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玉勝間 / 三の巻 としみ

源氏物語のをとめの卷に、式部卿ノ宮の御賀の事を云へるところに、御としみの事とあるを、河海抄に、御賀の事なり、年滿たるを賀する故に云ふ、と注せられて、其後の注どもにも、是れによりて、年滿なりとあれども、おしあてのひが事なり。としみは、俗に云ふ精進落の事なり。おちくぼの物語、石山まうでの事を云へる所に、かへり給はむには、御としみをぞし給はんと見え、蜻蛉の日記、山寺にこもりゐたるが、かへりたる時の事を云へる所に、いかにぞや、としみをこそし給ひてめ云云、又初瀨詣のところにも、つば市にかへりて、としみなど云ふめれど、我は猶しやうじなり云云、又同じ寺にまうでたる、かへるさの事を云へる所に、宇治にて云云、としみのまうけ有ければ云云、と見えてその下の詞に氷魚をおくりたる事、又鯉鱸など云へる事も見えたり。これら、物まうでにて、精進なりしを落て、魚をくひそむるを云へる事、明らけし、賀の事として、聞ゆべしやは。さて御賀に云へるとしみは、すべて賀には、のこりのよはひを祈るとて、佛事を行ふこと有て、即ちかのをとめの卷の、次の文にも、經佛法事の日のさうぞくろくども云云、とある是なり。

新字:源氏物語のをとめの巻に、式部卿ノ宮の御賀の事を云へるところに、御としみの事とあるを、河海抄に、御賀の事なり、年満たるを賀する故に云ふ、と注せられて、其後の注どもにも、是れによりて、年満なりとあれども、おしあてのひが事なり。としみは、俗に云ふ精進落の事なり。おちくぼの物語、石山まうでの事を云へる所に、かへり給はむには、御としみをぞし給はんと見え、蜻蛉の日記、山寺にこもりゐたるが、かへりたる時の事を云へる所に、いかにぞや、としみをこそし給ひてめ云云、又初瀨詣のところにも、つば市にかへりて、としみなど云ふめれど、我は猶しやうじなり云云、又同じ寺にまうでたる、かへるさの事を云へる所に、宇治にて云云、としみのまうけ有ければ云云、と見えてその下の詞に氷魚をおくりたる事、又鯉鱸など云へる事も見えたり。これら、物まうでにて、精進なりしを落て、魚をくひそむるを云へる事、明らけし、賀の事として、聞ゆべしやは。さて御賀に云へるとしみは、すべて賀には、のこりのよはひを祈るとて、仏事を行ふこと有て、即ちかのをとめの巻の、次の文にも、経仏法事の日のさうぞくろくども云云、とある是なり。

書き下し

源氏物語のおとめの巻に、式部卿の宮の御賀の事を云えるところに、御としみの事とあるを、河海抄に、御賀の事なり、年満ちたるを賀する故に云う、と注せられて、其後の注どもにも、是れによりて、年満なりとあれども、おしあてのひが事なり。としみは、俗に云う精進落の事なり。おちくぼの物語、石山もうでの事を云える所に、かえり給わむには、御としみをぞし給わんと見え、蜻蛉の日記、山寺にこもりいたるが、かえりたる時の事を云える所に、いかにぞや、としみをこそし給いてめ云云、又初瀬詣のところにも、つば市にかえりて、としみなど云うめれど、我は猶しょうじなり云云、又同じ寺にもうでたる、かえるさの事を云える所に、宇治にて云云、としみのもうけ有りければ云云、と見えてその下の詞に氷魚をおくりたる事、又鯉鱸など云える事も見えたり。これら、物もうでにて、精進なりしを落ちて、魚をくいそむるを云える事、明らけし、賀の事として、聞こゆべしやは。さて御賀に云えるとしみは、すべて賀には、のこりのよわいを祈るとて、仏事を行うこと有りて、即ちかのおとめの巻の、次の文にも、経仏法事の日のそうぞくろくども云云、とある是なり。

現代語訳

源氏物語の「少女」の巻で、式部卿宮の御賀(長寿の祝い)のことを述べたところに「御としみの事」とあるのを、『河海抄』では「御賀のことである。年が満ちたのを祝うのでこう言う」と注されて、その後の注釈書も皆これに従って「年満」としているが、当て推量の誤りである。「としみ」は、俗に言う精進落としのことである。『落窪物語』で石山詣でのことを述べた所に「お帰りになったら、御としみをなさるでしょう」と見え、『蜻蛉日記』で山寺に籠もっていた作者が帰った時のことを述べた所に「どうしたことか、としみをなさればよいのに」云々、また初瀬詣でのところにも「椿市に帰って、としみなどと言うようだが、私はやはり精進のままだ」云々、また同じ寺に詣でた帰り道のことを述べた所に「宇治で云々、としみの用意があったので」云々と見えて、その下の文に氷魚(ひお)を贈ったこと、また鯉や鱸などと言ったことも見える。これらは、寺社詣でで精進していたのをやめて、魚を食べ始めることを言っているのが明らかである。賀のこととして意味が通るだろうか。さて御賀で言う「としみ」は、およそ賀には残りの寿命を祈るといって仏事を行うことがあって、あの「少女」の巻の次の文にも「経・仏・法事の日の装束や禄など」云々とあるのがそれである。

解説

源氏物語の一語をめぐる語釈の訂正である。室町初期の代表的な注釈書『河海抄』は「としみ」を「年満」、つまり年が満ちた祝いと解し、以後の注釈はみなこれを踏襲していた。宣長は落窪物語や蜻蛉日記から用例を集め、どれも寺社詣での精進を終えて魚を食べ始める場面、すなわち精進落としであることを示す。蜻蛉日記には、としみの支度に氷魚や鯉、鱸が出てくる。用例をいくつも並べれば、権威ある注釈の誤りも覆る。宣長は源氏物語研究でも「もののあはれ」論で知られ、『源氏物語玉の小櫛』を著した人である。語の意味を先行注釈の権威ではなく、同時代の作品の用例によって決めるという方法は、宣長の古典研究全体を貫いている。

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