玉勝間 / 三の巻 宣命料紙の色
同記云、宣命料紙、伊勢綠、賀茂紅、餘黃。
新字:同記云、宣命料紙、伊勢緑、賀茂紅、余黄。
書き下し
同記に云う、宣命の料紙、伊勢は緑、賀茂は紅、余は黄。
現代語訳
同じ『西宮記』に「宣命を書く料紙は、伊勢には緑、賀茂には紅、その他の神社には黄を用いる」とある。
解説
天皇が神に奉る宣命を書く紙の色が、神社によって定められていたことを記す一行である。伊勢神宮には緑、賀茂社には紅、その他の社には黄の紙を用いた。宣長は注釈を加えずに書き写しているが、色の区別によって伊勢と賀茂が他の神社と一線を画す特別な格を持っていたことが、そのまま読み取れる。伊勢と賀茂は、いずれも皇女が斎王として仕えた神社である。朝廷の儀礼では、言葉の内容だけでなく、紙の色や封の仕方といった形そのものが敬意と序列を表していた。有職故実はこうした細部の約束事の集積であり、宣長はそれを一つずつ拾い集めることで、古代の人々が神々をどのように区別し、敬っていたかを具体的に知ろうとした。形に込められた意味を読むことも、古典を読む力の一部である。
関連する章句
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