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玉勝間 / 二の巻 五十連音をおらんだびとに唱へさせたる事

小篠大記御野と云ふ人は、石見ノ國濱田の殿の儒者にて、おのが弟子なり。天明八年秋のころ、肥前ノ國の長崎に物して、於蘭陀人のまうで來てあるに逢て、音韻の事どもを論じ、皇國の五十音の事をかたりて、そを其人にとなへさせて聞しに、和のくだりの音をば、みな上に宇を帶て、ヰはウイの如く、ヱはウエの如く、ヲはウオのごとくに呼て、イエオとはひとしからず、よく分れたり。こは何をもて然るぞと問ヒしかば、はじめの和にならへばなりとぞ云へりける。かの國のつねの音も、このけぢめ有りとぞ。此事おのが字音かなづかひに云へると、全くあへりとて、いみしく喜びおこせたりき。猶そのをりの物がたりども、何くれと云ひおこせたりし中に、おかしき事ども有れど、ここにはもらしつ。

新字:小篠大記御野と云ふ人は、石見ノ国浜田の殿の儒者にて、おのが弟子なり。天明八年秋のころ、肥前ノ国の長崎に物して、於蘭陀人のまうで来てあるに逢て、音韻の事どもを論じ、皇国の五十音の事をかたりて、そを其人にとなへさせて聞しに、和のくだりの音をば、みな上に宇を帯て、ヰはウイの如く、ヱはウエの如く、ヲはウオのごとくに呼て、イエオとはひとしからず、よく分れたり。こは何をもて然るぞと問ヒしかば、はじめの和にならへばなりとぞ云へりける。かの国のつねの音も、このけぢめ有りとぞ。此事おのが字音かなづかひに云へると、全くあへりとて、いみしく喜びおこせたりき。猶そのをりの物がたりども、何くれと云ひおこせたりし中に、おかしき事ども有れど、ここにはもらしつ。

書き下し

小篠大記御野と云う人は、石見の国浜田の殿の儒者にて、おのが弟子なり。天明八年秋のころ、肥前の国の長崎に物して、於蘭陀人のもうで来てあるに逢いて、音韻の事どもを論じ、皇国の五十音の事をかたりて、そをその人にとなえさせて聞きしに、和のくだりの音をば、みな上に宇を帯びて、ヰはウイの如く、ヱはウエの如く、ヲはウオのごとくに呼びて、イエオとはひとしからず、よく分かれたり。こは何をもて然るぞと問いしかば、はじめの和にならえばなりとぞ云えりける。かの国のつねの音も、このけじめ有りとぞ。この事おのが字音かなづかいに云えると、全くあえりとて、いみしく喜びおこせたりき。なおそのおりの物がたりども、何くれと云いおこせたりし中に、おかしき事ども有れど、ここにはもらしつ。

現代語訳

小篠大記御野という人は、石見国浜田の殿(浜田藩主)の儒者で、私の弟子である。天明八年(1788)秋のころ、肥前国長崎に行って、オランダ人が来ているのに会って音韻のことなどを論じ、皇国の五十音のことを語って、それをその人に唱えさせて聞いたところ、ワ行の音はみな上に「ウ」を帯びて、ヰはウイのように、ヱはウエのように、ヲはウオのように発音して、イ・エ・オとは同じでなく、よく分かれていた。これはどういうわけでそうなるのかと尋ねると、はじめの「ワ」にならうからだと言った。あの国の普通の音にも、この区別があるという。このことが、私の『字音仮字用格』で述べたことと全く合っていると、たいへん喜んで知らせてきた。なおその折の話をあれこれと知らせてきた中に、面白いこともあったが、ここには漏らした。

解説

門人の小篠御野が長崎でオランダ人に五十音を発音させた話を記した段である。当時の日本語では、ワ行のヰ・ヱ・ヲとア行のイ・エ・オはすでに発音の区別がなくなっていたが、宣長は『字音仮字用格』で、古くはワ行音が「ウ」を帯びた別の音だったと論じ、仮名遣いの根拠とした。オランダ人に唱えさせると、ヰはウイ、ヱはウエ、ヲはウオのように発音され、イ・エ・オとはっきり区別された。はじめのワにならうからだ、という答えは、ワ行を一つの音の系列として捉えたものである。宣長の説が外国人の発音で裏付けられたと、門人は大いに喜んで報告した。古典の文献学者である宣長の説が、蘭学の時代の異国人の声で確かめられる。学問の検証が思わぬ所から来る面白さを伝える一段である。

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