玉勝間 / 二の巻 おのが物まなびの有しやう
おのれいときなかりし程より、書を讀む事をなむ、よろづよりも面白く思ひて、讀みける。さるははかばかしく師に附きて、わざと學問すとにも有らず、何と心ざす事も無く、そのすぢと定めたるかたも無くて、唯だからのやまとの、くさぐさのふみを、有るにまかせ、うるにまかせて、古き近きをも云はず、何くれと讀みけるほどに、十七八なりし程より、歌詠ままほしく思ふ心いできて、詠みはじめけるを、それは師に從ひて、學べるにも有らず、人に見する事などもせず、ただひとり詠み出るばかりなりき。集どもも、古き近きこれかれと見て、かたの如く今の世の詠みざまなりき。斯くてはたちあまりなりし程、學問しにとて、京になんのぼりける。さるは十一の年、父におくれしにあはせて、江戶に在りし、家のなりはひをさへに、失ひたりし程にて、母なりし人のおもむけにて、くすしのわざを習ひ、又そのために、世のつねの儒學をもせむとてなりけり。
新字:おのれいときなかりし程より、書を読む事をなむ、よろづよりも面白く思ひて、読みける。さるははかばかしく師に附きて、わざと学問すとにも有らず、何と心ざす事も無く、そのすぢと定めたるかたも無くて、唯だからのやまとの、くさぐさのふみを、有るにまかせ、うるにまかせて、古き近きをも云はず、何くれと読みけるほどに、十七八なりし程より、歌詠ままほしく思ふ心いできて、詠みはじめけるを、それは師に従ひて、学べるにも有らず、人に見する事などもせず、ただひとり詠み出るばかりなりき。集どもも、古き近きこれかれと見て、かたの如く今の世の詠みざまなりき。斯くてはたちあまりなりし程、学問しにとて、京になんのぼりける。さるは十一の年、父におくれしにあはせて、江戸に在りし、家のなりはひをさへに、失ひたりし程にて、母なりし人のおもむけにて、くすしのわざを習ひ、又そのために、世のつねの儒学をもせむとてなりけり。
書き下し
おのれいときなかりし程より、書を読む事をなむ、よろずよりも面白く思いて、読みける。さるははかばかしく師に附きて、わざと学問すとにも有らず、何と心ざす事も無く、そのすじと定めたるかたも無くて、ただからのやまとの、くさぐさのふみを、有るにまかせ、うるにまかせて、古き近きをも云わず、何くれと読みけるほどに、十七八なりし程より、歌詠ままほしく思う心いできて、詠みはじめけるを、それは師に従いて、学べるにも有らず、人に見する事などもせず、ただひとり詠み出ずるばかりなりき。集どもも、古き近きこれかれと見て、かたの如く今の世の詠みざまなりき。斯くてはたちあまりなりし程、学問しにとて、京になんのぼりける。さるは十一の年、父におくれしにあわせて、江戸に在りし、家のなりわいをさえに、失いたりし程にて、母なりし人のおもむけにて、くすしのわざを習い、またそのために、世のつねの儒学をもせむとてなりけり。
現代語訳
私は幼いころから、書を読むことを何よりも面白く思って読んでいた。とはいえ、きちんと師について本格的に学問をしたわけでもなく、何を志すということもなく、その方面と定めた分野もなくて、ただ中国のもの日本のものと、いろいろな書を、あるにまかせ手に入るにまかせて、古いものも新しいものも問わず、あれこれと読んでいるうちに、十七、八歳のころから、歌を詠みたいと思う心が出てきて詠みはじめたが、それは師について学んだのでもなく、人に見せることなどもせず、ただ一人で詠み出すばかりであった。歌集も古いもの新しいものをあれこれ見て、型どおりの今の世の詠みぶりであった。こうして二十歳あまりのころ、学問をしようと京に上った。それは、十一歳の年に父に死に別れたうえに、江戸にあった家業までも失っていたころで、母であった人の勧めで医術を習い、またそのために世間普通の儒学も学ぼうとしてのことであった。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうさて京に在りしほどに、百人一首の改観抄を、人に借りて見て、はじめて契沖と云いし人の説を知り、その世にすぐれたる程をも知りて、この人のあらわしたる物、余材抄、勢語臆断などを初め、その外もつぎつぎに、もとめ出でて見けるほどに、すべて歌まなびの筋の、善き悪しきけじめをも、ようようにわきまえさとりつ。さるままに、今の世の歌よみの思えるむねは、大かた心にかなわず、その歌のさまも、おかしからず覚えけれど、そのかみ同じ心なる友は無かりければ、ただ世の人なみに、ここかしこの会などにも出でまじらいつつ、詠みありきけり。さて人の詠むふりは、おのが心には、かなわざりけれども、おのがたてて詠むふりは、今の世のふりにもそむかねば、人はとがめずぞ有りける。そはさるべき理りあり、別に云いてん。さて後、国にかえりたりしころ、江戸よりのぼれりし人の、近きころ出でたりとて冠辞考と云う物を見せたるにぞ、縣居の大人の御名をも、始めて知りける。
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『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうかくてそのふみ、はじめに一わたり見しには、さらに思いもかけぬ事のみにして、あまり事とおく、あやしきように覚えて、さらに信ずる心はあらざりしかど、猶あるよう有るべしと思いて、立ちかえり今一たび見れば、まれまれには、げにさもやと覚ゆるふしぶしも出で来ければ、また立ちかえり見るに、いよいよげにとおぼゆる事多くなりて、見るたびに信ずる心の出で来つつ、つひに古ぶりのこころことばの、まことに然る事をさとりぬ。かくて後に思いくらぶれば、かの契沖が万葉の説は、猶いまだしき事のみぞ多かりける。おのが歌まなびの有りしよう、大かた斯くの如くなりき。
