玉勝間 / 二の巻 うつほ物語の事
うつほの物語、今の世の板本は、卷の名たがへる有り、その次第もみだれて、讀みつづけがたし。ここに田中ノ道麻呂が、ふるき善本によりて、正したりし次第は、第一俊蔭、第二並藤原ノ君、第三並ただこそ、第四梅ノ花笠、一名春日まうで、第五さがの院、第六吹上ヶ上、第七吹上ヶ下、第八祭の使、第九菊の宴、第十あて宮第十一初秋、一名とばかりの名月、一名すまひの節會、第十二たづの村鳥、第十三藏開上、第十四藏開中、第十五藏開下、第十六樓の上、上、第十七樓の上、下、第十八國ゆづり上、第十九國ゆづり中、第二十國ゆづり下、かくの如くにて、合せて廿卷なり。然るに今の本は、嵯峨ノ院ノ卷を藏開ノ下とし、吹上ノ卷の上下のついでを誤り、藏開ノ下を國ゆづりの下とし、樓の上ノ卷の上下のついでを誤り、國ゆづり上と中と次第を誤り、同下をさがのゐんとす、これら皆誤りなり。然れば今の本の、藏開下はさがのゐんなり、吹上の上は下、下は上なり、國ゆづり下は藏開下なり、樓の上、上は下、下は上なり、國ゆづり上は中、中は上なり、さがのゐんは國ゆづり下なり、と心得べし。又今の本は、わたくしに、一卷なるをも上下にわけ、あるは上下なるを、又分々などして、合せて三十卷とせり。
新字:うつほの物語、今の世の板本は、巻の名たがへる有り、その次第もみだれて、読みつづけがたし。ここに田中ノ道麻呂が、ふるき善本によりて、正したりし次第は、第一俊蔭、第二並藤原ノ君、第三並ただこそ、第四梅ノ花笠、一名春日まうで、第五さがの院、第六吹上ヶ上、第七吹上ヶ下、第八祭の使、第九菊の宴、第十あて宮第十一初秋、一名とばかりの名月、一名すまひの節会、第十二たづの村鳥、第十三蔵開上、第十四蔵開中、第十五蔵開下、第十六楼の上、上、第十七楼の上、下、第十八国ゆづり上、第十九国ゆづり中、第二十国ゆづり下、かくの如くにて、合せて廿巻なり。然るに今の本は、嵯峨ノ院ノ巻を蔵開ノ下とし、吹上ノ巻の上下のついでを誤り、蔵開ノ下を国ゆづりの下とし、楼の上ノ巻の上下のついでを誤り、国ゆづり上と中と次第を誤り、同下をさがのゐんとす、これら皆誤りなり。然れば今の本の、蔵開下はさがのゐんなり、吹上の上は下、下は上なり、国ゆづり下は蔵開下なり、楼の上、上は下、下は上なり、国ゆづり上は中、中は上なり、さがのゐんは国ゆづり下なり、と心得べし。又今の本は、わたくしに、一巻なるをも上下にわけ、あるは上下なるを、又分々などして、合せて三十巻とせり。
書き下し
うつほの物語、今の世の板本は、巻の名たがえる有り、その次第もみだれて、読みつづけがたし。ここに田中の道麻呂が、ふるき善本によりて、正したりし次第は、第一俊蔭、第二並藤原の君、第三並ただこそ、第四梅の花笠、一名春日もうで、第五さがの院、第六吹上の上、第七吹上の下、第八祭の使、第九菊の宴、第十あて宮第十一初秋、一名とばかりの名月、一名すまいの節会、第十二たづの村鳥、第十三蔵開上、第十四蔵開中、第十五蔵開下、第十六楼の上、上、第十七楼の上、下、第十八国ゆずり上、第十九国ゆずり中、第二十国ゆずり下、かくの如くにて、合わせて廿巻なり。然るに今の本は、嵯峨の院の巻を蔵開の下とし、吹上の巻の上下のついでを誤り、蔵開の下を国ゆずりの下とし、楼の上の巻の上下のついでを誤り、国ゆずり上と中と次第を誤り、同じく下をさがのいんとす、これら皆誤りなり。然れば今の本の、蔵開下はさがのいんなり、吹上の上は下、下は上なり、国ゆずり下は蔵開下なり、楼の上、上は下、下は上なり、国ゆずり上は中、中は上なり、さがのいんは国ゆずり下なり、と心得べし。また今の本は、わたくしに、一巻なるをも上下にわけ、あるは上下なるを、また分け分けなどして、合わせて三十巻とせり。
現代語訳
『うつほ物語』の今の世の板本は、巻の名の違っているものがあり、その順序も乱れていて、読み続けにくい。ここに田中道麻呂が古い善本によって正した順序は、第一俊蔭、第二(並びの巻)藤原の君、第三(並びの巻)ただこそ、第四梅の花笠(一名春日詣)、第五嵯峨の院、第六吹上の上、第七吹上の下、第八祭の使、第九菊の宴、第十あて宮、第十一初秋(一名とばかりの名月、一名相撲の節会)、第十二たづの村鳥、第十三蔵開の上、第十四蔵開の中、第十五蔵開の下、第十六楼の上の上、第十七楼の上の下、第十八国譲の上、第十九国譲の中、第二十国譲の下、このようで、合わせて二十巻である。ところが今の本は、嵯峨の院の巻を蔵開の下とし、吹上の巻の上下の順を誤り、蔵開の下を国譲の下とし、楼の上の巻の上下の順を誤り、国譲の上と中の順を誤り、国譲の下を嵯峨の院としている。これらはみな誤りである。だから今の本の蔵開の下は嵯峨の院であり、吹上の上は下、下は上であり、国譲の下は蔵開の下であり、楼の上の上は下、下は上であり、国譲の上は中、中は上であり、嵯峨の院は国譲の下である、と心得るべきである。また今の本は、勝手に一巻のものを上下に分けたり、あるいは上下のものをさらに分けたりして、合わせて三十巻としている。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 うつほ物語の事さてまたふるき一本には、たづのむら鳥を第十一とし、初秋を第十二とし、国ゆずり三巻を、第十六第十七第十八とし、楼の上の上下を、第十九第廿とせり。これらのついでは、いずれ善からむ。おのれいとまなくて、すべていまだえよくも考えず、見ん人猶かんがえて定めてよ。そもそも右の考えどもは、同じ尾張の国人浅井の某が、この物語を好みて、善本に依りて、考え置きたるに依れるなりと、道麻呂云えりき。
