玉勝間 / 三の巻 妖ノ字の事
鎭火ノ祭ノ祝詞に、伊邪那美ノ命の御言に、伊邪那岐ノ命を、吾奈妖乃命、また吾名妖乃命とあり、又その上の文に、妹背二柱とある、背ノ字も、書紀ノ釋元元集などに引るには、妖とあれば、古き本に然か有しなるべし。さて和名抄備中ノ國賀夜ノ郡の郷ノ名に、庭妹と書て、爾比世としるしたるあり、今ノ世に庭瀨と云ふ所なり。此妹ノ字も、妖を誤れるなり。又同國下道ノ郡吳妹、下野ノ國芳賀ノ郡に、廣妹遠妹など云ふ郷ノ名あり、これらは讀をしるさざれば、いかならん知られねども、妹ノ字なるに、イモとよまずして、セと假字をつけたる、まことにセなるべく聞ゆる名どもなり。それにとりて、又備中ノ國下道ノ郡に、弟翳と書て、勢と讀む郷ノ名も有るに准ふれば、これらも妹と書て、セなるにやとも思はるれど、古、男女の兄弟のあひだにて、女は、男をば、勢と云ひし例なれば、弟をも、かの弟ノ字は、さるよしなど有て、負たる名とせば、云はれたるを、妹と書て、セと讀むべきよしは、さらに無ければ、皆妖ノ字を寫し誤れる事しるし。又源平盛衰記に、平家の侍に、妹尾太郞と云ふ有リ。これも同じ。妖ノ字は目馴れぬ故に、みな斯く妹に誤れるなり。
新字:鎮火ノ祭ノ祝詞に、伊邪那美ノ命の御言に、伊邪那岐ノ命を、吾奈妖乃命、また吾名妖乃命とあり、又その上の文に、妹背二柱とある、背ノ字も、書紀ノ釈元元集などに引るには、妖とあれば、古き本に然か有しなるべし。さて和名抄備中ノ国賀夜ノ郡の郷ノ名に、庭妹と書て、爾比世としるしたるあり、今ノ世に庭瀨と云ふ所なり。此妹ノ字も、妖を誤れるなり。又同国下道ノ郡呉妹、下野ノ国芳賀ノ郡に、広妹遠妹など云ふ郷ノ名あり、これらは読をしるさざれば、いかならん知られねども、妹ノ字なるに、イモとよまずして、セと仮字をつけたる、まことにセなるべく聞ゆる名どもなり。それにとりて、又備中ノ国下道ノ郡に、弟翳と書て、勢と読む郷ノ名も有るに准ふれば、これらも妹と書て、セなるにやとも思はるれど、古、男女の兄弟のあひだにて、女は、男をば、勢と云ひし例なれば、弟をも、かの弟ノ字は、さるよしなど有て、負たる名とせば、云はれたるを、妹と書て、セと読むべきよしは、さらに無ければ、皆妖ノ字を写し誤れる事しるし。又源平盛衰記に、平家の侍に、妹尾太郎と云ふ有リ。これも同じ。妖ノ字は目馴れぬ故に、みな斯く妹に誤れるなり。
書き下し
鎮火の祭の祝詞に、伊邪那美の命の御言に、伊邪那岐の命を、吾奈妖乃命、また吾名妖乃命とあり、又その上の文に、妹背二柱とある、背の字も、書紀の釈・元元集などに引けるには、妖とあれば、古き本に然か有りしなるべし。さて和名抄備中の国賀夜の郡の郷の名に、庭妹と書きて、爾比世としるしたるあり、今の世に庭瀬と云う所なり。此妹の字も、妖を誤れるなり。又同国下道の郡呉妹、下野の国芳賀の郡に、広妹遠妹など云う郷の名あり、これらは読をしるさざれば、いかならん知られねども、妹の字なるに、イモとよまずして、セと仮字をつけたる、まことにセなるべく聞こゆる名どもなり。それにとりて、又備中の国下道の郡に、弟翳と書きて、勢と読む郷の名も有るに准うれば、これらも妹と書きて、セなるにやとも思わるれど、古、男女の兄弟のあいだにて、女は、男をば、勢と云いし例なれば、弟をも、かの弟の字は、さるよしなど有りて、負いたる名とせば、云われたるを、妹と書きて、セと読むべきよしは、さらに無ければ、皆妖の字を写し誤れる事しるし。又源平盛衰記に、平家の侍に、妹尾太郎と云う有り。これも同じ。妖の字は目馴れぬ故に、みなかく妹に誤れるなり。
現代語訳
