玉勝間 / 三の巻 夢を壁と詠める歌
後撰集戀一に、源ノおほきが通ひ侍けるを、後後はまからずなり侍ければ、となりの壁の穴より、おほきをはつかに見て、つかはしける、駿河、「まどろまぬ壁にも人を見つるかなまさしからなむ春の夜の夢。金葉集雜上に、男の無かりける夜、こと人を、つぼねに入れたりけるに、もとの男まうで來あひたりければ、騒ぎて、かたはらのつぼねの、壁のくづれよりくぐりて、逃しやりて、又の日、その逃したるつぼねのぬしのがり、よべの壁こそ、嬉しかりしかなど、云ひにつかはしたりければ、詠める。詠み人しらず、「ねぬる夜のかべさわがしく見えしかどわがちがふれば事無かりけり。此歌は、にがしたる局の主の詠めるなり。ちがふればとは、惡しき夢を見たるを、たがへて善きに成すわざを云ふ詞なり。源賴政ノ卿ノ家集に、岡崎ノ三位入道の許に、かべに瀧のかた書て、その瀧の下より、まことの水を、おとしつぎたり、遠くて見れば、唯だ同じ水の落たるやうに見えしを、見てまかり歸りて、つかはしける。「うつつにもかべにも同じ瀧を見てねても覺めても忘られぬかな。返し、「夢の世にかべより落る瀧の糸を君が心にかけけりやさは。
新字:後撰集恋一に、源ノおほきが通ひ侍けるを、後後はまからずなり侍ければ、となりの壁の穴より、おほきをはつかに見て、つかはしける、駿河、「まどろまぬ壁にも人を見つるかなまさしからなむ春の夜の夢。金葉集雑上に、男の無かりける夜、こと人を、つぼねに入れたりけるに、もとの男まうで来あひたりければ、騒ぎて、かたはらのつぼねの、壁のくづれよりくぐりて、逃しやりて、又の日、その逃したるつぼねのぬしのがり、よべの壁こそ、嬉しかりしかなど、云ひにつかはしたりければ、詠める。詠み人しらず、「ねぬる夜のかべさわがしく見えしかどわがちがふれば事無かりけり。此歌は、にがしたる局の主の詠めるなり。ちがふればとは、悪しき夢を見たるを、たがへて善きに成すわざを云ふ詞なり。源頼政ノ卿ノ家集に、岡崎ノ三位入道の許に、かべに滝のかた書て、その滝の下より、まことの水を、おとしつぎたり、遠くて見れば、唯だ同じ水の落たるやうに見えしを、見てまかり帰りて、つかはしける。「うつつにもかべにも同じ滝を見てねても覚めても忘られぬかな。返し、「夢の世にかべより落る滝の糸を君が心にかけけりやさは。
書き下し
後撰集恋一に、源のおおきが通い侍りけるを、後後はまからずなり侍りければ、となりの壁の穴より、おおきをはつかに見て、つかわしける、駿河、「まどろまぬ壁にも人を見つるかなまさしからなむ春の夜の夢。金葉集雑上に、男の無かりける夜、こと人を、つぼねに入れたりけるに、もとの男もうで来あいたりければ、騒ぎて、かたわらのつぼねの、壁のくずれよりくぐりて、逃しやりて、又の日、その逃したるつぼねのぬしのがり、よべの壁こそ、嬉しかりしかなど、云いにつかわしたりければ、詠める。詠み人しらず、「ねぬる夜のかべさわがしく見えしかどわがちがうれば事無かりけり。此歌は、にがしたる局の主の詠めるなり。ちがうればとは、悪しき夢を見たるを、たがえて善きに成すわざを云う詞なり。源頼政の卿の家集に、岡崎の三位入道の許に、かべに滝のかた書きて、その滝の下より、まことの水を、おとしつぎたり、遠くて見れば、唯だ同じ水の落ちたるように見えしを、見てまかり帰りて、つかわしける。「うつつにもかべにも同じ滝を見てねても覚めても忘られぬかな。返し、「夢の世にかべより落つる滝の糸を君が心にかけけりやさは。
現代語訳
後撰集の恋の部一に、「源おおきが通っておりましたのに、後々は来なくなりましたので、隣の壁の穴からおおきをちらりと見て、送った歌」として、駿河の「まどろんでもいないのに、壁(夢)にあの人を見たことだ。正夢であってほしい、春の夜の夢よ」がある。金葉集の雑の部上に、「男が来なかった夜に別の人を局に入れていたところ、もとの男が来合わせたので、慌てて隣の局の壁の崩れからくぐらせて逃がしてやり、翌日、その逃がしてくれた局の主のもとへ『昨夜の壁(夢)はうれしかった』などと言いにやったところ、詠んだ歌」として、詠み人知らずの「寝た夜の壁(夢)は騒がしく見えたけれど、私が違えたので事無く済んだことだ」がある。この歌は、逃がしてやった局の主が詠んだのである。「ちがうれば」とは、悪い夢を見たのを、違えて良いものにする呪いの業を言う言葉である。源頼政卿の家集に、「岡崎三位入道のもとで、壁に滝の絵を描いて、その滝の下から本物の水を落とし継いでいた。遠くから見るとまったく同じ水が落ちているように見えたのを見て帰って、送った歌」として、「現実にも壁(夢)にも同じ滝を見て、寝ても覚めても忘れられないことだ」がある。その返しは「夢のようなこの世に、壁から落ちる滝の糸を、あなたは心に掛けたのか、それでは」である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』三の巻 夢を壁と詠める歌夢をかべと詠める歌、これらの外にも、なお有りしようにおぼゆるを、え思い出でず。思い出でたらむ時に、又も書き出でてむかし。おかしきふし多かる書だに、巻の長きは、春の日のくれがたきここちのすめれば、ましてと、これは秋の日にて、残れる事どもは、次次の巻にぞ。
