玉勝間 / 四の巻 あかもがさ
又布引ノ瀧ノ卷に、あかもがさ出できたる事見えて、五十三年に出できたれば、老たる若きと無く、おやこも分かず、一度に病みければ、おきたる人すくなくぞ有けるとあり。此度も人多く失せたり。これは元曆元年にて、さきの萬壽二年より、五十三年にあたれり。赤もがさは、今の世にはしかと云ふ瘡なり。
新字:又布引ノ滝ノ巻に、あかもがさ出できたる事見えて、五十三年に出できたれば、老たる若きと無く、おやこも分かず、一度に病みければ、おきたる人すくなくぞ有けるとあり。此度も人多く失せたり。これは元暦元年にて、さきの万寿二年より、五十三年にあたれり。赤もがさは、今の世にはしかと云ふ瘡なり。
書き下し
また布引の滝の巻に、あかもがさ出で来たる事見えて、五十三年に出で来たれば、老いたる若きと無く、おやこも分かず、一度に病みければ、おきたる人すくなくぞ有りけるとあり。この度も人多く失せたり。これは元暦元年にて、さきの万寿二年より、五十三年にあたれり。赤もがさは、今の世にはしかと云う瘡なり。
現代語訳
また布引の滝の巻に、あかもがさが出た事が見えて、「五十三年ぶりに出たので、老いも若きもなく、親も子も区別なく一度に病んだので、起きている人は少なかった」とある。このときも多くの人が亡くなった。これは元暦元年のことで、前の万寿二年から五十三年に当たる。赤もがさとは、今の世に「はしか」という瘡である。
解説
前段に続き、あかもがさの三度目の流行を栄華物語の布引の滝の巻から拾い、結論として、それが今の世の「はしか」だと明かす一段である。物語は、五十三年ぶりの流行だったため、老若も親子も区別なく一度に病み、起きている人が少なかったと記す。前の流行から間が空くと、かかったことのない人が一斉に病む。前段で見た「初めのとき病まなかった人が今度病んだ」という記述と合わせると、麻疹が一度かかれば二度とはかからない病であることが、古い記録からも読み取れる。宣長は松坂で町医者を営んでいた。病の名と記録を結びつける関心には、医者としての目も働いていたのだろう。古い記録は、過去の人々の暮らしと苦しみを今に伝える資料でもある。
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 あかもがさ日本紀略に云う、長徳四年七月、天下の衆庶疱瘡を煩う、世これを稲目瘡と号す、また赤疱瘡と号す、天下この病を免るる者無し、ただ前信濃守佐伯公行、この病を患えず、また云く、今年天下、夏より冬に至るまで、疫瘡遍く発る、六七月の間、京師の男女、死する者甚だ多し、下人は死せず、四位已下の人の妻最も甚だし、これを赤斑瘡と謂う、主上より始めて、庶人に至るまで、上下老少、この瘡を免るる無し、ただ前信濃守公行のみ患えず、と見えたり。稲目瘡と名づけたるは、蘇我の稲目の大臣の事を思いてなるべし。書紀の欽明の御巻十三年、疫気のおこりし事考うべし。また敏達の御巻に、十四年、天皇と大連と卒かに瘡を患う云々、また瘡発りて死ぬる者国に充ち盈つ、その瘡を患う者、身焼かるるが如く打たるるが如く摧かるるが如しと言いて、啼泣きて死ぬ、老少竊かに相謂いて曰く、これ仏像を焼きし罪なり、とあるも、あかもがさにや有りけん。この瘡の事、栄華物語浦々の別の巻に、今年例のもがさにはあらで、いと赤き瘡のこまかなる出で来て、老いたる若き上下わかず、これを病みののしりて、やがていたづらに成るたぐいもあるべし云々と有る。これかの長徳四年のたびの事なり。また峰の月の巻にも、ことしはあかもがさと云う物いで来て、上中下わかず病みののしるに、初めのたびやまぬ人の、このたび病むなりけり云々、これは万寿二年の事なり。はじめの度と云えるは、長徳四年にて、それより二十七年後なり。
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『玉勝間』十四の巻 裳瘡続紀に天平七年、夏より冬に至るまで、天下豌豆瘡を患う、(俗に裳瘡と曰う)夭死する者多し。これ皇国にて裳瘡のはじめか。されどここの記しざまは、はじめてとも聞こえざるが如し。また延暦九年にも、この年秋冬、京畿の男女、年三十已下の者、悉く豌豆瘡を発し、(俗に裳瘡と云う)疾に臥す者多く、その甚だしき者は死す、天下諸国、往々にして在りと見ゆ。垸の字は、豌を誤れるなるべし。この瘡の名、これより後の書には、皰瘡と云えり。皰疱同じ事なり。今の世にも、ほうそうと云う。又いもと云う。されば昔もがさと云えるは、いもがさの省きか。
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『玉勝間』三の巻 福来病日本紀略に云う、天徳三年云云、今年人民頸腫る、世に福来病と号す、と見えたり。頸のふくらかなるより、かく云いなせしなるべし。長元二年九月十日ごろにも、又此病世におこりき。
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『玉勝間』八の巻 しぬるを病死と云ふ事今の世、おおやけざまの文書などには、人の死ぬるを、病死と云うことなり。そもそも人は、病ならで死ぬるは、百千の中に、稀れに一人二人などこそ有べけれ、おしなべては、みな病て死ぬる事なれば、それをとり分けては云わでも有ぬべく覚ゆるを、これは昔みだれ世の頃は、戦いて死ぬるもの多かりし故に、病死は病死と、分けて云えりし時のならいのままなるべし。
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『玉勝間』八の巻 はなたり病同じ記に、日来鼻垂の疾を患い、俄に身温まる、また鼻垂に依りて念珠せず、但し今日は温気無きなり、また鼻垂の後始めて念珠す(夜前浴す)など見えたり。風を引きたるを云うと聞ゆ。昨夜を夜前と云うことも、是れに見ゆ。
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