退食閑話 / 文と質、西土の資け
問、唐虞三代の治敎、資以贊 皇猷と有之候へども、西土は文を尙び、 神州は質を貴び候風俗にて、各異なる所有之を、西土の俗と混淆いたし候よりしては、古の淳素の風を失へりと申說も有之は如何、曰、天地の間に大道は一にして二つは無之候、質と文とは車の兩輪の如く、偏倚無之を大道と申べし、故に孔子も文質彬彬、然後君子と仰られたり、 神州の質なるを西土の文を以て助くるは、即取於人以爲善といへる義なり、さて文には文の弊あり、質には質の弊ありて、文質彬彬といへども實事に施す事は至て難かるべし、されども、 神州の質も西土の文も、五倫の大道に於ては毫も損益すべからず、但 神州には前に申ごとく、五倫の實はあれども五倫の名なき弊は、
新字:問、唐虞三代の治教、資以賛 皇猷と有之候へども、西土は文を尚び、 神州は質を貴び候風俗にて、各異なる所有之を、西土の俗と混淆いたし候よりしては、古の淳素の風を失へりと申説も有之は如何、曰、天地の間に大道は一にして二つは無之候、質と文とは車の両輪の如く、偏倚無之を大道と申べし、故に孔子も文質彬彬、然後君子と仰られたり、 神州の質なるを西土の文を以て助くるは、即取於人以為善といへる義なり、さて文には文の弊あり、質には質の弊ありて、文質彬彬といへども実事に施す事は至て難かるべし、されども、 神州の質も西土の文も、五倫の大道に於ては毫も損益すべからず、但 神州には前に申ごとく、五倫の実はあれども五倫の名なき弊は、
書き下し
問、唐虞三代の治敎、資して以て 皇猷を贊くと有之候へども、西土は文を尙び、 神州は質を貴び候風俗にて、各異なる所有之を、西土の俗と混淆いたし候よりしては、古の淳素の風を失へりと申說も有之は如何、曰、天地の間に大道は一にして二つは無之候、質と文とは車の兩輪の如く、偏倚無之を大道と申べし、故に孔子も文質彬彬として、然る後に君子なりと仰られたり、 神州の質なるを西土の文を以て助くるは、即人に取りて以て善を爲すといへる義なり、さて文には文の弊あり、質には質の弊ありて、文質彬彬といへども實事に施す事は至て難かるべし、されども、 神州の質も西土の文も、五倫の大道に於ては毫も損益すべからず、但 神州には前に申ごとく、五倫の實はあれども五倫の名なき弊は、
現代語訳
問い。「唐虞三代の治教、資して以て皇猷を賛く」とありますが、西土は文を尊び、神州は質を貴ぶ風俗でそれぞれ異なるところがあるのに、西土の俗と混ぜ合わせたことから、古の淳朴な風を失ったという説もあります。いかがですか。答え。天地の間で大道は一つであって二つはありません。質と文とは車の両輪のようなもので、偏りのないものを大道というべきです。ですから孔子も「文質彬彬として、然る後に君子なり」と言われました。神州の質を西土の文で助けるのは、「人に取りて以て善を為す」という意味です。さて、文には文の弊害があり、質には質の弊害があって、文質彬彬といっても実際に行うのはまことに難しいでしょう。しかし神州の質も西土の文も、五倫の大道においてはまったく増減できません。ただ神州には、先に述べたように五倫の実はあっても五倫の名がないという弊害があり、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『退食閑話』・治と教を備える人其實をしることを得ず、堯舜孔子の立給へる名によりて、 神州の本よりある處の自然の實を知る事を得る、即ち皇猷を贊くなり、さて治敎と申ことは、治は國家を治るの法度政令なり、敎は禮樂敎化なり、法度制令ありて禮樂敎化なければ、手足の働ありて心性の本なきがごとく、禮樂敎化ありて法度制令なければ、心性の本ありて手足の働なきがごとし、治と敎と備らざれば治も苟且の治なり、敎も死物となりて用をなさず、 神州の治敎は其本立て是を働らかしむる道具なし、西土の治敎は其本を論ずるときは君臣の義なきがごとき、 神州にしかざる所なれども、其道具の備れる故に是を資として 皇猷を贊けんには、斯道愈大に愈明なるべき理にして、是を文質彬彬とは申べきなり、