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『玉勝間』五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つ初めのくだり、男のきたりける云云、男の、のの文字ひがことなり。真名本に無きぞ宜しき。男のとては、云云して歌を書きてやる事、女のしわざになるなり。月やあらぬちょう歌の条、ほいにはあらで、この詞聞えず。真字本に、穂にはと有るも、心ゆかず。穂には出でずなどこそ云え、ほにはあらでなどは、聞きつかぬ心地す、猶もじの誤りなどにや。うつの山のところ、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、つたかえではしげりて云云、かえではのはは、てにおはなり。上の道はのはと重ねて、こうように云う、一つの格なり。「秋はきぬ紅葉はやどに降りしきぬ道ふみ分けてとう人は無し、など、三つも重ねて云える、この類多し。真名本に葉と書けるによりて、然か心得ては、いとつたなき文になるなり。「君がためたおれる枝は云云。この歌は、君にわが心ざしの深きにかないて、春ながらも、秋のごとく色ふかく染めたり、と云う意なるべし。注どもに、秋と云う言になずみて、女の心のうつろう事に心得たるはいかが。さてはかえしの歌めずらしげ無し。又女の心を疑うべきよしも、上の詞に見えず。「いでていなば心かろしと云云。
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『玉勝間』五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つむかし男久しう云云、真名本に、云えりければの下に、女とあり。むかし女の、あだなる男の云云、女のの、の文字、ひが事なり。すべてのちょう辞は、心得有りて、おくべき所と、必ず置くまじき所との有る事なるを、これはさるわきまえをも知らぬ、後の人の、何心も無く加えたるなるべし。真名本に、女のと云う事無し。それも女と云う言足らず。むかし男、女のまだ世へずと云云、このくだり詞ととのわず。物聞えたるを、後に聞きて、などこそ有るべけれ。
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『玉勝間』八の巻 かけつかさうつほ物語たずのむら鳥の巻に、兼官の事を、かけつかさとあり。
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『玉勝間』十二の巻 長持と云ふ物栄華物語若枝の巻に、なかもちからびつのふたに、いとおどろおどろしゅうたたみいれて、うちかさねて、二人などかきて、もてくるも有り、と有り。これ今の世にいう長持と聞えたり。この名うつほの物語にも見えたるを、その巻をわすれたり。
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『玉勝間』五の巻 いせ物語真名本の事そを思えば、これも昔の一つの本なりしを、後に真名には、書きなしたるにぞ有るべき。されば今も、一本には備うべきものなり。然るにいといと心得ぬ事は、わが縣居の大人の、この物語を解かれたるには、世のつねの仮字本をば、今本と云いて、ひたぶるにわろしとして、この真名本をしも、古本と云いて、こちたくほめて、ことごとくよろしとして用い、ともすればこのつたなき真字を、物の証にさえ引かれたるは、いかなる事にかあらん。さばかり古えの仮字の事を、つねに云わるるにも似ず、この本の、さばかり仮字のいたく乱れて、世につたなきなどをも、いかに見られけむ、かえすがえす心得ぬ事ぞかし。さて又近きころ、或る人の出だせる、旧本と云うなる、真名の本も一つ有り。それはかのもとのとは、こよなくまさりて、大かた今の京に成りての世の人の、及びがたき真字の書きざまなる所多し。さればこれもまことの古き本には有らず、やがて出だせる人の、みずからのしわざにぞ有りける。然か云う故は、まず今の京となりての書どもは、すべて仮字の清濁は、おさおさ差別無く用いたるを、この本は、ことごとく清濁を分け分けて、みだりならず。
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