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玉勝間 / 九の巻 妹背山

猶妹山と云ふ山は、まことには無き事と思はるるは、今にいたるまで、兄山はたしかにて、背山村と云ふさへ有るを、妹山は、まぎらはしくして、定かならず。其故はまづ上に引る袖中抄などは、唯た古今集の歌によりて、大よそに云へるなれば、證にはなりがたし。契沖が云へるやうも、猶おほよそなるを、かの或書に云へるは、こまやかなれど、紀の川の南の邊に在りと云へるは、いづれの山を指して云へるにか、猶まぎらはし。こは思ふに、紀の川の川中に有る岩山を云へるなるべし。然るにおのれ船より此川を下りける時、見けるに、其山は、川中ながらも北の岸にちかき所に在て、水は山の南の腰を流るれば、川の南の邊と云へる事たがへり。そは川瀨の移りたるにやとも思へど、猶これも古今集の歌にかなへむとて、南ノ邊とは、云ひまぎらかし置きつるにや。又まぎらはしきは、貝原ノ篤信がいはく。名手の瀨の山にいたりて云云、もし妹背山此所ならば向ひは妹山なるべきに、妹山と云ふべき山無し、此山は、川瀨の中に在れば、瀨の山なり、妹背山にあらずと云へり。然れば、そのころ里人なども、此川中なるをせの山と云へるにや。

新字:猶妹山と云ふ山は、まことには無き事と思はるるは、今にいたるまで、兄山はたしかにて、背山村と云ふさへ有るを、妹山は、まぎらはしくして、定かならず。其故はまづ上に引る袖中抄などは、唯た古今集の歌によりて、大よそに云へるなれば、証にはなりがたし。契沖が云へるやうも、猶おほよそなるを、かの或書に云へるは、こまやかなれど、紀の川の南の辺に在りと云へるは、いづれの山を指して云へるにか、猶まぎらはし。こは思ふに、紀の川の川中に有る岩山を云へるなるべし。然るにおのれ船より此川を下りける時、見けるに、其山は、川中ながらも北の岸にちかき所に在て、水は山の南の腰を流るれば、川の南の辺と云へる事たがへり。そは川瀨の移りたるにやとも思へど、猶これも古今集の歌にかなへむとて、南ノ辺とは、云ひまぎらかし置きつるにや。又まぎらはしきは、貝原ノ篤信がいはく。名手の瀨の山にいたりて云云、もし妹背山此所ならば向ひは妹山なるべきに、妹山と云ふべき山無し、此山は、川瀨の中に在れば、瀨の山なり、妹背山にあらずと云へり。然れば、そのころ里人なども、此川中なるをせの山と云へるにや。

書き下し

なお妹山と云う山は、まことには無き事と思わるるは、今にいたるまで、兄山はたしかにて、背山村と云うさえ有るを、妹山は、まぎらわしくして、定かならず。その故はまず上に引ける袖中抄などは、ただ古今集の歌によりて、大よそに云えるなれば、証にはなりがたし。契沖が云えるようも、なおおおよそなるを、かの或る書に云えるは、こまやかなれど、紀の川の南の辺に在りと云えるは、いずれの山を指して云えるにか、なおまぎらわし。こは思うに、紀の川の川中に有る岩山を云えるなるべし。然るにおのれ船よりこの川を下りける時、見けるに、その山は、川中ながらも北の岸にちかき所に在りて、水は山の南の腰を流るれば、川の南の辺と云える事たがえり。そは川瀬の移りたるにやとも思えど、なおこれも古今集の歌にかなえむとて、南の辺とは、云いまぎらかし置きつるにや。又まぎらわしきは、貝原の篤信がいわく。名手の瀬の山にいたりて云云、もし妹背山この所ならば向かいは妹山なるべきに、妹山と云うべき山無し、この山は、川瀬の中に在れば、瀬の山なり、妹背山にあらずと云えり。然れば、そのころ里人なども、この川中なるをせの山と云えるにや。

現代語訳

なお妹山という山は本当はないことと思われるのは、今に至るまで兄山は確かで、背山村という村さえあるのに、妹山はまぎらわしくて定かでないからである。その理由は、まず上に引いた『袖中抄』などは、ただ『古今集』の歌によって大まかに言ったものなので、証拠にはなりがたい。契沖が言っている様子も、なお大まかであるが、あの或る書物に言っていることは詳しいけれども、紀の川の南岸にあると言っているのは、どの山を指して言ったのか、なおまぎらわしい。これは思うに、紀の川の川中にある岩山を言ったのであろう。ところが私が船でこの川を下った時に見たところ、その山は川の中にありながらも北岸に近い所にあって、水は山の南のすそを流れているので、川の南岸と言うのは違っている。それは川瀬が移ったのかとも思うが、やはりこれも『古今集』の歌に合わせようとして、南岸とあいまいに言っておいたのであろうか。またまぎらわしいのは、貝原篤信(益軒)が言うには、「名手の瀬の山に至って云々、もし妹背山がこの所であるなら、向かいは妹山であるはずなのに、妹山と言えそうな山はない。この山は川瀬の中にあるので瀬の山であり、妹背山ではない」と言っている。とすれば、その頃は里人なども、この川中のものを「せの山」と言っていたのであろうか。

解説

妹山の所在の説がどれもあいまいであることを、宣長が一つずつ確かめた段である。背山には背山村という村まであるのに、妹山は書物ごとに指す所が違う。顕昭は古今集の歌に頼った大まかな説、契沖の説もおおよそで、紀伊の地誌は詳しいが「紀の川の南岸」という記述が実地に合わない。宣長は紀の川を船で下った時に自分の目でその岩山を見ており、山は北岸寄りにあって南岸とは言えないと指摘する。古今集の歌に合わせるために、あいまいに書いたのではないかと疑うのである。貝原益軒の紀行も引かれ、益軒も妹山にあたる山が見当たらないと記していた。実地の観察が、机上の説の弱いところを突いている。

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