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玉勝間 / 二の巻 師の説になづまざる事

又おのが師などの惡ろき事を云ひあらはすは、いともかしこくはあれど、それも云はざれば、世の學者その說にまどひて、長く善きを知るご無し。師の說なりとして、惡ろきを知りながら、云はずつつみかくして、よさまにつくろひをらんは、唯だ師をのみたふとみて、道をば思はざるなり。宣長は、道を尊み古、を思ひて、ひたぶるに道の明らかならん事を思ひ、古、の意の明らかならん事をむねと思ふが故に、わたくしに師をたふとむことわりの缺けむ事をば、えしもかへり見ざる事あるを、猶惡ろしと、そしらむ人はそしりてよ、そはせんかた無し。われは人にそしられじ、善き人に成らむとて、道をまげ、古、の意をまげて、さてあるわざはえせずなん。これ卽ちわが師の心なれば、かへりては師をたふとむにも有るべくや。そはいかにも有れ。

新字:又おのが師などの悪ろき事を云ひあらはすは、いともかしこくはあれど、それも云はざれば、世の学者その説にまどひて、長く善きを知るご無し。師の説なりとして、悪ろきを知りながら、云はずつつみかくして、よさまにつくろひをらんは、唯だ師をのみたふとみて、道をば思はざるなり。宣長は、道を尊み古、を思ひて、ひたぶるに道の明らかならん事を思ひ、古、の意の明らかならん事をむねと思ふが故に、わたくしに師をたふとむことわりの欠けむ事をば、えしもかへり見ざる事あるを、猶悪ろしと、そしらむ人はそしりてよ、そはせんかた無し。われは人にそしられじ、善き人に成らむとて、道をまげ、古、の意をまげて、さてあるわざはえせずなん。これ即ちわが師の心なれば、かへりては師をたふとむにも有るべくや。そはいかにも有れ。

書き下し

またおのが師などの悪ろき事を云いあらわすは、いともかしこくはあれど、それも云わざれば、世の学者その説にまどいて、長く善きを知るご無し。師の説なりとして、悪ろきを知りながら、云わずつつみかくして、よさまにつくろいおらんは、ただ師をのみたっとみて、道をば思わざるなり。宣長は、道を尊み古を思いて、ひたぶるに道の明らかならん事を思い、古の意の明らかならん事をむねと思うが故に、わたくしに師をたっとむことわりの欠けむ事をば、えしもかえり見ざる事あるを、猶悪ろしと、そしらむ人はそしりてよ、そはせんかた無し。われは人にそしられじ、善き人に成らむとて、道をまげ、古の意をまげて、さてあるわざはえせずなん。これすなわちわが師の心なれば、かえりては師をたっとむにも有るべくや。そはいかにも有れ。

現代語訳

また自分の師などの悪いところを言い表すのは、まことに畏れ多いことではあるが、それも言わなければ、世の学者はその説に惑って、いつまでも良い説を知る時がない。師の説だからといって、悪いと知りながら言わずに包み隠し、良いように取り繕っているのは、ただ師だけを尊んで、道のことを思わないのである。宣長は道を尊び古を思って、ひたすら道が明らかになることを思い、古の心が明らかになることを第一に思うので、私的に師を尊ぶ道理が欠けることを顧みないことがあるが、それでもやはり悪いとそしる人はそしればよい。それは仕方がない。私は人にそしられまい、良い人になろうとして、道を曲げ、古の心を曲げて、そのままにしておくことはできない。これこそわが師の心なのだから、かえって師を尊ぶことにもなるだろうか。それはどうであれ。

解説

前の段の続きで、師の誤りを言うことの意味をさらに掘り下げている。師の誤りを言うのは畏れ多いが、言わなければ世の学者はその説に惑い、正しい説を知る時がない。悪いと知りながら包み隠し取り繕うのは、師だけを尊んで道を思わないことだ、と宣長は言う。そして、師を尊ぶ礼が欠けるとそしる人はそしればよい、自分はそしられまいと道を曲げることはしない、と言い切る。これこそ師の心なのだから、かえって師を尊ぶことになるだろう、と。最後の「そはいかにも有れ」、それはどうであれ、という一言に、評判より真理を取る覚悟がにじむ。人に対する忠と、真実に対する忠が衝突したとき、後者を取れという教えは、組織の中で誤りを指摘すべきか迷う人に響く。

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