玉勝間 / 三の巻 斉明紀なる童謡
此童謠は、百濟の國を救はせ給ふ御軍の、敗れぬべきしるしなりしかば、その救の御軍をさして、於社幣といひ、田は、尾上田にたとへたる故に、それをつらね云ひて、たとへと實とを合せたるなり。かく一句の內に、實のうへの詞と、たとへたる物のうへの詞とを、まじへつらねて云へる例、萬葉に多し。第十の句、上なるに同じ。かくて一首の意は、かの或人の考に、救の御軍の敗れて、多くの功勞の、空しくなる事を、平傴僂の、事ゆきがたき身をもて、くるしみて辛うしてつくれる山の田を、多くの雁どもの來て、はみそこなひて、徒らに成れるにたとへたり、と云へるが如し。但しかの考、のうちに、これかれと誤れる事ども有リ。まづひらくづまのと云ふを、第一の句とせる、わろし。初の句の六言なるは、古、の歌に例なき事なり。そのうへ是より三句は、必ズ結に有るべきおもむきなり。次に於社幣陀を、弘能幣陀の誤リとしたれども、すべて紀中、歌を書るやう、一首の內にて、同じ詞の二つ三つあるをば、同じ假字を用ひたる例にて、此歌の尾上田をも、二所ながら烏能陛陀と書たるに、其假字をかへて、弘ノ字幣字を書かむこと、大かたの例にたがへり。
新字:此童謡は、百済の国を救はせ給ふ御軍の、敗れぬべきしるしなりしかば、その救の御軍をさして、於社幣といひ、田は、尾上田にたとへたる故に、それをつらね云ひて、たとへと実とを合せたるなり。かく一句の内に、実のうへの詞と、たとへたる物のうへの詞とを、まじへつらねて云へる例、万葉に多し。第十の句、上なるに同じ。かくて一首の意は、かの或人の考に、救の御軍の敗れて、多くの功労の、空しくなる事を、平傴僂の、事ゆきがたき身をもて、くるしみて辛うしてつくれる山の田を、多くの雁どもの来て、はみそこなひて、徒らに成れるにたとへたり、と云へるが如し。但しかの考、のうちに、これかれと誤れる事ども有リ。まづひらくづまのと云ふを、第一の句とせる、わろし。初の句の六言なるは、古、の歌に例なき事なり。そのうへ是より三句は、必ズ結に有るべきおもむきなり。次に於社幣陀を、弘能幣陀の誤リとしたれども、すべて紀中、歌を書るやう、一首の内にて、同じ詞の二つ三つあるをば、同じ仮字を用ひたる例にて、此歌の尾上田をも、二所ながら烏能陛陀と書たるに、其仮字をかへて、弘ノ字幣字を書かむこと、大かたの例にたがへり。
書き下し
此童謡は、百済の国を救わせ給う御軍の、敗れぬべきしるしなりしかば、その救の御軍をさして、於社幣といい、田は、尾上田にたとえたる故に、それをつらね云いて、たとえと実とを合わせたるなり。かく一句の内に、実のうえの詞と、たとえたる物のうえの詞とを、まじえつらねて云える例、万葉に多し。第十の句、上なるに同じ。かくて一首の意は、かの或人の考に、救の御軍の敗れて、多くの功労の、空しくなる事を、平傴僂の、事ゆきがたき身をもて、くるしみて辛うじてつくれる山の田を、多くの雁どもの来て、はみそこないて、徒らに成れるにたとえたり、と云えるが如し。但しかの考のうちに、これかれと誤れる事ども有り。まずひらくづまのと云うを、第一の句とせる、わろし。初の句の六言なるは、古の歌に例なき事なり。そのうえ是より三句は、必ず結に有るべきおもむきなり。次に於社幣陀を、弘能幣陀の誤りとしたれども、すべて紀中、歌を書けるよう、一首の内にて、同じ詞の二つ三つあるをば、同じ仮字を用いたる例にて、此歌の尾上田をも、二所ながら烏能陛陀と書きたるに、其仮字をかえて、弘の字幣の字を書かむこと、大かたの例にたがえり。
現代語訳
