玉勝間 / 三の巻 斉明紀なる童謡
書紀の齊明ノ卷、六年の童謠、或人の考へ置きたるによりて、おのれ又考へたるやう。とわとよみ句、をのへだを句、かりがりのくらふ句、とわとよみ句、をのへだを句、かりがりのくらふ句、ひらくづまの句、つくりし句、おさへだを句、かりがりのくらふ結、かくの如くなるべきか。そもそも此歌は、ゆゆしき事のたとへなる故に、世にはばかりて、ことさらに、句の前後をも、文字の次第をも、書きみだして、何事とも、讀み解きがたきさまにしるし傳へたる物と見えたり。なかばに甲子としるせるは、これより讀み始むべき事、又それにならひて、文字の次第をも、置きかへて讀むべきことを、ほのかにさとしたるしるしなり。これによりて、おのれは今、此甲子とある下より讀みはじむ。第一の句、騰和騰與美は、本には、騰與を與騰と書かへたり。さて騰和は多和にて、古事記に、山之多和とある是なり。かくて多和と騰和と通ふよしは、たわむをとをむ、たわわをとををなど、通はし云へること、萬葉におほし。されば騰和は、山のたわみたる所を云ふ。騰與美は、響動なり。第二の句、烏能陛陀烏は、尾上田をにて、山の尾のほとりの田なり。
新字:書紀の斉明ノ巻、六年の童謡、或人の考へ置きたるによりて、おのれ又考へたるやう。とわとよみ句、をのへだを句、かりがりのくらふ句、とわとよみ句、をのへだを句、かりがりのくらふ句、ひらくづまの句、つくりし句、おさへだを句、かりがりのくらふ結、かくの如くなるべきか。そもそも此歌は、ゆゆしき事のたとへなる故に、世にはばかりて、ことさらに、句の前後をも、文字の次第をも、書きみだして、何事とも、読み解きがたきさまにしるし伝へたる物と見えたり。なかばに甲子としるせるは、これより読み始むべき事、又それにならひて、文字の次第をも、置きかへて読むべきことを、ほのかにさとしたるしるしなり。これによりて、おのれは今、此甲子とある下より読みはじむ。第一の句、騰和騰与美は、本には、騰与を与騰と書かへたり。さて騰和は多和にて、古事記に、山之多和とある是なり。かくて多和と騰和と通ふよしは、たわむをとをむ、たわわをとををなど、通はし云へること、万葉におほし。されば騰和は、山のたわみたる所を云ふ。騰与美は、響動なり。第二の句、烏能陛陀烏は、尾上田をにて、山の尾のほとりの田なり。
書き下し
書紀の斉明の巻、六年の童謡、或人の考え置きたるによりて、おのれ又考えたるよう。とわとよみ句、をのへだを句、かりがりのくらう句、とわとよみ句、をのへだを句、かりがりのくらう句、ひらくづまの句、つくりし句、おさへだを句、かりがりのくらう結、かくの如くなるべきか。そもそも此歌は、ゆゆしき事のたとえなる故に、世にはばかりて、ことさらに、句の前後をも、文字の次第をも、書きみだして、何事とも、読み解きがたきさまにしるし伝えたる物と見えたり。なかばに甲子としるせるは、これより読み始むべき事、又それにならいて、文字の次第をも、置きかえて読むべきことを、ほのかにさとしたるしるしなり。これによりて、おのれは今、此甲子とある下より読みはじむ。第一の句、騰和騰与美は、本には、騰与を与騰と書きかえたり。さて騰和は多和にて、古事記に、山の多和とある是なり。かくて多和と騰和と通うよしは、たわむをとおむ、たわわをとおおなど、通わし云えること、万葉におおし。されば騰和は、山のたわみたる所を云う。騰与美は、響動なり。第二の句、烏能陛陀烏は、尾上田をにて、山の尾のほとりの田なり。
現代語訳
日本書紀の斉明天皇の巻、六年の童謡(わざうた)について、ある人が考えておいたものをもとに、私がさらに考えた読み方。「とわとよみ(句)、をのへだを(句)、かりがりのくらう(句)、とわとよみ(句)、をのへだを(句)、かりがりのくらう(句)、ひらくづまの(句)、つくりし(句)、おさへだを(句)、かりがりのくらう(結び)」、このようであるべきだろうか。そもそもこの歌は、不吉な事の喩えであるので、世をはばかって、わざと句の前後も文字の順序も書き乱して、何のことか読み解きにくい形で記し伝えたものと思われる。途中に「甲子」と記してあるのは、ここから読み始めるべきこと、またそれにならって文字の順序も置き換えて読むべきことを、それとなく示した印である。これによって、私は今、この「甲子」とある下から読み始める。第一の句「騰和騰与美(とわとよみ)」は、本では「騰与」を「与騰」と書き換えてある。