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『玉勝間』七の巻 おのれとり分て人につたふべきふし無き事おのれは、道の事も歌の事も、あがたいのうしの教えのおもむきによりて、ただ古の書どもを、考えさとれるのおのれは、考えさとれるのみこそ有れ、その家の伝えごととては、うけ伝えたる事更に無ければ、家々のひめことなど云うかぎりは、いかなる物にか、一つだに知れる事無し。されば又、人にとりわきて殊に伝うべきふしも無し。総て善き事は、いかにもいかにも、世に弘くせまほしく思えば、古の書どもを考えて、さとり得たりと思うかぎりは、みな書に書きあらわして、露も残しこめたる事は無きぞかし。おのずからも、おのれに従いて、物まなばむと思わむ人有らば、ただあらわせる書どもを、よく見て有りぬべし。そをはなちて外には、更に教うべきふしは無きぞとよ。
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『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうさてまた道の学びはまず初めより、神書と云うすじの物、ふるき近き、これやかれやと読みつるを、はたちばかりの程より、わきて心ざし有りしかど、とりたててわざと学ぶ事は無かりしに、京にのぼりては、わざとも学ばむと、こころざしはすすみぬるを、かの契沖が歌ぶみの説になずらえて、皇国の古の意をおもうに、世に神道者と云う者の説おもむきは、皆いたくたがえりと、早くさとりぬれば、師と頼むべき人も無かりしほどに、われいかで古のまことのむねを、考え出でむ、と思うこころざし深かりしにあわせて、かの冠辞考を得て、かえすがえす読みあじわうほどに、いよいよ心ざし深くなりつつ、この大人をしたう心、日にそえてせちなりしに、年このうし、田安の殿の仰せ事をうけ給わり給いて、このいせの国より、大和山城など、ここかしこと尋ねめぐられし事の有りしおり、この松坂の里にも、二日三日とどまり給えりしを、さることつゆ知らで、後に聞きて、いみしく口惜しかりしを、かえるさまにも、また一夜やどり給えるを、うかがい待ちて、いといとうれしく、急ぎやどりにもうでて、はじめて見え奉りたりき。さてつひに名簿を奉りて、教えをうけ給わる事には成りたりきかし。
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『玉勝間』二の巻 あがたゐのうしの御さとし言宣長三十あまりなりしほど、縣居の大人の教えをうけ給わりそめし頃より、古事記の注釈を物せむのこころざし有りて、その事大人にもきこえけるに、さとし給えりしようは、われももとより、神の御典をとかむと思う心ざし有るを、そはまずからごころを清くはなれて、古のまことの意をたずねえずは有るべからず、然るにその古のこころを得むことは、古言を得たるうえならではあたわず、古言を得むことは、万葉をよく明らむるにこそあれ、さる故に、吾はまずもはら万葉をあきらめんとする程に、すでに年老いて、残りのよわい、今いくばくも有らざれば、神の御ふみを解くまでに至る事えざるを、いましは年さかりにて、行くさき長ければ、今より怠る事無く、いそしみ学びなば、その心ざしとぐること有るべし。ただし世の中の物まなぶともがらを見るに、皆ひきき所を経ずて、まだきに高き所にのぼらんとする程に、ひきき所をだにうる事あたわず、まして高き所はうべきよう無ければ、皆ひがごとのみすめり。
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『玉勝間』二の巻 おのれあがたゐの大人の〓〓を受けしやう宣長、縣居の大人に逢い奉りしは、この里に一夜やどり給えりしおり、一度のみなりき。その後はただ、しばしば書かよわしきこえてぞ、物は問いあきらめたりける。そのたびたび給えりし御答えのふみども、いと多くつもりにたりしを、ひとつも散らさで、いつきもたりけるを、せちに人の乞いもとむるままに、ひとつふたつと取らせけるほどに、今は残りすくなくなん成りぬる。さて古事記の注釈を物せんの心ざし深き事を申せしによりて、その上つ巻をば、考え給える古言をもて、仮字がきにし給えるをも、貸し給い、また中つ巻下つ巻は、かたわらの訓を改め、所所書き入れなどをも、てずからし給える本をも、かし給えりき。古事記伝に、師の説とて引きたるは、多くその本にある事どもなり。そもそもこの大人、古学の道をひらき給える御いさおは、申すもさらなるを、かのさとし言にのたまえる如く、世のかぎりもはら万葉に力を尽くされしほどに、古事記、書紀にいたりては、そのかむかえ、いまだあまねく深くはゆきわたらず、くわしからぬ事どもも多し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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