玉勝間 / 三の巻 選子内親王の御歌
選子內親王、賀茂のいつきと聞えける時に、西に向ひて詠み給へる、「思へども忌むとて云はぬ事なればそなたにむきて音をのみぞ泣く、詞花集に入れり。すべて伊勢賀茂の齋王の宮にては、いみしく佛を忌て、そのすぢの事は、詞に云ふをだに、いましめられたる、御さだめなりき。然るに御國人は、昔より、たかきも賤きも、かしこきも愚なるも、おしなべて、佛の敎を信ぜぬ人は、世に一人も無かりければ、いつきにゐ給ふをば、罪深き事にして、歎き給へるならひなりき。されど神につかうまつり給ふ御心の、まめやかにおはせんには、その忌嫌ひ給ふすぢをば、かけても思しよるべきわざならぬを、西に向ひて、ねになき給ふばかりなりしは、云はむかたなきまが事にぞ有ける。さては御かたちのかぎり、皇神のいつきにてはおはしまして、御心は、もはら極樂の阿彌陀の齋にこそおはしけれ。さるにても御心の內にこそは、おのづからさおぼす事も有らんにても、おほやけの重きいましめなれば、歌などに詠み顯はし給ふべきに有らず、又たとひ詠み出給へりとも必ス人に語りなどはし給ふまじきわざなるを、御はぢともおぼさずや有けん。
新字:選子内親王、賀茂のいつきと聞えける時に、西に向ひて詠み給へる、「思へども忌むとて云はぬ事なればそなたにむきて音をのみぞ泣く、詞花集に入れり。すべて伊勢賀茂の斎王の宮にては、いみしく仏を忌て、そのすぢの事は、詞に云ふをだに、いましめられたる、御さだめなりき。然るに御国人は、昔より、たかきも賤きも、かしこきも愚なるも、おしなべて、仏の教を信ぜぬ人は、世に一人も無かりければ、いつきにゐ給ふをば、罪深き事にして、嘆き給へるならひなりき。されど神につかうまつり給ふ御心の、まめやかにおはせんには、その忌嫌ひ給ふすぢをば、かけても思しよるべきわざならぬを、西に向ひて、ねになき給ふばかりなりしは、云はむかたなきまが事にぞ有ける。さては御かたちのかぎり、皇神のいつきにてはおはしまして、御心は、もはら極楽の阿弥陀の斎にこそおはしけれ。さるにても御心の内にこそは、おのづからさおぼす事も有らんにても、おほやけの重きいましめなれば、歌などに詠み顕はし給ふべきに有らず、又たとひ詠み出給へりとも必ス人に語りなどはし給ふまじきわざなるを、御はぢともおぼさずや有けん。
書き下し
選子内親王、賀茂のいつきと聞こえける時に、西に向いて詠み給える、「思えども忌むとて云わぬ事なればそなたにむきて音をのみぞ泣く、詞花集に入れり。すべて伊勢賀茂の斎王の宮にては、いみしく仏を忌みて、そのすじの事は、詞に云うをだに、いましめられたる、御さだめなりき。然るに御国人は、昔より、たかきも賤しきも、かしこきも愚かなるも、おしなべて、仏の教を信ぜぬ人は、世に一人も無かりければ、いつきにい給うをば、罪深き事にして、歎き給えるならいなりき。されど神につかうまつり給う御心の、まめやかにおわせんには、その忌み嫌い給うすじをば、かけても思しよるべきわざならぬを、西に向いて、ねになき給うばかりなりしは、云わむかたなきまが事にぞ有りける。さては御かたちのかぎり、皇神のいつきにてはおわしまして、御心は、もはら極楽の阿弥陀の斎にこそおわしけれ。さるにても御心の内にこそは、おのずからさおぼす事も有らんにても、おおやけの重きいましめなれば、歌などに詠み顕わし給うべきに有らず、又たとい詠み出で給えりとも必ず人に語りなどはし給うまじきわざなるを、御はじともおぼさずや有りけん。
現代語訳
選子内親王が賀茂の斎院と申し上げた時に、西に向かってお詠みになった歌、「(仏を)思ってはいても、忌むべきこととして口には出せないことなので、そちら(西方浄土)に向かって声を上げて泣くばかりです」は、詞花集に入っている。およそ伊勢・賀茂の斎王の宮では、ひどく仏を忌んで、その方面のことは言葉に出すことさえ戒められていたのが、御定めであった。ところが我が国の人は昔から、身分の高い者も低い者も、賢い者も愚かな者も、おしなべて仏の教えを信じない人は世に一人もいなかったので、斎王の位に就かれることを罪深いこととして嘆かれるのが習いであった。けれども神にお仕えなさる御心が誠実であるなら、その忌み嫌われる方面のことは、決してお思いになってよいことではないのに、西に向かって声を上げてお泣きになるばかりであったのは、言いようのない間違いであった。