文武訓 / 文訓上
されば詩文つくる事をきらふにはかはるべし。人となりて、忠孝以下の人の道をきらはば、不孝の子、不忠の臣となりて、天地の間の大なるとが人にあらずや。かゝる人は世に立ちがたし。しかれば、學問をきらひて世に立たんとするは、狼藉の人なるべし。
新字:されば詩文つくる事をきらふにはかはるべし。人となりて、忠孝以下の人の道をきらはば、不孝の子、不忠の臣となりて、天地の間の大なるとが人にあらずや。かゝる人は世に立ちがたし。しかれば、学問をきらひて世に立たんとするは、狼藉の人なるべし。
書き下し
されば詩文つくる事をきらふにはかはるべし。人となりて、忠孝以下の人の道をきらはば、不孝の子、不忠の臣となりて、天地の間の大なるとが人にあらずや。かかる人は世に立ちがたし。しかれば、学問をきらひて世に立たんとするは、狼藉の人なるべし。
現代語訳
ですから、詩文を作ることを嫌うのとは違うのです。人として生まれて、忠孝をはじめとする人の道を嫌うならば、不孝の子、不忠の臣となって、天地の間の大きな罪人ではないでしょうか。こういう人は世に立つことができません。ですから、学問を嫌いながら世に立とうとするのは、無法な人と言うべきです。
解説
前段の結びで、詩文を嫌うことと学問を嫌うことは同じではないと念を押しています。学問を嫌うとは忠孝の道を嫌うことであり、そういう人は不孝の子・不忠の臣となって世に立てないという論理です。益軒の言う学問は、人としての生き方そのものを学ぶことでした。今でいえば、資格や知識を嫌うのは好みでも、誠実さや責任感を学ぶことを拒めば社会で信頼を得られない、という話に置き換えられ、働く人の心構えとして読めます。
この章句が説くこと
学問孝忠世渡り義理
関連する章句
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『文武訓』文訓上是、井蛙の大海を知らざるにたとふべし。孔孟のをしへ、皆博学を以てさきとし給ふを以て、其非を知るべし。聖人の道は広大精微なり。今の人の食物の料理本、なぞなぞの本などのやうなる事にては、其道理知りがたかるべし。一詩を作り文をよむ事をきらふは、人々の生れつきによりて、其このみきらふこと、各かはれること、たとへば、上戸下戸の、酒をこのみきらふことかはれるが如くなれば、さもあらばあれ、只学問をきらふことは、心にも忌み口にもはばかるべし。いかんとなれば、学問とはなにごとぞや、おやに孝を行ひ、君に忠をなし、凡、人倫にまじはりて、義理を行はんがためなり。此道を、古の聖人のをしへおき給へるを、まなぶを云ふにあらずや。
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『大和俗訓』巻之一・為学上一学問の道は、極めて広大高妙にして深奥なり。しかれども其近き所は孝弟忠信の日用常行にあり。故にいかなる愚なる者も、此道をまなびやすく、知りやすく、行ひやすし。高遠にして、あやしく異なる道にはあらず。一古の聖人すら、猶師にしたがひて学び給ふ。況や今時の凡人、学ばずしては道を知りがたし。小芸だにも、師なく習なくしてはなしがたし。況や人の道は即天地の道にて、極めて大なるをや。学んでも、まなびやう悪しければ、道を知らず。学ばずして道を得んことは、万々此理なし。
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