玉勝間 / 三の巻 選子内親王の御歌
されど此みこのみの御とがにしも有らず、いともかしこく、神をば忘れ奉りて、ただひたぶるに、佛の敎をたふとみ行ふをのみ、いみしき事にはして、斯かるすぢを、かへりて心深くあはれなるわざに、なべて人も云ひ思ふ、世ノ中のならひなりしかばぞかし。そもそも此ひめみこは、世に大齋院と申シて、圓融天皇の御世、天延と云ひし程より、後一條のみかどの、長元と云ふ頃まで、五御世にわたりて、御よはひ七十に近きまで、齋におはしましければ、さばかりの御老の世まで、佛の道おこなひ給ふ事かなはぬを、心うく悲しくおぼしけむも、さる世のならひにては、御ことわりぞかし。さればさばかり仲子に御心よせて、西に向ひて泣き給ひし、此みこしも、あやしく長く平らかにつかうまつり給へりし事は、大神の御心にも、世ノ中のならひにおぼしゆるして、あはれとおぼしめしてにや有りけん。又それも、まがつひの神の、例のあやしき御心にや有けん。
新字:されど此みこのみの御とがにしも有らず、いともかしこく、神をば忘れ奉りて、ただひたぶるに、仏の教をたふとみ行ふをのみ、いみしき事にはして、斯かるすぢを、かへりて心深くあはれなるわざに、なべて人も云ひ思ふ、世ノ中のならひなりしかばぞかし。そもそも此ひめみこは、世に大斎院と申シて、円融天皇の御世、天延と云ひし程より、後一条のみかどの、長元と云ふ頃まで、五御世にわたりて、御よはひ七十に近きまで、斎におはしましければ、さばかりの御老の世まで、仏の道おこなひ給ふ事かなはぬを、心うく悲しくおぼしけむも、さる世のならひにては、御ことわりぞかし。さればさばかり仲子に御心よせて、西に向ひて泣き給ひし、此みこしも、あやしく長く平らかにつかうまつり給へりし事は、大神の御心にも、世ノ中のならひにおぼしゆるして、あはれとおぼしめしてにや有りけん。又それも、まがつひの神の、例のあやしき御心にや有けん。
書き下し
されど此みこのみの御とがにしも有らず、いともかしこく、神をば忘れ奉りて、ただひたぶるに、仏の教をとうとみ行うをのみ、いみしき事にはして、かかるすじを、かえりて心深くあわれなるわざに、なべて人も云い思う、世の中のならいなりしかばぞかし。そもそも此ひめみこは、世に大斎院と申して、円融天皇の御世、天延と云いし程より、後一条のみかどの、長元と云う頃まで、五御世にわたりて、御よわい七十に近きまで、斎におわしましければ、さばかりの御老の世まで、仏の道おこない給う事かなわぬを、心うく悲しくおぼしけむも、さる世のならいにては、御ことわりぞかし。さればさばかり仲子に御心よせて、西に向いて泣き給いし、此みこしも、あやしく長く平らかにつかうまつり給えりし事は、大神の御心にも、世の中のならいにおぼしゆるして、あわれとおぼしめしてにや有りけん。又それも、まがつひの神の、例のあやしき御心にや有りけん。
現代語訳
けれどもこれは、この皇女だけの御咎というわけではない。まことに畏れ多くも神を忘れ申し上げて、ただひたすら仏の教えを尊び行うことだけを立派なこととして、このような方面のことを、かえって心深く哀れな行いだと、おしなべて人も言い思っていた世の中の習いだったからである。そもそもこの皇女は世に大斎院と申し上げて、円融天皇の御世の天延のころから、後一条天皇の長元のころまで、五代の御世にわたり、御年七十に近いまで斎院でいらっしゃったので、それほどのご老齢まで仏道の修行がおできにならないことを、辛く悲しくお思いになったのも、そういう世の習いの中では、もっともなことである。