玉勝間 / 四の巻 世の人かざりにはからるるたとひ
皇國と外國とのやうを、物にたとへて云はば、皇國の古は、顏よき人の、かたち衣服をもかざらず、唯だ在りにて在るが如く、外國は、醜き女の、いみしく髮かほをつくり、びびしき衣服を着かざりたるが如くなるを、遠くて見る時は、まことのかたちの善き惡しきは、わかれずして、唯だそのかざりつくろへるかたぞ、まさりて見ゆめるを、世の人、近くよりて、まことの美醜きを見ることを知らず、唯だ遠目にのみ見て、外國のかざりをしも、うるはしと思ふは、いかにぞや。すべて漢國などは、よろづの事、實は惡しきが故に、それをおほひ隱さむとてこそ、さまざまにかざりつくるには有けれ。
新字:皇国と外国とのやうを、物にたとへて云はば、皇国の古は、顔よき人の、かたち衣服をもかざらず、唯だ在りにて在るが如く、外国は、醜き女の、いみしく髪かほをつくり、びびしき衣服を着かざりたるが如くなるを、遠くて見る時は、まことのかたちの善き悪しきは、わかれずして、唯だそのかざりつくろへるかたぞ、まさりて見ゆめるを、世の人、近くよりて、まことの美醜きを見ることを知らず、唯だ遠目にのみ見て、外国のかざりをしも、うるはしと思ふは、いかにぞや。すべて漢国などは、よろづの事、実は悪しきが故に、それをおほひ隠さむとてこそ、さまざまにかざりつくるには有けれ。
書き下し
皇国と外国とのようを、物にたとえて云わば、皇国の古は、顔よき人の、かたち衣服をもかざらず、ただ在りにて在るが如く、外国は、醜き女の、いみしく髪かおをつくり、びびしき衣服を着かざりたるが如くなるを、遠くて見る時は、まことのかたちの善き悪しきは、わかれずして、ただそのかざりつくろえるかたぞ、まさりて見ゆめるを、世の人、近くよりて、まことの美醜きを見ることを知らず、ただ遠目にのみ見て、外国のかざりをしも、うるわしと思うは、いかにぞや。すべて漢国などは、よろづの事、実は悪しきが故に、それをおおい隠さむとてこそ、さまざまにかざりつくるには有りけれ。
現代語訳
皇国と外国との様子を物にたとえて言えば、皇国の古は、顔立ちのよい人が、容姿も衣服も飾らず、ただありのままでいるようなものであり、外国は、醜い女が、ひどく髪や顔を作り、華やかな衣服を着飾っているようなものである。それを遠くから見るときは、本当の容姿の善し悪しは見分けられず、ただその飾り繕った方が勝って見えるようだが、世の人は、近くに寄って本当の美醜を見ることを知らず、ただ遠目にだけ見て、外国の飾りこそを美しいと思うのは、いかがなものか。およそ漢国などは、万事、実質が悪いので、それを覆い隠そうとして、さまざまに飾り立てるのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 仏の前のもり物のたとへかのいみしくかざり立てたる盛り物と、うわべの見る目こそ有らめ、まことにはいづれか清くまさりたらむ。すべて皇国は、もとよりの質の美きが故に、古は、その質の美きにまかせて、虚文をかざる事無かりき。文をかざらざるが故に、質のうるわしきが損う事も無かりき。外国は、質悪きがゆえに、虚文をかりて、しいて美くせむとせし物なり。さてもろこしに、文質彬彬と云うを、善き事にすめれども、必ず文にはうつりやすく、質にはかえり難きならいなれば、彬彬は必ず久しくはたもちがたくして、ようように虚文にのみ成りもて行きて、質を失う基なり。されば質の美しからむには、そを守りて、虚文を加えざらむこそ、長く久しかるべき為わざには有りけれ。
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『玉勝間』七の巻 唐の国人あだし国ある事を知らざりし事かくてそのよく知れる胡国などは、いたずらに広きのみにして、いといやしく悪ろき国なるを、つねに見しり聞き知りては、他国はいずれも皆、かかる物とのみ思えりしから、何事もただ尊きは、吾ひとりと、みだりにほこれるなり。古あだし国の事を、弘く知らざりし程こそ、さも有らめ、近き世になりて、遠き国々の事も、皆よく知られても、なお古よりの癖を、改むる事無く、今に同じさまに、ほこりおるなるを、皇国にても、学問をもする人は、今は万の国々の事をも、大かた知りたるべきに、なお昔よりの癖にて、もろこし人のみだりごとを信じて、ひたぶるに彼の国を尊みて、何事も皆、彼の国より始まれるように思い、彼の国より外に、国は無きごと心得居るは、いかなるまどいぞや。
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