玉勝間 / 四の巻 熊神籬
或人、垂仁紀に、新羅ノ王子天ノ日槍が持てまうで來つる寶物の中に、熊神籬一具と有るは、いかなる物にかと問ふに、答へけらく。クマヒモロギと讀むべし、クマノとノを添て讀むは惡ろし。さて熊は借字にて、隈隱などと同言にて、隱れこもりて、露ならぬを云ふ。さてこは、韓國にて神を祭るに、其神ノ體を坐する具にて、世に佛ノ像を入れおく、廚子と云ふ物などの如く作りたる物なるべし。そは皇國の神籬とはやう變りて、外をかこみて、內のあらはに見えず、隱れる故に、クマヒモロギと、皇國にて名づけたるなるべし。もとより神籬のさまには有らざれども、神の御かたを坐する物なる故に、其名を負せたるなり。
新字:或人、垂仁紀に、新羅ノ王子天ノ日槍が持てまうで来つる宝物の中に、熊神籬一具と有るは、いかなる物にかと問ふに、答へけらく。クマヒモロギと読むべし、クマノとノを添て読むは悪ろし。さて熊は借字にて、隈隠などと同言にて、隠れこもりて、露ならぬを云ふ。さてこは、韓国にて神を祭るに、其神ノ体を坐する具にて、世に仏ノ像を入れおく、廚子と云ふ物などの如く作りたる物なるべし。そは皇国の神籬とはやう変りて、外をかこみて、内のあらはに見えず、隠れる故に、クマヒモロギと、皇国にて名づけたるなるべし。もとより神籬のさまには有らざれども、神の御かたを坐する物なる故に、其名を負せたるなり。
書き下し
ある人、垂仁紀に、新羅の王子天の日槍が持ちてもうで来つる宝物の中に、熊神籬一具と有るは、いかなる物にかと問うに、答えけらく。クマヒモロギと読むべし、クマノとノを添えて読むは悪ろし。さて熊は借字にて、隈・隠などと同じ言にて、隠れこもりて、露ならぬを云う。さてこは、韓国にて神を祭るに、その神の体を坐する具にて、世に仏の像を入れおく、厨子と云う物などの如く作りたる物なるべし。そは皇国の神籬とはよう変わりて、外をかこみて、内のあらわに見えず、隠れる故に、クマヒモロギと、皇国にて名づけたるなるべし。もとより神籬のさまには有らざれども、神の御かたを坐する物なる故に、その名を負わせたるなり。
現代語訳
ある人が、垂仁紀に、新羅の王子の天日槍(あめのひぼこ)が持って参上した宝物の中に「熊神籬一具」とあるのは、どういう物かと尋ねたので、こう答えた。「クマヒモロギ」と読むべきであり、「クマノ」と「ノ」を添えて読むのは良くない。さて「熊」は借字であって、「隈」「隠」などと同じ言葉であり、隠れこもって、あらわでないことを言う。さてこれは、韓国で神を祭る際に、その神体を安置する道具であって、世間で仏像を入れておく厨子というものなどのように作った物であろう。それは皇国の神籬(ひもろぎ)とはだいぶ様子が違っていて、外を囲んで中があらわに見えず隠れているので、「クマヒモロギ」と皇国で名づけたのであろう。もとより神籬の姿ではないけれども、神の御姿を安置する物であるので、その名を負わせたのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 崇神紀なる小児の神託の詞ある人の、崇神紀六十年云々のところに見えたる、丹波の氷上の人氷香戸辺が小児の、神託の辞の意はいかにと問えるに答えたる。玉萎鎮石、出雲人の祭る、真種の甘美鏡、押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主、山河の水泳る御魂、静め挂けよ甘美御神、底宝御宝主、斯く訓むべし。今の本のごとく訓みては、むげに聞こえぬ事なり。しづかしは、行くをゆかし、佩くをはかしなど云う格にて、しづきを延べたる詞にて、玉藻しづき厳藻、と云う意につづきたる、出雲の序なり。厳は清らかなる意にて、水底にしづく玉藻の、清らかなるよしなり。真種の意は、いまだ考え得ず。おしはぶれとは、鏡をおしふり挙げて祭れと云うことなり。底実は、宝の至極と云うなり、すべて物の至り極まるところを、底と云う。甘美は底宝へ係れり、御神には係らず。御宝主は宝の主人にて、司長のよしなり。これみな鏡を褒めたたえたる詞なり。御魂は御玉にて、山川の底なる玉を云う。しづめかけよは、鎮め掛けて祭れとなり。甘美御神云々は、鏡と同じく、玉をほめたたえたるなり。すべての意は、神宝の至極長なる鏡と玉とを以て、出雲の臣これを祭るべしとなり。
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『玉勝間』十四の巻 こまのこきしを神子と詔り給へる事同じく孝徳天皇の御巻、高麗国の使に詔える大命に、明神と御宇す日本天皇の詔旨、天皇の遣わす所の使と、高麗の神の子の奉遣する所の使と云云、かの国王を、神の子とのたまえり。これも神とは、はじめ国を建てし神を云いて、子はその末のよしか、はた御みずから明神と詔えるに対えて、天皇の子と、親しみて詔えるか。いずれにまれ漢文の詔に、めずらしくおむかしき称にぞ有りける。
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『玉勝間』六の巻 岩くらうつ同じ百首に榊兼昌、「いこま山手向はこれか木の本に岩くらうちて榊たてたり。この下句、神代の巻に、神籬磐境と有る物のさまと聞こゆ。いわくらうつとは、磐をもて座をかまうる意なるべし。
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『玉勝間』四の巻 撞賢木厳之御魂ある人、神功紀に、撞賢木厳之御魂とあるは、いかなる義ぞと問うに、答えたる。撞は借字にて、斎賢木の意にて、厳と云わむ料の枕詞なり。厳は忌み清めたる義なれば、忌み清めいつく賢木のよしなり、厳橿と云うに同じ。さて厳之御魂とは、天照大御神は、伊邪那岐の大神の、檍原の御禊に成り出でましまして、清らかなる御魂に坐すよしなり。
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