さて「騰和(とわ)」は「多和(たわ)」で、古事記に「山の多和」とあるのがこれである。そして「たわ」と「とわ」が通うというのは、「たわむ」を「とおむ」、「たわわ」を「とおお」などと通わせて言った例が万葉集に多い。だから「騰和」は山のたわんだ所(鞍部)を言う。「騰与美(とよみ)」は鳴り響くことである。第二の句「烏能陛陀烏(をのへだを)」は「尾上田を」で、山の尾根のほとりの田である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』三の巻 斉明紀なる童謡次に美和陀騰能理歌美とあるを、美歌理能陀和美騰として、御狩のたゆむ間に、雁の来るなりと解き、また美歌理能美和陀騰ともして、水のみわだの淀む如く、御狩に出で給わぬを云うといえる、二つともにわろし。御狩のなき間の事を、たわみとも、みわだとも、云うべきにあらず。次に甲子の下なる騰和与騰美を、和騰与騰美とも、また和騰騰与美ともよみて、朕とよどむ、朕ととよむなど解ける、さらに聞こえぬ事なり。さてまた羽倉(東麻呂)大人は、文字を置きかえて読めるを、ひが事として、本の次第のままによみて、解かれたる説あれど、皆しいごとにて、すべて詞ととのわず、其ことわりも、聞こえがたし。其説は秘説とあれば、ここには顕しがたし。そもそもいかに上つ代の歌と云えども、おりおりこそ聞こえぬ詞もまじりたれ、いずれの歌も、すべてはよく聞こえて、むげに聞こえぬは、一首も無きを、此歌にかぎりて、むげに聞こえぬは、はじめに云える如く、句の前後、文字の次第を、ことさらに書きみだりたる物にて、かの野馬台の詩とかいう物の如くなる書きざまなるを、そこに心を附けたる人の無きは、いかにぞや。但しおのが今のかむがえも、必ずこれよしとにはあらず。初めの句のとわとよみなど、猶善き考えも有るべきにや。
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『玉勝間』三の巻 斉明紀なる童謡第三の句、歌理鵝理能倶邏賦は、雁雁の食うにて、雁雁とは、山山川川国国人人など云う例にて、多くの雁どもの、其あたりの山の多和とよむまで、むらがりさわぎて、田の稲をはみ食うなり。第四の句、騰和騰与美、上なるに同じ。此句、本には、美和陀騰能理歌美とあるは、美の字陀の字、能理歌の字はみな、前後にある字にて、みだれて重なりたるなり。又はじめの騰と与と落ちたるなり。第五の句、六の句、上なるに同じ。第七の句、比邏矩豆摩能は、平傴僂のなり。かの或人の考に、そは即ち此巻に、傴僂という人の名有りて、此をば倶豆磨と云うと見えたり。平とは、いたくくぐせなるさまをもて云う。ひきくはいたる松を、平松と云うたぐいなりと云えり。第八の句、都倶利伺は佃りしなり。本に倶例豆例とある。豆は、その四字上なる都と入れかうべし。上の例は利、下の例は伺の誤りか、または都倶例例にて、つくれるの意か、いずれにても有るべし。第九の句、於社幣陀乎は、押塞田をなり。おさえは、万葉廿の巻に、筑紫国は、あた守る、おさえの城ぞと云云とある、於佐倍と同じくて、仇を押塞うるよしなり。
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『玉勝間』三の巻 斉明紀なる童謡此童謡は、百済の国を救わせ給う御軍の、敗れぬべきしるしなりしかば、その救の御軍をさして、於社幣といい、田は、尾上田にたとえたる故に、それをつらね云いて、たとえと実とを合わせたるなり。かく一句の内に、実のうえの詞と、たとえたる物のうえの詞とを、まじえつらねて云える例、万葉に多し。第十の句、上なるに同じ。かくて一首の意は、かの或人の考に、救の御軍の敗れて、多くの功労の、空しくなる事を、平傴僂の、事ゆきがたき身をもて、くるしみて辛うじてつくれる山の田を、多くの雁どもの来て、はみそこないて、徒らに成れるにたとえたり、と云えるが如し。但しかの考のうちに、これかれと誤れる事ども有り。まずひらくづまのと云うを、第一の句とせる、わろし。初の句の六言なるは、古の歌に例なき事なり。そのうえ是より三句は、必ず結に有るべきおもむきなり。次に於社幣陀を、弘能幣陀の誤りとしたれども、すべて紀中、歌を書けるよう、一首の内にて、同じ詞の二つ三つあるをば、同じ仮字を用いたる例にて、此歌の尾上田をも、二所ながら烏能陛陀と書きたるに、其仮字をかえて、弘の字幣の字を書かむこと、大かたの例にたがえり。