この童謡は、百済の国をお救いになる御軍勢が敗れることの前兆であったので、その救援の軍勢を指して「おさえ」と言い、田は尾上田に喩えているので、それを連ねて言って、喩えと実際とを合わせたのである。このように一句の中に、実際の事柄についての言葉と、喩えた物についての言葉とを交えて連ねて言う例は、万葉集に多い。第十の句は上と同じである。こうして一首の意味は、あの或る人の考えに「救援の軍勢が敗れて、多くの苦労が空しくなることを、腰の曲がった、事を運びにくい身で苦しんでやっと作った山の田を、多くの雁たちが来て食い荒らし、無駄になったことに喩えたのである」と言っているとおりである。ただしあの考えの中には、あれこれ誤っていることがある。まず「ひらくづまの」を第一の句としたのは良くない。初句が六音であるのは古の歌に例の無いことである。そのうえ、ここからの三句は必ず結びにあるべき趣である。次に「於社幣陀(おさへだ)」を「弘能幣陀」の誤りとしているが、およそ書紀の中で歌を書き記すやり方は、一首の中に同じ言葉が二つ三つあるときは同じ仮名を用いる例であって、この歌の「尾上田」も二箇所とも「烏能陛陀」と書いているのに、その仮名を変えて「弘」の字や「幣」の字を書くというのは、おおよその例に違っている。
解説
関連する章句
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『玉勝間』三の巻 斉明紀なる童謡第三の句、歌理鵝理能倶邏賦は、雁雁の食うにて、雁雁とは、山山川川国国人人など云う例にて、多くの雁どもの、其あたりの山の多和とよむまで、むらがりさわぎて、田の稲をはみ食うなり。第四の句、騰和騰与美、上なるに同じ。此句、本には、美和陀騰能理歌美とあるは、美の字陀の字、能理歌の字はみな、前後にある字にて、みだれて重なりたるなり。又はじめの騰と与と落ちたるなり。第五の句、六の句、上なるに同じ。第七の句、比邏矩豆摩能は、平傴僂のなり。かの或人の考に、そは即ち此巻に、傴僂という人の名有りて、此をば倶豆磨と云うと見えたり。平とは、いたくくぐせなるさまをもて云う。ひきくはいたる松を、平松と云うたぐいなりと云えり。第八の句、都倶利伺は佃りしなり。本に倶例豆例とある。豆は、その四字上なる都と入れかうべし。上の例は利、下の例は伺の誤りか、または都倶例例にて、つくれるの意か、いずれにても有るべし。第九の句、於社幣陀乎は、押塞田をなり。おさえは、万葉廿の巻に、筑紫国は、あた守る、おさえの城ぞと云云とある、於佐倍と同じくて、仇を押塞うるよしなり。
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『玉勝間』三の巻 斉明紀なる童謡書紀の斉明の巻、六年の童謡、或人の考え置きたるによりて、おのれ又考えたるよう。とわとよみ句、をのへだを句、かりがりのくらう句、とわとよみ句、をのへだを句、かりがりのくらう句、ひらくづまの句、つくりし句、おさへだを句、かりがりのくらう結、かくの如くなるべきか。そもそも此歌は、ゆゆしき事のたとえなる故に、世にはばかりて、ことさらに、句の前後をも、文字の次第をも、書きみだして、何事とも、読み解きがたきさまにしるし伝えたる物と見えたり。なかばに甲子としるせるは、これより読み始むべき事、又それにならいて、文字の次第をも、置きかえて読むべきことを、ほのかにさとしたるしるしなり。これによりて、おのれは今、此甲子とある下より読みはじむ。第一の句、騰和騰与美は、本には、騰与を与騰と書きかえたり。さて騰和は多和にて、古事記に、山の多和とある是なり。かくて多和と騰和と通うよしは、たわむをとおむ、たわわをとおおなど、通わし云えること、万葉におおし。されば騰和は、山のたわみたる所を云う。騰与美は、響動なり。第二の句、烏能陛陀烏は、尾上田をにて、山の尾のほとりの田なり。
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『玉勝間』三の巻 斉明紀なる童謡次に美和陀騰能理歌美とあるを、美歌理能陀和美騰として、御狩のたゆむ間に、雁の来るなりと解き、また美歌理能美和陀騰ともして、水のみわだの淀む如く、御狩に出で給わぬを云うといえる、二つともにわろし。御狩のなき間の事を、たわみとも、みわだとも、云うべきにあらず。次に甲子の下なる騰和与騰美を、和騰与騰美とも、また和騰騰与美ともよみて、朕とよどむ、朕ととよむなど解ける、さらに聞こえぬ事なり。さてまた羽倉(東麻呂)大人は、文字を置きかえて読めるを、ひが事として、本の次第のままによみて、解かれたる説あれど、皆しいごとにて、すべて詞ととのわず、其ことわりも、聞こえがたし。