鎮火祭の祝詞に、伊邪那美命のお言葉で伊邪那岐命のことを「吾奈妖乃命(あがなせのみこと)」、また「吾名妖乃命」とあり、またその上の文に「妹背二柱」とある「背」の字も、『釈日本紀』や『元元集』などに引いているものには「妖」とあるので、古い本にはそうあったのであろう。さて『和名抄』の備中国賀夜郡の郷の名に「庭妹」と書いて「にいせ」と記したものがあり、今の世に庭瀬という所である。この「妹」の字も「妖」を誤ったものである。また同じ国の下道郡の「呉妹」、下野国芳賀郡に「広妹」「遠妹」などという郷の名がある。これらは読みを記していないのでどう読むか分からないが、「妹」の字なのに「イモ」と読まず「セ」と仮名を付けているのは、本当に「セ」であるように聞こえる名である。それについて、また備中国下道郡に「弟翳」と書いて「セ」と読む郷の名もあることに準じて考えれば、これらも「妹」と書いて「セ」と読むのかとも思われるが、昔、男女の兄弟の間で、女は男を「セ」と言った例であるから、「弟」の字の方は、そういう理由などがあって負った名とすれば説明がつくが、「妹」と書いて「セ」と読むべき理由はまったく無いので、みな「妖」の字を写し誤ったことは明らかである。また『源平盛衰記』に、平家の侍に妹尾太郎(せのおたろう)という者がいる。これも同じである。「妖」の字は見慣れないので、みなこのように「妹」に誤ったのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』三の巻 妖ノ字の事又同じ盛衰記に、平の時忠の卿の事を云える所に、故建春門院の御妖にておわしまししかばと、これには、せうとに妖の字を書きたり。そもそも此字は、妹にむかえて、夫、兄の意に、皇国にて古、造れる字と見えたり、さるたぐい外にも多し。字書を考うるに、此字、漢国にも有れども、夫兄などの義は、かつて無き字なり。
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『玉勝間』八の巻 とつぐとつぐは嫁の字をよむ故に、ただ女の男にあう方にのみつかえども、さに有らず。鎮火祭の祝詞に、神いざなぎいざなみの命、妹背二柱とつぎ給いて云云、と有りて、ただ男女逢う事なれば、いず方よりも云う事なり。古今著聞集に、天野の遠景と云う者の事を云える条に。渡辺にて、番が妹にとつぎにけりと、男の方にも云えり。其頃まで、此言、古えの意を失わざりしなり。
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『玉勝間』五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つむかし男久しう云云、真名本に、云えりければの下に、女とあり。むかし女の、あだなる男の云云、女のの、の文字、ひが事なり。すべてのちょう辞は、心得有りて、おくべき所と、必ず置くまじき所との有る事なるを、これはさるわきまえをも知らぬ、後の人の、何心も無く加えたるなるべし。真名本に、女のと云う事無し。それも女と云う言足らず。むかし男、女のまだ世へずと云云、このくだり詞ととのわず。物聞えたるを、後に聞きて、などこそ有るべけれ。
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『玉勝間』五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つ女はを、嫗はおの仮字にて、分かるるなり。又つけると云う詞もいかが。真名本に、世営と書けり。よこころあると訓むべし。色好む心の有る老女なり。あいえてしも、同じ本に、あい見てしと有るよろし。その次の詞も、かの本よろし。