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『玉勝間』四の巻 崇神紀なる小児の神託の詞ある人の、崇神紀六十年云々のところに見えたる、丹波の氷上の人氷香戸辺が小児の、神託の辞の意はいかにと問えるに答えたる。玉萎鎮石、出雲人の祭る、真種の甘美鏡、押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主、山河の水泳る御魂、静め挂けよ甘美御神、底宝御宝主、斯く訓むべし。今の本のごとく訓みては、むげに聞こえぬ事なり。しづかしは、行くをゆかし、佩くをはかしなど云う格にて、しづきを延べたる詞にて、玉藻しづき厳藻、と云う意につづきたる、出雲の序なり。厳は清らかなる意にて、水底にしづく玉藻の、清らかなるよしなり。真種の意は、いまだ考え得ず。おしはぶれとは、鏡をおしふり挙げて祭れと云うことなり。底実は、宝の至極と云うなり、すべて物の至り極まるところを、底と云う。甘美は底宝へ係れり、御神には係らず。御宝主は宝の主人にて、司長のよしなり。これみな鏡を褒めたたえたる詞なり。御魂は御玉にて、山川の底なる玉を云う。しづめかけよは、鎮め掛けて祭れとなり。甘美御神云々は、鏡と同じく、玉をほめたたえたるなり。すべての意は、神宝の至極長なる鏡と玉とを以て、出雲の臣これを祭るべしとなり。
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『玉勝間』七の巻 万葉集一の巻なる莫囂円隣の歌万葉一の巻に、紀の温泉に幸せる時、額田王の作れる歌、莫囂國隣之、霜木兄氏湯氣、吾瀬子之、射立為兼、五可新何本とあり。莫囂は、かまと訓むべし。かまをかく書けるよしは、古に、人のものを云うを制して、あなかまと云えるを、そのあなを省きて、かまとのみも云いつらむ。そは今の世の俗言にも、囂しきを制して、やかましと云うと同じ。やかましは囂しと云うことなれば、かまと云いて、莫囂と云う意なり。さてかま山と云うは、神名帳に、紀伊の国名草の郡、竈山の神社、諸陵式に、同郡竈山の墓、と見えたるこれなり。この御墓は、神武天皇の御兄、五瀬命の御墓にて、古事記・書紀にも見えたり。神社も御墓も、古の熊野道近きところにて今も有り。國隣は、やまと訓むべし。山は、隣の国の境なる物なれば、かくも書くべし。國の字は、本には圓と有るを、一本に國と有るなり。霜の字、本に大相と有るは、霜の草書を、大相の二字と見て、誤れるなり。そもそもこの幸は、書紀の斉明天皇の巻に、四年冬十月庚戌朔甲子、紀の温湯に幸すと有りて、十一月までも、かの国にとどまりませりしさま見えたれば、霜の深くおく頃なり。木兄氏は、本には、木の字を七に誤り、或る本には、土にも云にも誤り、氏の字は、爪に誤れり。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞また申さく、天皇が朝廷に仕え奉る親王等・王等・諸臣・百官人等、天の下四方の国の百姓諸々集い侍りて、見たべ尊みたべ歓びたべ聞きたべ、天皇が明庭に茂し世に、八桑枝の立ち栄え仕え奉るべき禱りを聞こしめせと、恐み恐みも申し給わくと申す、これなり。この文、ふるくめでたき事多きを、世に知れる人稀なる故に、今写し出せり。ところどころ文字の誤りおおかるを、今は三四本を合わせ見て互いに善き悪しき中に、善しとおぼしきを撰びてしるしつ。されどなお誤りと見ゆる所々無きにあらず、なお善本を得て正すべきなり。さて今古言を考えて、訓をも加えたるついでに、いささかことの意をも解くべし。第六行なる天都御膳の遠の字は、必ず乃なるべし。遠にても聞ゆるが如くなれども、さては次に瑞穂遠と有る遠と重なれり。由庭仁所知食の知の字は、聞なるべし。第十行の天忍雲根神遠天乃云々、受給波里申仁、これは天忍雲根神遠、神漏岐神漏美命乃前仁、受給波里申仁、天乃二上仁奉上弖と、語を次第て見れば、よく聞ゆるなり。宇都志国乃水了の了の字は、尸とも加とも有り、皆誤りなり、かならず仁なるべし。天都水加加の立の字は、弖を誤れるなり。申遠里は心得ず、必ず申世止と有るべき処なり。
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