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『弁名』文質體用本末質に対して言ふ者有り。「質文に勝てば則ち野、文質に勝てば則ち史。文質彬彬として、然る後に君子」と曰ふが如し。又曰く、「文は猶ほ質のごときなり、質は猶ほ文のごときなり」と。皆人を以て言ふ。質とは質行なり、孝弟忠信の類を謂ふ。文とは詩書礼楽を学びて、其の言辞威儀の煥然たるを謂ふなり。唯だ質にして文無きは、郷人のみ。学びて徳を成し、然る後に君子と為る。但だ其の質行有りて文足らざる者は、未だ鄙野の誚を免れず。文ありて質行無き者は、其の学ぶ所徳を成す能はず、唯だ記憶するのみ、故に以て史と為すなり。「行ひて余力有れば則ち以て文を学ぶ」と曰ひ、「十室の邑、必ず忠信丘の如き者有らん、丘の学を好むに如かざるなり」と曰ふが如き、皆質行有りと雖も、学ばずんば未だ郷人たるを免れざるを言ふ。「礼は後か」と曰ひ、「忠信は徳に進む所以なり」と曰ふが如き、皆苟くも質行無くんば、文を学ぶと雖も徳を成す能はざるを言ふ。
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『玉勝間』四の巻 仏の前のもり物のたとへかのいみしくかざり立てたる盛り物と、うわべの見る目こそ有らめ、まことにはいづれか清くまさりたらむ。すべて皇国は、もとよりの質の美きが故に、古は、その質の美きにまかせて、虚文をかざる事無かりき。文をかざらざるが故に、質のうるわしきが損う事も無かりき。外国は、質悪きがゆえに、虚文をかりて、しいて美くせむとせし物なり。さてもろこしに、文質彬彬と云うを、善き事にすめれども、必ず文にはうつりやすく、質にはかえり難きならいなれば、彬彬は必ず久しくはたもちがたくして、ようように虚文にのみ成りもて行きて、質を失う基なり。されば質の美しからむには、そを守りて、虚文を加えざらむこそ、長く久しかるべき為わざには有りけれ。
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論語・雍也篇子曰わく、質、文に勝てば則ち野、文、質に勝てば則ち史。文質彬彬として、然る後に君子。
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『退食閑話』・文武は車の両輪問、鹿島の神は武神なり、孔子は文德の聖人なり、然れば、神祉は武夫の拜する神にて、聖廟は文學の士の拜すべきに似たり、今祉廟ともに文武の士をして、同じく拜せしめ給ふことは如何、曰、今人の文武といふものは文武の藝あり、古人の文武は文武の道なり、刀鎗弓銃等の術は武藝なり、禮義廉恥を知て、士道を守り節操を勵して、國家の干城となるは武道なり、文字をよみ傳註を說き、博文强記にして、故事を知り詩文書算を能する如き、皆文藝なり、忠孝仁義を本として、神聖の大道に通じ、國家の事體に明かにして、公侯の腹心ともなるべきは文道なり、藝を論ずる時は文藝と武藝と各異なれども、道を論ずるに於ては、文道武道ともに車の兩輪のごとく相離るべからず、是によりて古は道藝とて道と藝とを一にして、藝ありて道なければ羿が射などの如く、藝も却て害となるなり、さて又古の六藝は禮學書數は文、射御は武なれば、藝を敎るも文武を兼て敎るなり、故に孔子も文事有る者は、
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『退食閑話』・孔子廟を建てる意味問、孔子の廟を建給へる事記文に詳なれども、願くば初學のために其着實なる處を告られ給はんことを乞ふ、曰、唐虞三代の道は人倫を明にする道なれば、天下の達道ともいふ、即ち天地の大道なり、愚夫愚婦といへどもよく知てよく行ふべき道なれども、敎なきときは是を知ることあたはずして、人も禽獸に近し、故に堯舜の五典を行ひ、親義別序信の敎を知らしめられしより、人民始て禽獸にまぬかれし事を得たり、孔子に至りて群聖人の美を集めて大成し、堯舜を祖述してより、堯舜の敎もいよ〱明かになりて、後世人倫の摸範も備り、即ち唐虞三代の道此に折衷すとは是なり、孔子の敎神州に行はれし事も、應神天皇の御宇論語の書はじめて傳はり、此後聖人の經書次第に行はるゝこと人々の知る處なり、道は天下の達道なれば、四海萬國人倫のあらん限りは自然に行はるれども、戎狄は偏氣の國なれば其敎とする處、邪僻にして人倫明かならざる事多し、 神州と漢土とは東海に臨める地勢にして、

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