だから、あれほど仏に御心を寄せて西に向かってお泣きになったこの皇女が、不思議なほど長く無事にお仕えなさったことは、大神の御心にも、世の中の習いとしてお許しになり、哀れとお思いになったのであろうか。あるいはそれも、禍津日神(まがつひのかみ)のいつもの不可思議な御心によるものであったのだろうか。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』三の巻 選子内親王の御歌選子内親王、賀茂のいつきと聞こえける時に、西に向いて詠み給える、「思えども忌むとて云わぬ事なればそなたにむきて音をのみぞ泣く、詞花集に入れり。すべて伊勢賀茂の斎王の宮にては、いみしく仏を忌みて、そのすじの事は、詞に云うをだに、いましめられたる、御さだめなりき。然るに御国人は、昔より、たかきも賤しきも、かしこきも愚かなるも、おしなべて、仏の教を信ぜぬ人は、世に一人も無かりければ、いつきにい給うをば、罪深き事にして、歎き給えるならいなりき。されど神につかうまつり給う御心の、まめやかにおわせんには、その忌み嫌い給うすじをば、かけても思しよるべきわざならぬを、西に向いて、ねになき給うばかりなりしは、云わむかたなきまが事にぞ有りける。さては御かたちのかぎり、皇神のいつきにてはおわしまして、御心は、もはら極楽の阿弥陀の斎にこそおわしけれ。さるにても御心の内にこそは、おのずからさおぼす事も有らんにても、おおやけの重きいましめなれば、歌などに詠み顕わし給うべきに有らず、又たとい詠み出で給えりとも必ず人に語りなどはし給うまじきわざなるを、御はじともおぼさずや有りけん。
-
『玉勝間』十の巻 長寛三年斎王帰京同じ記に云う、長寛三年十二月十九日酉の時、前の斎宮本寮を立つ、迎えは左少弁行隆、王は兼隆なり。亥の尅逸志の宿に着く。廿日午の尅逸志の駅家を立つ。廿一日、既に伊世の河口、午の時出御、万事具わらざるの故なり。廿一日、戌の時、伊賀の山中に着き、一宿し了んぬ。先例無し。迎えの御輿、散散に引き破れ、薪を結び合わするが如くにして持参するなり、凡そ先例無き事なり。廿二日戌の時、伊賀の河口に着く、廿三日、黒太に着く。(丈六堂と云う)即ち一宿す。抑も伊賀の河口にて、寮の侍武者所の為に、平大納言の河婦字衆の住人致時を殺し了んぬ。已にその身手を負う。御迎えの検非違使広綱の子二人闘乱し、已に突き殺し了んぬ。凡そ路次一切措かず、濫行の端多し。廿五日、僅かに和泉の木津に着く、御所を作らず、仍りて觧艋に宿らしめ奉る云々、凡そ今度の帰京散散か、後代如何。うら書に、逸志の駅家(十九日未の時、立たしめ給う、宮司辨憂に依りて助けて勤めざる事、駅家は寮頭国司たるの間、仮屋の御所許り、自ら催し立つ、御膳を供せず、万事具わらず云々、)河口の駅家、形の如く御所の仮屋許りなり。米四石を出す云々。興折(廿日夜半)作らず、山路嶮岨の間、行歩に堪えず、仍りて艱難云々。今夜御膳を供せず、伊賀の駅家、一切措かず、同じく在庁相迎えず、卅町を経て宿す。廿二日、伊賀の神部、(先例無し、駕輿丁瓩弱の後、斎王御泣涕云々、)御輿を召し替え部の宿の小屋(大和)二鳥居(供給无し、なまり江の御祓、二瀬了んぬ)梨木津にて御船を召す。おとろえたりし世の有さま、あさましなど云わむは、世のつねなり。上の件の文、文字誤りもし、また脱もしたりと見えて、いかにとも読み難きところどころあり。
-