それでは、お姿だけは皇神(すめがみ)の斎王でいらっしゃって、御心はひたすら極楽の阿弥陀仏の斎王でいらっしゃったのである。それにしても、御心の内では自然にそうお思いになることもあったにしても、朝廷の重い戒めであるから、歌などに詠んで表されるべきではない。またたとえ詠み出されたとしても、決して人に語ったりはなさるべきではないことなのに、恥ともお思いにならなかったのであろうか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』三の巻 選子内親王の御歌されど此みこのみの御とがにしも有らず、いともかしこく、神をば忘れ奉りて、ただひたぶるに、仏の教をとうとみ行うをのみ、いみしき事にはして、かかるすじを、かえりて心深くあわれなるわざに、なべて人も云い思う、世の中のならいなりしかばぞかし。そもそも此ひめみこは、世に大斎院と申して、円融天皇の御世、天延と云いし程より、後一条のみかどの、長元と云う頃まで、五御世にわたりて、御よわい七十に近きまで、斎におわしましければ、さばかりの御老の世まで、仏の道おこない給う事かなわぬを、心うく悲しくおぼしけむも、さる世のならいにては、御ことわりぞかし。さればさばかり仲子に御心よせて、西に向いて泣き給いし、此みこしも、あやしく長く平らかにつかうまつり給えりし事は、大神の御心にも、世の中のならいにおぼしゆるして、あわれとおぼしめしてにや有りけん。又それも、まがつひの神の、例のあやしき御心にや有りけん。
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『玉勝間』二の巻 神祇の歌風雅集の神祇の部に、「もとよりもちりにまじわる神なれば月のさわりも何かくるしき、と云う歌有りて、これは和泉式部熊野にもうでたりけるに、さわりにて、奉幣かなわざりけるに、「晴れやらぬ身のうき雲のたな引きて月のさわりとなるぞかなしき、と詠みてねたりける夜の夢に、告げさせ給いけるとなんとあり。これいたく道の意にかなわず、仏の意なり。中むかしより、なべて世のならいとして、この和泉式部なども、法師の云う事をのみ常に聞きなれて、仏意の心にそみつきたりしより、さる夢をも見たるにこそ有りけめ、神はいかでか斯かる御心ならむ。塵にまじわるなど云うことも、からぶみの老子と云うに、和光同塵と云えることの有るをとりて云い出でたるみだり事にこそあれ、さらに神の御うえに無き事なり。ゆめこうようのひが事にまどいて、神をな穢し奉りそ。また同じ集同じ部に、度会の朝棟と云う人の歌に「かたそぎの千木は内外にかわれども誓はおなじいせの神風と有り、この歌のみならず、すべて神に、誓〓と云い、あるは跡たれてなど云う事を詠むは、皆ひが事なり。
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『玉勝間』十の巻 長寛三年斎王帰京同じ記に云う、長寛三年十二月十九日酉の時、前の斎宮本寮を立つ、迎えは左少弁行隆、王は兼隆なり。亥の尅逸志の宿に着く。廿日午の尅逸志の駅家を立つ。廿一日、既に伊世の河口、午の時出御、万事具わらざるの故なり。廿一日、戌の時、伊賀の山中に着き、一宿し了んぬ。先例無し。迎えの御輿、散散に引き破れ、薪を結び合わするが如くにして持参するなり、凡そ先例無き事なり。廿二日戌の時、伊賀の河口に着く、廿三日、黒太に着く。(丈六堂と云う)即ち一宿す。抑も伊賀の河口にて、寮の侍武者所の為に、平大納言の河婦字衆の住人致時を殺し了んぬ。已にその身手を負う。御迎えの検非違使広綱の子二人闘乱し、已に突き殺し了んぬ。凡そ路次一切措かず、濫行の端多し。廿五日、僅かに和泉の木津に着く、御所を作らず、仍りて觧艋に宿らしめ奉る云々、凡そ今度の帰京散散か、後代如何。うら書に、逸志の駅家(十九日未の時、立たしめ給う、宮司辨憂に依りて助けて勤めざる事、駅家は寮頭国司たるの間、仮屋の御所許り、自ら催し立つ、御膳を供せず、万事具わらず云々、)河口の駅家、形の如く御所の仮屋許りなり。米四石を出す云々。興折(廿日夜半)作らず、山路嶮岨の間、行歩に堪えず、仍りて艱難云々。今夜御膳を供せず、伊賀の駅家、一切措かず、同じく在庁相迎えず、卅町を経て宿す。廿二日、伊賀の神部、(先例無し、駕輿丁瓩弱の後、斎王御泣涕云々、)御輿を召し替え部の宿の小屋(大和)二鳥居(供給无し、なまり江の御祓、二瀬了んぬ)梨木津にて御船を召す。おとろえたりし世の有さま、あさましなど云わむは、世のつねなり。上の件の文、文字誤りもし、また脱もしたりと見えて、いかにとも読み難きところどころあり。
