玉勝間 / 四の巻 仏の前のもり物のたとへ
かのいみしくかざり立テたる盛リ物と、うはべの見る目こそ有らめ、まことにはいづれか清くまさりたらむ。すべて皇國は、もとよりの質の美きが故に、古、はその質の美きにまかせて、虛文をかざる事無かりき。文をかざらざるが故に、質のうるはしきが損ふ事も無かりき。外國は、質惡きがゆゑに、虛文をかりて、しひて美くせむとせし物なり。さてもろこしに、文質彬彬と云ふを、善き事にすめれども、必ず文にはうつりやすく、質にはかへり難きならひなれば、彬彬は必ズ久しくはたもちがたくして、やうやうに虛文にのみ成りもて行きて、質を失ふ基なり。されば質の美しからむには、そを守りて、虛文を加へざらむこそ、長く久しかるべき爲わざには有けれ。
新字:かのいみしくかざり立テたる盛リ物と、うはべの見る目こそ有らめ、まことにはいづれか清くまさりたらむ。すべて皇国は、もとよりの質の美きが故に、古、はその質の美きにまかせて、虚文をかざる事無かりき。文をかざらざるが故に、質のうるはしきが損ふ事も無かりき。外国は、質悪きがゆゑに、虚文をかりて、しひて美くせむとせし物なり。さてもろこしに、文質彬彬と云ふを、善き事にすめれども、必ず文にはうつりやすく、質にはかへり難きならひなれば、彬彬は必ズ久しくはたもちがたくして、やうやうに虚文にのみ成りもて行きて、質を失ふ基なり。されば質の美しからむには、そを守りて、虚文を加へざらむこそ、長く久しかるべき為わざには有けれ。
書き下し
かのいみしくかざり立てたる盛り物と、うわべの見る目こそ有らめ、まことにはいづれか清くまさりたらむ。すべて皇国は、もとよりの質の美きが故に、古は、その質の美きにまかせて、虚文をかざる事無かりき。文をかざらざるが故に、質のうるわしきが損う事も無かりき。外国は、質悪きがゆえに、虚文をかりて、しいて美くせむとせし物なり。さてもろこしに、文質彬彬と云うを、善き事にすめれども、必ず文にはうつりやすく、質にはかえり難きならいなれば、彬彬は必ず久しくはたもちがたくして、ようように虚文にのみ成りもて行きて、質を失う基なり。されば質の美しからむには、そを守りて、虚文を加えざらむこそ、長く久しかるべき為わざには有りけれ。
現代語訳
あのひどく飾り立てた盛物と比べて、上辺の見た目はともかく、本当はどちらが清らかで勝っているだろうか。およそ皇国は、もともとの質(中身)が美しいので、古はその美しい質にまかせて、虚しい文(飾り)で飾ることがなかった。文で飾らなかったので、質の美しさが損なわれることもなかった。外国は質が悪いので、虚しい文を借りて、無理に美しくしようとしたものである。さて中国では「文質彬彬」ということを善い事としているようだが、必ず文には移りやすく、質には帰りにくいのが世の習いなので、彬彬(文と質の釣り合い)は決して長くは保ちがたく、次第に虚しい文ばかりになっていって、質を失うもとになる。だから質が美しいならば、それを守って虚しい文を加えないことこそが、長く久しく続くための仕方なのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 仏の前のもり物のたとへ寺々の仏のまえに、盛物とて、立て並ぶる物あり。みじかき柱のようしたる物に、金銀五色の紙をおして、つつみ色どりたるを立てて、まんじゅうあるいは落雁など云うなる、造菓子を、衣の紋のように押しつけて、いただきにも、ことごとしき作り花などを挿したり。この物のさまを見るに、その色どりかざりも、菓子も、ただ人のもうでて見る方にのみ有りて、仏の方に向きたる所には、かざりも無く、くだ物をもつけざるは、すべてただ、詣る人の見る目をかざれるのみにて、仏にうるわしくして奉らむとの為わざには有らざりけり。その中にも甚しきは、菓子もまことのには有らで、土あるいは木などして作りたるさえ有るぞかし。されどこれは、さしも論うにも足らぬ、はかなき事なるを、漢国の万の事の、うるわしきようなるも、もはらこの仏の前の盛り物の如くにて、まことの事にはあらず。ただ世の人に尊ませむための、色どりかざりなるを、文質彬彬など云いて、たけき事に思い云うこそ、いとおこなれ。皇国の古は、たとえば清らかなる白木の折敷に、檜・杉の葉などを折りしきて、新しき物をそなえたらむが如し。
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『玉勝間』四の巻 世の人かざりにはからるるたとひ皇国と外国とのようを、物にたとえて云わば、皇国の古は、顔よき人の、かたち衣服をもかざらず、ただ在りにて在るが如く、外国は、醜き女の、いみしく髪かおをつくり、びびしき衣服を着かざりたるが如くなるを、遠くて見る時は、まことのかたちの善き悪しきは、わかれずして、ただそのかざりつくろえるかたぞ、まさりて見ゆめるを、世の人、近くよりて、まことの美醜きを見ることを知らず、ただ遠目にのみ見て、外国のかざりをしも、うるわしと思うは、いかにぞや。すべて漢国などは、よろづの事、実は悪しきが故に、それをおおい隠さむとてこそ、さまざまにかざりつくるには有りけれ。
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論語・雍也篇子曰わく、質、文に勝てば則ち野、文、質に勝てば則ち史。文質彬彬として、然る後に君子。
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『玉勝間』四の巻 兼好法師が詞のあげつらひすべて何事も、なべての世の人の真心にさかいて、ことなるを善き事にするは、外国のならいのうつれるにて、心を作り飾れる物と知るべし。
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『玉勝間』十の巻 譬、と云ふものの事ただに云いては、ことゆきがたき心も、万の物のうえに譬えて云えば、ことも無くよく聞ゆる事、多く有るわざなり。さればこの譬えと云う事、神代より有りて、歌にも見え、今の世の人も、常にものすることなり。皇国のみにもあらず、戎の国々にも、古えより有りけるを、もろこし人は、すべて物の譬えをとる事、いと上手にて、言すくなくて、いとよく聞えて、げによく譬えたりとおぼゆる事の多かるを、仏の経どもに、殊に多く見えたるたとえは、多くは物遠くして、よくあたれりとも聞えぬ事をくだくだしく長々と云えるなど、いといと拙なし。仏と云える人の云える事も、かかるものにや。
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論語・顔淵篇棘子成曰く、「君子は質のみ。何ぞ文を以て為さん。」子貢曰く、「惜しいかな、夫子の説、君子なり。駟も舌に及ばず。文は猶お質のごとく、質は猶お文のごときなり。虎豹の鞹は、猶お犬羊の鞹のごとし。」
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