其説は秘説とあれば、ここには顕しがたし。そもそもいかに上つ代の歌と云えども、おりおりこそ聞こえぬ詞もまじりたれ、いずれの歌も、すべてはよく聞こえて、むげに聞こえぬは、一首も無きを、此歌にかぎりて、むげに聞こえぬは、はじめに云える如く、句の前後、文字の次第を、ことさらに書きみだりたる物にて、かの野馬台の詩とかいう物の如くなる書きざまなるを、そこに心を附けたる人の無きは、いかにぞや。但しおのが今のかむがえも、必ずこれよしとにはあらず。初めの句のとわとよみなど、猶善き考えも有るべきにや。
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『玉勝間』九の巻 みちのくの田うゑ歌陸奥の田植歌とて、書きたるを人の見せたる、弥十郎、あすは大たむのおたうえだが、しったかしらぬか、太郎次郎、からすの八番鳥に、むくむくむっくりと、むくしり起き、大くろ小くろ、墨のくろ、上の町の一みなくち、そろりそっと、引こんで、はしはしとかくべいぞや。なえとり、種は千石、おろし申ったが、どれか葉広はやわせ、おとりやれや、皆おしなべて、葉広はやわせ、苗の中の鶯は、世をば何とさえずる、蔵桝に十かきそえて、おくら済むとさえずる。朝はか、朝はかの一みなくちに、生えたる松は何まつ、白かねの銚子提げに、田ぬしいわう若松、若松の一の枝に、とまる鷹が巣をかけて、巣のうちを見入れて見れば、こもち金が九つ、一つを宇賀にまいらせ、八つの長者といわわれたよ、きょうの田うえの田ぬし殿には、金の臼が七から、七からに八からまして立てたは、長者殿にもますべい、杵が十六女が三十三人、三十三人のその中では、どれが目につく旅人、紅の前だれに、上げ嶋田がめにつく、旅びと。
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『玉勝間』七の巻 万葉集一の巻なる莫囂円隣の歌また湯の字をも、謁に誤れるを、そは一本に湯と有るなり。吾瀬子とは、天智天皇の、この時皇太子にてましますをさして詠まれたり。太子もこの幸に供奉し給える趣書紀に見えたり。さて額田の王は、天智天皇の娶りたりし女王なること、桜の落葉の巻に云えるがごとし。さるによりて、わがせことはよみ給えるなり。為兼は、すがねと訓むべし。この句は、この度いつかしが本に、立ち給うべき事を詠み給えるなり。然るをせりけんと訓みては、往時のことなれば、物どおし。五可新何本は、竈山の神社の厳櫃の本なり。かくてこの歌は、この女王も太子に従い奉りて、行き給えるにて、太子の、竈山の社に詣で給わむとする日の朝など、霜の深くおけるにつきて、詠み給えるさまにて、一首の意は、かくては竈山に霜ふかくて、いつかしが本に、立ち給いがたかるべければ、吾兄子が、わずらいなく立ち給うべきために、しばし霜の消えむを待ちて行けかしとなり。
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『玉勝間』九の巻 みちのくの田うゑ歌昼上り、日を見れば、ひるまになり候、昼いいもちのおそさよ、昼いいはいでき候が、椀を何具そろえた、百三具揃えた、昼いいはいでき申したが、おけくさになになに、いそやわかめ苅りあげて、たいをまねふくろから曲、鎌倉へのぼる道には、おうなににたる石あり、男よりて手だにかくれば、なよれかかる石あり、かまくらの御所の舘は、二階作りの八つむねに、むねさわしをふせて、二階づくりの八つむね、鎌倉の御所のやかたの、百千本の竹の子、百千本がのたつなら御所は名所となるべい。夕暮、夕ぐれに出て見れば、前田わせがそよめく、そよめかば、おかりやれや、百や廿余人、百廿余人のその中に、どれがこなたの聟殿、紅の鉢巻に、左鎌が聟殿、上りはか、上りはかのこんそめには、誰もけんてにかけるな、玉のみこしでむかえ申そ、誰もけんてにかけるな、笠の上で蝉が鳴き候、おいとま申すぞ田の神。
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