『玉勝間』十二の巻 有智子内親王同じ紀に、同じ年同じ月戊午、二品有智子内親王薨ず、内親王は、先太上天皇の幸姫王氏の誕育する所なり。頗る史漢に渉り、兼ねて善く文を属る。元賀茂の斎院と為る。弘仁十四年春二月天皇斎院の花宴に幸し、文人をして春日山荘の詩を賦せしむ。各韻を探り勒す、公主は塘・光・行・蒼を探り得て、即ち筆を瀝ぎて曰く、寂寂たる幽荘水樹の裏、仙輿一たび降る一池の塘、林に栖む孤鳥は春の沢を識り、瀾に隠るる寒花は日の光を見る、泉声近く報ず初雷の響き、山色高く晴る暮雨の行、此より更に知る恩顧の渥きを、生涯何を以てか穹蒼に答えん。天皇これを歎じ、三品を授く、時に年十七。この日天皇懐いを書して公主に賜いて曰く、忝くも文章を以て邦家に著る、栄楽を将て煙霞に負くこと莫れ、即今永く抱け幽貞の意、事無くして終に須らく歳華を遣るべし、尋いで文人料の封百戸を賜う、天長十年二品に叙す、性貞潔にして、嵯峨の西荘に居る、薨ずる時春秋四十一。
-
『玉勝間』十三の巻 九条廃帝御子は、崩御ありし年に、法印性慶の女の腹に、姫宮一ところ生まれさせ給う。義子内親王と申す。弘長元年三月八日、御とし廿八にて、院号こうぶり給いて、和徳門院と申しき。
-
『玉勝間』九の巻 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事世の人の、神をなおざりに思い奉るは、かえすがえすこころ憂きわざなり。さるは程々に、尊み奉らぬにしもあらざんめれど、ただ世のならいの、人なみなみの、かいなでの尊みのみこそ有れ、まことに心にしめて尊み奉るべき事を、思いわきまえず、ただおろそかにぞ思いたんめる。目にこそ見えね、この天地万の物の、出で来始めしも、又むかし今の、世の中の大き小さきもろもろの事も、人の身のうえ、食い物、着物、居どころ、なにくれ、もろもろの事もことごとく神の御めぐみにかからざる事は無きを、さるゆえよしをば忘れ果てて、なべての人、ただまがつひのまが事にのみまじこり、心をかたむけて、万にさかしだつ人はたからぶみごころを、心とはして稀れ稀れに神代の御事どもを聞きても、ただはるけき世界の、昔語りを聞くがごと、よそげにのみ思い過ごして、そは皆今の世の中、おのが身々の上にかかれる、本なる事を思いたどらず。万よりもかなしきは、神の社神事の衰えなるを、かばかりめでたき御代にしも、もろもろの古き神の御社どもの、いみじく衰えませるを、なおしたて奉らんの心ざし有る人の、世に出でこぬこそ、いともいとも口惜しけれ。
-
『玉勝間』三の巻 神の御ふみをとける世世のさまさていよいよ心さかしく成りもて行くままに、近き世となりては、又ようように、かの仏ごころをまじうるが、ひがことなる事をさとりて、それをばことごとくのぞきて説く事となれり。然れどもそれは、まことに古の意をさとりて然るにはあらず、唯だ儒意のすすめるから、厭えるものなり。さる故に、近き世に、神の道とて説く趣は、ひたすら儒にして、さらに神の道にかなわず。このともがら、かの仏に流れたる事のひがことをば知りながら、みずから又儒にながるる事を、えさとらざるは、いかにぞや。かくして又近き世には、然か儒による事の悪ろきをも、やや知りて、つとめて是れをのぞかんとする者も、これかれとほのめくめれども、其れはたいまだ清く漢意をはなるる事あたわで、天理陰陽など云う説をば、猶まことと心得、ともすれば、例のさかしらの立ちいでては、高天の原を帝都の事とし、天照大御神を、天つ日にあらずとし、海神宮を、一つの島なりとするたぐい、すべてかように、おのが私の心をもて、さまざまに説き曲ぐる事をえまぬかれざるは、猶みな漢意なるを、みずからさも覚えざるは、さる癖の、世の人の心の底に、しみつきたるならいぞかし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る