出でたつけしきは、男のなさけ有りて、嫗のがりゆかむと思いて、出でたつなり。いずくなりけん、けんと云う詞いかが。いずくなるらんと、など有るべきにや。もし又けんをたすけて云わば、物語の地の詞として、いずくにての事なりけんと見るべし。昔男いせの国なりける女云云、真字本に、女をと有るよろし。むかしそこには云云、真字本に、昔男と有り。むかし男、いせの国にいていきて云云、こは本は、いせの国なる女に、京にいていきて云云、と有りしが、二文字の重なれるによりて、京にと云う事の、後に落ちたるなり。次なる歌ども、必ず伊勢なる女とこそ聞えたれ。「いわまより云云、この歌の四の句、解き得たる人無し。しおいしおみちは、とまれかくまれと云う意なるを、海の詞にて云えるのみなり。今はともかくもあれ、末ついにはかい有りて、逢う事も有らんと云えるなり。きょうの御わざを題にての、きょうのは、その日のと有るべき言なり。
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『玉勝間』九の巻 妹背山そは万葉三の巻に、かけまくほしき妹の名を、このせの山にかけばいかに有らむ、又このせの山を妹とはよばじ、など、兄の山と云う名につきて、妹と云う事をも詠めれば、又妹山と云うことをも、もうけて、歌のふしとせるなるべし。されば背の山の事は、たしかに詠めれど、妹山の事とては、さして詠める歌見えず。ただ妹とせの山、いもせの山、或るは妹の山せの山越えて、などのみ詠める、皆兄の山につきての詞のあやに、妹山とも云えるごと聞こえて、兄の山を云わずして、ただ妹の山をのみ詠めるは無し。七の巻に、紀道にこそ妹山有りといえと、ただ一つ詠めるも、ただ歌にこの名あるによりての事なるべし。又七の巻に、せの山にただに向かえる妹の山、ことゆるせやもうち橋わたす、と云う歌も、兄の山を越ゆる時に、谷川などに、かりそめなる橋を渡せる所を見て、そのあたりにならべる山を、かりに妹山として、かくは詠めるなるべし。かの紀路にこそと云える歌の末、二上山も妹こそ有りけれ、と詠めるも、二上山に、まことに妹と云うが有るには有らねど、峰二つ有るによりて、設けてさは詠みつるなれば、紀の国なるも兄の山と云う名につきて、さも云うべき事なり。
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『玉勝間』九の巻 妹背山なお妹山と云う山は、まことには無き事と思わるるは、今にいたるまで、兄山はたしかにて、背山村と云うさえ有るを、妹山は、まぎらわしくして、定かならず。その故はまず上に引ける袖中抄などは、ただ古今集の歌によりて、大よそに云えるなれば、証にはなりがたし。契沖が云えるようも、なおおおよそなるを、かの或る書に云えるは、こまやかなれど、紀の川の南の辺に在りと云えるは、いずれの山を指して云えるにか、なおまぎらわし。こは思うに、紀の川の川中に有る岩山を云えるなるべし。然るにおのれ船よりこの川を下りける時、見けるに、その山は、川中ながらも北の岸にちかき所に在りて、水は山の南の腰を流るれば、川の南の辺と云える事たがえり。そは川瀬の移りたるにやとも思えど、なおこれも古今集の歌にかなえむとて、南の辺とは、云いまぎらかし置きつるにや。又まぎらわしきは、貝原の篤信がいわく。名手の瀬の山にいたりて云云、もし妹背山この所ならば向かいは妹山なるべきに、妹山と云うべき山無し、この山は、川瀬の中に在れば、瀬の山なり、妹背山にあらずと云えり。然れば、そのころ里人なども、この川中なるをせの山と云えるにや。
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