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『玉勝間』六の巻 夢のうき橋夢の浮橋と云うは、古き歌に、「世の中は夢のわたりのうきはしか、うち渡しつつ物をこそ思え、と有るより出でたることにて、夢の渡りの浮橋と云うは、万葉三の巻に、「吾が行きは久にはあらじ夢乃和太瀬とはならずて淵にてあれも、また七の巻に、芳野にて作るとて、「夢乃和太ことにし有りけりうつつにも見て来し物を思いし思えば、など見えて、吉野川に有る、夢のわだと云う名所にて、そこに渡せる浮橋なり。懐風藻に、吉田連宜が、従駕吉野宮の詩に、夢淵と作れるも、この所なり。さてかの世の中はの歌は、いずれの集に出でたるかは知らねども、河海抄に引かれたり。歌の意は、うき橋を渡らむとすれども、いとあやうき橋なれば、恐ろしさに、渡りわずらいて、ただ見渡しつつ、もの思うを、世の中のうきに、ながめして物思う譬えに云えるか。うち渡しと云うは、向かいを見渡す事なるを、うきにながめするに兼ねたり。または、二三の句は、ただ打渡しと云うたとえのみにても有るべし。そは何れにも有れ、夢のわだと云う、吉野の名所なるを、源氏の物がたりに、巻の名とせるは、夢の事にとれるなり。同じ物語薄雲の巻の詞に、夢のわたりのうきはしかとのみ、うちなげかれてと云えるも、ただ夢かと云う事なり。
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『玉勝間』十三の巻 ぬばたまむばたま同抄に、天徳歌合に、「むばたまのよるの夢だにまさしくは、我思う事をと、中務が詠める歌を、小野宮の左大臣判者にて、よるをば、ぬばたまとこそ云えとて、この歌を、まけに判ぜられたりと有り。この判者の難は、すべてぬばたまと云うべきを、むばたまと云えるを、ひがことと云うにや。然らば古の意にてよろし。もし又よるをばぬばたまと云い、夢をばむばたまと云うなど云う説につきての難か。然らば中中にひがことなり。
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『玉勝間』十四の巻 後撰集拾遺集のうた後撰集冬の歌、「この月の年のあまりにたたざらば、鶯ははや鳴きぞしなまし、この歌は、十二月に閏月の有りけるに詠めるにて、この月は閏十二月なり。年のあまりにたつとは、十二月の一年に余りて、閏月の有るよしなり。立つとは、月の来るを云う。一うたの意は、この閏月の無くは、はや正月なるべければ、鶯は鳴くべきものをと詠めるなり。抄の説誤りなり。三の句たらざらばと有る本も、誤りなり。又恋の四に、「大島の水をはこびし早船の、はやくも人に逢い見てしがな、初めの句ののもじ、今の本に、にと書けるは誤りなり。又二の句、水をば恋しと書けるも、ひがことなり。船して清水を京に運びし例、古事記の仁徳天皇の段に見ゆ。又恋の五に、「かくばかり深き色にもうつろうを猶君きくの花といわなむ、きくとは、諾と云いて、こなたの云うことを、聴きいるる意に云いかけたるなり。又雑の二に、みかどに奉り給いける嵯峨の后「うつろわぬ心の深く有りければ、ここらある花春にあえること、上の句は、御みずからの、みかどをおき奉りて、外へ心をうつし給わぬよしなり。下の句は、ここらの女御更衣たちおわする中に、とり分けて、大御めぐみを深くこうむる事よとなり。四の句、本に、ちる花とあるは誤りなり。
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『玉勝間』十三の巻 万葉集に山ノ字を玉に誤れる例万葉集に、山の字を玉に誤れる例多し。草書にては、山と玉とよく似たる故なり。二の巻に、「三吉野の玉松が枝は」云云、十五の巻に、やままつかげにともあり。玉は山を誤れることしるし。然るを後の歌に、玉松と詠めるは、この歌によれるにて、皆ひがことなり。玉松と云うことは、有る事無し。又同じ二の巻に、「人はよし思いやむとも玉かずら影に見えつつ」云云、こは山かずらは、日かげかずらのことにて、影の枕詞に置けるなり。山かずら日かげとつづく意にて、十四の巻に、あしひきの山かずらかげと詠めるかげに同じ。十八の巻にも、かずらかげと有り、みなかげは日かげのかずらの事なり。然るを後の世に、この玉かずらを、山かずらの誤りなる事を知らずして、影と続きたるを、懸の意と心得たるは、ひがことなり。又十三の巻に、「斎串立て」云云「雲聚の玉蔭見ればともしも」、こはうずに垂れたる日かげのかずらなり。十六の巻に、「あしひきの玉かずらの児」とあるは、あしひきのとあれば、山なること論無し。即ち「玉久世の清き河原」云云と云う歌も、ならべる歌には、山かずらの児とあり。さて件の例どもによりて思えば、十一の巻に、山代の久世の河原なりけむを、山を玉に、能を清に誤り、代を脱せるにこそ。玉久世と云うことは、有るべくも覚えず。
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『玉勝間』六の巻 夢のうき橋然れば紫式部は、名所なる事を知らずして、かの歌なるをも、夢の事と思い誤れるにやあらん。このもの語に、夢の事として、巻の名につけたるより後は、ひたすら夢の事となれり。狭衣の歌にも、「はかなしや夢のわたりの浮はしをたのむ心の絶えもはてぬよ。
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