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玉勝間 / 三の巻 五十師原山辺御井

錦をはれるとは、かの行幸は、六年の三月なれば、櫻桃などの花を云へるか。又は大寶二年十月にも、同じ天皇、參河國に行幸有しかば、其時にてもあらむか。もし然らば行宮は、參河への道次の行宮にて、錦は紅葉なるべし。とにかくに長歌のやう、女房たちの宮づかへのさまを詠めりと聞ゆれば、必ズ持統天皇なるべし。さて此あたり、今はすべて松山にて、あだし木はすくなし。かの赤人屋敷と云ふは、山邊村より南の方へいささかのぼりて、高き所に在て、たても横も半町には足らぬ程のたひらにて、今は畠なり。其西北のすみの所に、石垣と云ふ物も有しを、五六十年ばかりさきに、里人の埋みしとぞ。又此所の土の中より、碁石の如くなる、小さき石に佛經の文字を彫りたるを、をりをり掘り出ること有りと云へり。さてそのあたりより、伊勢の海よく見渡されて、ここより見れば、まことに水門なすと詠めるさまなり。尾張參河の山山も、伊勢の山山島島も、よく見え、高岡川といふ川、村の東を流れて、ま近く見おろさるるなど、すべてかの長歌のけしきに、よくかなへる所なり。御井は、そこより南の、すこし西の方へくだりたる、谷あひの田の中に有リ。

新字:錦をはれるとは、かの行幸は、六年の三月なれば、桜桃などの花を云へるか。又は大宝二年十月にも、同じ天皇、参河国に行幸有しかば、其時にてもあらむか。もし然らば行宮は、参河への道次の行宮にて、錦は紅葉なるべし。とにかくに長歌のやう、女房たちの宮づかへのさまを詠めりと聞ゆれば、必ズ持統天皇なるべし。さて此あたり、今はすべて松山にて、あだし木はすくなし。かの赤人屋敷と云ふは、山辺村より南の方へいささかのぼりて、高き所に在て、たても横も半町には足らぬ程のたひらにて、今は畠なり。其西北のすみの所に、石垣と云ふ物も有しを、五六十年ばかりさきに、里人の埋みしとぞ。又此所の土の中より、碁石の如くなる、小さき石に仏経の文字を彫りたるを、をりをり掘り出ること有りと云へり。さてそのあたりより、伊勢の海よく見渡されて、ここより見れば、まことに水門なすと詠めるさまなり。尾張参河の山山も、伊勢の山山島島も、よく見え、高岡川といふ川、村の東を流れて、ま近く見おろさるるなど、すべてかの長歌のけしきに、よくかなへる所なり。御井は、そこより南の、すこし西の方へくだりたる、谷あひの田の中に有リ。

書き下し

錦をはれるとは、かの行幸は、六年の三月なれば、桜桃などの花を云えるか。又は大宝二年十月にも、同じ天皇、参河国に行幸有りしかば、其時にてもあらむか。もし然らば行宮は、参河への道次の行宮にて、錦は紅葉なるべし。とにかくに長歌のよう、女房たちの宮づかえのさまを詠めりと聞こゆれば、必ず持統天皇なるべし。さて此あたり、今はすべて松山にて、あだし木はすくなし。かの赤人屋敷と云うは、山辺村より南の方へいささかのぼりて、高き所に在りて、たても横も半町には足らぬ程のたいらにて、今は畠なり。其西北のすみの所に、石垣と云う物も有りしを、五六十年ばかりさきに、里人の埋みしとぞ。又此所の土の中より、碁石の如くなる、小さき石に仏経の文字を彫りたるを、おりおり掘り出ること有りと云えり。さてそのあたりより、伊勢の海よく見渡されて、ここより見れば、まことに水門なすと詠めるさまなり。尾張参河の山山も、伊勢の山山島島も、よく見え、高岡川という川、村の東を流れて、ま近く見おろさるるなど、すべてかの長歌のけしきに、よくかなえる所なり。御井は、そこより南の、すこし西の方へくだりたる、谷あいの田の中に有り。

現代語訳

「錦を張れる」というのは、あの行幸が持統六年の三月であるから、桜や桃などの花を言ったのだろうか。あるいは大宝二年十月にも同じ天皇が三河国に行幸なさったので、その時のことでもあろうか。もしそうならば、行宮は三河へ向かう道中の行宮であって、錦は紅葉であるはずだ。いずれにせよ、長歌の様子は女房たちの宮仕えのありさまを詠んだものと解されるので、必ず持統天皇であろう(女帝だからである)。さてこのあたりは、今はすっかり松山で、ほかの木は少ない。あの赤人屋敷というのは、山辺村から南の方へ少し登った高い所にあって、縦も横も半町に足りないほどの平地で、今は畑である。その西北の隅の所に石垣というものもあったのを、五、六十年ほど前に里人が埋めたという。またこの所の土の中から、碁石のような小さな石に仏教の経文の文字を彫ったものを、時々掘り出すことがあると言っていた。さてそのあたりから伊勢の海がよく見渡されて、ここから見ると、まことに「水門なす」と詠んだとおりの眺めである。尾張や三河の山々も、伊勢の山々や島々もよく見え、高岡川という川が村の東を流れて間近に見下ろされるなど、すべてあの長歌の景色によく合っている所である。御井は、そこから南の、少し西の方へ下った谷あいの田の中にある。

解説

踏査の記録の続きで、宣長は歌の言葉と現地の景色を一つずつ照らし合わせていく。「錦」は三月の行幸なら桜や桃、大宝二年(702)の三河行幸の途次なら紅葉、と二つの可能性を並べ、決めきれないところは決めない。そのうえで、長歌が宮仕えする女房たちを詠んでいることから、女帝の持統天皇の行幸だという点は動かないとする。赤人屋敷の平地、埋められた石垣、経文を彫った小石、そして高台から見える伊勢の海と島々。長歌の「水門なす海もゆたけし」「見渡す島も名高し」が、そのまま眼前の景色として確かめられる。遺物から古い由緒を推し量り、眺望から歌の舞台を割り出す手つきは、近代の歴史地理学にも通じる。確かめられることと推測とを分けて書く点も見逃せない。

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