、老にまれ、仏にまれ、稀れ稀れに心ばえの通える所の有るを捉えて、おのが心のひくかたにまかせて、通わぬ所をも、すべてその筋に引きよせて説きなし、或いはまた他道と同じからん事を、いといさけて、殊更にけじめを見せ、さまを変えて説かむとする、これら皆いとあじきなくしいたるわざなり似ざらむも似たらむも、異ならむも同じからむも、とにかくに異道の意には、いささかもかかわるべきわざにあらず。またかく説きたらむには、世にうけひかじ、かく云いてこそ、人は信ぜめなど、世の人の心をとりて、いささかも説き曲げむ事は、またいと有るまじく、心ぎたなきわざなり。すべて世の人の褒め謗りをも、思うべきにはあらず。たとい、あだし道々とは、うらうえのたがいあり、世にも絶えて信ずる人無からむにても、ただ神の御ふみの趣のままにこそは、説くべきわざなりけれ。
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『玉勝間』一の巻 あらたなる説を出す事ちかき世、学問の道ひらけて、大かた万のとりまかない、さとくかしこくなりぬるから、とりどりにあらたなる説を出す人おおく、その説よろしければ、世にもてはやさるるによりて、なべての学者、いまだよくもととのわぬ程より、我れおとらじと、世にことなるめづらしき説を出して、人の耳をおどろかす事、今の世のならいなり。その中には、ずいぶんによろしきことも、まれには出でくめれど、大かたいまだしき学者の、心はやりて云い出ずる事は、ただ人にまさらむ勝たむの心にて、かろがろしく、まえしりえをもよくも考え合わさず、思い依れるままにうち出ずる故に、多くはなかなかなるいみしきひが事のみなり。すべて新たなる説を出すは、いと大事なり。いくたびもかえさい思いて、よく確かなるよりどころを捉え、いづくまでも行きとおりて、たがう所無く、動くまじきにあらずは、たやすくは出すまじきわざなり。その時には、うけばりて善しと思うも、ほどへて後に、今一たびよく思えば、なお悪ろかりけりと、我ながらだに思いならるる事の多きぞかし。
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『玉勝間』二の巻 師の説になづまざる事またおのが師などの悪ろき事を云いあらわすは、いともかしこくはあれど、それも云わざれば、世の学者その説にまどいて、長く善きを知るご無し。師の説なりとして、悪ろきを知りながら、云わずつつみかくして、よさまにつくろいおらんは、ただ師をのみたっとみて、道をば思わざるなり。宣長は、道を尊み古を思いて、ひたぶるに道の明らかならん事を思い、古の意の明らかならん事をむねと思うが故に、わたくしに師をたっとむことわりの欠けむ事をば、えしもかえり見ざる事あるを、猶悪ろしと、そしらむ人はそしりてよ、そはせんかた無し。われは人にそしられじ、善き人に成らむとて、道をまげ、古の意をまげて、さてあるわざはえせずなん。これすなわちわが師の心なれば、かえりては師をたっとむにも有るべくや。そはいかにも有れ。
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『玉勝間』四の巻 前後と説のかはる事同じ人の説の、こことかしこと行きちがいて、ひとしからざるは、いづれによるべきぞと、まどわしくて、大かたその人の説、すべて浮きたる心地のせらるる、そは一わたりはさる事なれども、なおさしも有らず。初めより終りまで、説のかわれる事無きは、なかなかにおかしからぬかたも有るぞかし。初めに定めおきつる事の、ほどへて後に、またことなるよき考えの出で来るは、常にある事なれば、初めとかわれる事あるこそよけれ。年をへて、学問進みゆけば、説は必ずかわらでかなわず。またおのがはじめの誤りを、後に知りながらは、つつみかくさで、きよく改めたるも、いと善き事なり。殊にわが古学の道は、近きほどより開けそめつる事なれば、すみやかに尽くは考えつくすべきに有らず。人を経、年を経てこそ、つぎつぎに明らかには成りゆくべきわざなれば、一人のときごとの中にも、さきなると後なると異なる事は、もとより有らではえ有らぬわざなり。そは一人の生のかぎりの程にも、つぎつぎ明らかに成りゆくなり。さればそのさきのと後のとの中には、後の方をぞ、その人の定まれる説とはすべかりける。
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