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『玉勝間』四の巻 兼好法師が詞のあげつらひ人の心は、うれしき事は、さしも深くは覚えぬものにて、ただ心にかなわぬ事ぞ、深く身にしみては覚ゆるわざなれば、すべてうれしきを詠める歌には、心深きは少なくて、心にかなわぬすじを、悲しみ憂えたるに、哀れなるは多きぞかし。然りとて、わびしく悲しきを、みやびたりとてねがわむは、人のまことの情ならめや。また同じ法師の、人はよそじに足らで死なむこそ、めやすかるべけれと云えるなどは、中ごろよりこなたの人の、みな歌にも詠み、常にも云うすじにて、命長からん事をねがうをば、心ぎたなき事とし、早く死ぬるを、めやすき事に云い、この世をいとい捨つるを、いさぎよき事とするは、これみな仏の道にへつらえるものにて、多くはいつわりなり。言にこそさも云え、心のうちには、誰かはさは思わむ。たとい、まれまれには、まことに然か思う人の有らんも、もとよりの真心には有らず、仏の教えにまどえるなり。人のまごころは、いかにわびしき身も、早く死なばやとは思わず、命惜しまぬ者は無し。されば万葉などの頃までの歌には、ただ長く生きたらん事をこそねがいたれ、中頃よりこなたの歌とは、その心うらうえなり。
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『玉勝間』三の巻 五十師原山辺御井四つには、斎内親王の宮仕えし給うことならば、いつきのみことも、ひめみことも何とも、其御事と聞こゆる詞あるべきに、さること一言も無くて、ゆくりなく大宮づかえと云うべき物かは。唯だ天皇に仕え奉る女官たちなる事、論無き物をや。五つには、ももしきの大宮人とは、天皇に仕え奉る人とこそ聞こえたれ。たとい本は大内より来し人なればとても、今斎王に仕え奉り居る人を、うちまかせて然か云わん事はいかが。六つには、もし斎王の大御神に仕え給う事を詠める歌ならむには、反歌に御井の事のみを詠めるは、何のよしぞや。七つには、かの鈴鹿郡なる山の辺の事を、俗説なりとて、やぶられたるもあたらず。俗説とは、赤人の跡と云う事なり。赤人の事は、山辺という地の名によりて、附会したる物なれば、其説こそ俗説なれ、それをとり捨てたらむに、何の俗なる事か有らん。そもそもしか赤人の事を云いよせたるも、もと山辺という所、又古き清水のある故なれば、それもかえりて、古き跡なる証とこそすべけれ。又かの山辺村に、古え倭姫の命の宮有りしと云うも、偽なりとて、そのよしを論ぜられたるもあたらず。
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『玉勝間』九の巻 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事世の人の、神をなおざりに思い奉るは、かえすがえすこころ憂きわざなり。さるは程々に、尊み奉らぬにしもあらざんめれど、ただ世のならいの、人なみなみの、かいなでの尊みのみこそ有れ、まことに心にしめて尊み奉るべき事を、思いわきまえず、ただおろそかにぞ思いたんめる。目にこそ見えね、この天地万の物の、出で来始めしも、又むかし今の、世の中の大き小さきもろもろの事も、人の身のうえ、食い物、着物、居どころ、なにくれ、もろもろの事もことごとく神の御めぐみにかからざる事は無きを、さるゆえよしをば忘れ果てて、なべての人、ただまがつひのまが事にのみまじこり、心をかたむけて、万にさかしだつ人はたからぶみごころを、心とはして稀れ稀れに神代の御事どもを聞きても、ただはるけき世界の、昔語りを聞くがごと、よそげにのみ思い過ごして、そは皆今の世の中、おのが身々の上にかかれる、本なる事を思いたどらず。万よりもかなしきは、神の社神事の衰えなるを、かばかりめでたき御代にしも、もろもろの古き神の御社どもの、いみじく衰えませるを、なおしたて奉らんの心ざし有る人の、世に出でこぬこそ、いともいとも口惜しけれ。
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