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玉勝間 / 一の巻 音便の事

古語の中にも、いとまれまれに音便あれども、後の世のとはみな異なり。後ノ世の音便は、奈良の末つかたより、かつがつ見えそめて、世世をふるままに、やうやうに多くなれり。そは漢字三音考の末に云へる如く、おのづから定まり有て、もろもろの音便五くさを出でず。抑此音便は、みな正しき言にあらず、くづれたるものなれば、古書などを讀むには、一つもまじふ可きにあらざるを、後ノ世の物知り人、その本ノ語をわきまへずして、世のつねに云ひなれたる音便のままに讀むは、なほざりなる事なり。すべて後ノ世には、音便の言いといと多くして、まどひやすし。本ノ語をよく考へて、正しく讀むべきなり。中にもンと云ふ音のことに多き、これもと古言の正しき音にあらず、ことごとく後の音便なりとこころうべし。さてその音便のンの下は、本ノ語は清、音なるをも濁らるる音なれば、皆必ず濁る例なり。たとへばネモコロと云ふ言を、後にはネンゴロと云ふが如し。ンの下のコ文字。本ノ語は清。音なるを、上のモをンと云ふにひかれて濁る、みな此格なり。然るを世の人、その音便のときの濁リに口なれて、正しく讀むときも、ネモゴロと、コをにごるはひが事なり。此例多し。心得おくべし。

新字:古語の中にも、いとまれまれに音便あれども、後の世のとはみな異なり。後ノ世の音便は、奈良の末つかたより、かつがつ見えそめて、世世をふるままに、やうやうに多くなれり。そは漢字三音考の末に云へる如く、おのづから定まり有て、もろもろの音便五くさを出でず。抑此音便は、みな正しき言にあらず、くづれたるものなれば、古書などを読むには、一つもまじふ可きにあらざるを、後ノ世の物知り人、その本ノ語をわきまへずして、世のつねに云ひなれたる音便のままに読むは、なほざりなる事なり。すべて後ノ世には、音便の言いといと多くして、まどひやすし。本ノ語をよく考へて、正しく読むべきなり。中にもンと云ふ音のことに多き、これもと古言の正しき音にあらず、ことごとく後の音便なりとこころうべし。さてその音便のンの下は、本ノ語は清、音なるをも濁らるる音なれば、皆必ず濁る例なり。たとへばネモコロと云ふ言を、後にはネンゴロと云ふが如し。ンの下のコ文字。本ノ語は清。音なるを、上のモをンと云ふにひかれて濁る、みな此格なり。然るを世の人、その音便のときの濁リに口なれて、正しく読むときも、ネモゴロと、コをにごるはひが事なり。此例多し。心得おくべし。

書き下し

古語の中にも、いとまれまれに音便あれども、後の世のとはみな異なり。後の世の音便は、奈良の末つかたより、かつがつ見えそめて、世々をふるままに、ようように多くなれり。そは漢字三音考の末に云える如く、おのづから定まり有りて、もろもろの音便五くさを出でず。抑この音便は、みな正しき言にあらず、くづれたるものなれば、古書などを読むには、一つもまじう可きにあらざるを、後の世の物知り人、その本の語をわきまえずして、世のつねに云いなれたる音便のままに読むは、なおざりなる事なり。すべて後の世には、音便の言いといと多くして、まどいやすし。本の語をよく考えて、正しく読むべきなり。中にもンと云う音のことに多き、これもと古言の正しき音にあらず、ことごとく後の音便なりとこころうべし。さてその音便のンの下は、本の語は清音なるをも濁らるる音なれば、皆必ず濁る例なり。たとえばネモコロと云う言を、後にはネンゴロと云うが如し。ンの下のコ文字、本の語は清音なるを、上のモをンと云うにひかれて濁る、みなこの格なり。然るを世の人、その音便のときの濁りに口なれて、正しく読むときも、ネモゴロと、コをにごるはひが事なり。この例多し。心得おくべし。

現代語訳

古語の中にもごくまれに音便はあるが、後の世のものとはみな異なる。後の世の音便は、奈良時代の末頃からわずかに見え始めて、代を経るにつれてしだいに多くなった。それは『漢字三音考』の末に述べたように、自然に決まりがあって、さまざまな音便は五種類を出ない。そもそもこの音便は、みな正しい言葉ではなく崩れたものなので、古書などを読むには一つも交えるべきではないのに、後の世の物知りが、その元の語をわきまえずに、世間でいつも言い慣れている音便のままに読むのは、いい加減なことである。すべて後の世には音便の言葉がたいへん多くて、惑いやすい。元の語をよく考えて正しく読むべきである。中でも「ン」という音がことに多いが、これはもともと古語の正しい音ではなく、ことごとく後の音便であると心得るべきである。さてその音便の「ン」の下は、元の語が清音であっても濁る音なので、みな必ず濁る例である。たとえば「ネモコロ」という言葉を、後には「ネンゴロ」と言うようなものである。「ン」の下の「コ」の字は、元の語では清音であるのに、上の「モ」を「ン」と言うのに引かれて濁る。みなこの型である。それなのに世の人は、その音便のときの濁りに口が慣れて、正しく読むときにも「ネモゴロ」と「コ」を濁るのは誤りである。この例は多い。心得ておくべきである。

解説

音便についての宣長の基本的な考えをまとめた段である。音便は奈良時代の末から現れ始め、時代とともに増えた発音の崩れで、古書を読むときには交えてはならない。とくに「ン」の音は古語にはなく、すべて後世の音便だという。そして鋭いのが濁音の指摘である。「ねもころ」が「ねんごろ」になると、「ン」に引かれて「コ」が濁る。ところが人は濁りに慣れて、元の形に戻すときまで「ねもごろ」と濁らせてしまう。崩れた形の癖が、正しく復元したつもりの形にまで入り込むのである。宣長は『漢字三音考』などで古代の音韻を研究した。古い言葉を正しく読むには、今の口癖を一度疑う必要があるという教えは、どんな分野の復元作業にも通じる。

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