うひ山ぶみ / 第二十九段
まづ道をしるべき學びは、大抵上ノ件リの書ども也、然れども書紀より後の、次々の御代々々の事も、しらでは有べからず、其書どもは、續日本紀、次に日本後紀、つぎに續日本後紀、次に文德實錄、次に三代實錄也、書紀よりこれまでを合せて六國史といふ、みな朝廷の正史なり、つぎつぎに必ズよむべし、
新字:まづ道をしるべき学びは、大抵上ノ件リの書ども也、然れども書紀より後の、次々の御代々々の事も、しらでは有べからず、其書どもは、続日本紀、次に日本後紀、つぎに続日本後紀、次に文徳実録、次に三代実録也、書紀よりこれまでを合せて六国史といふ、みな朝廷の正史なり、つぎつぎに必ズよむべし、
書き下し
まづ道をしるべき学びは、大抵上ノ件リの書ども也、然れども書紀より後の、次々の御代々々の事も、しらでは有べからず、其書どもは、続日本紀、次に日本後紀、つぎに続日本後紀、次に文徳実録、次に三代実録也、書紀よりこれまでを合せて六国史といふ、みな朝廷の正史なり、つぎつぎに必ズよむべし、
現代語訳
まず道を知るための学びは、おおよそ以上の書物である。しかし『日本書紀』より後の、代々の御世のことも知らないわけにはいかない。その書物は『続日本紀』、次に『日本後紀』、次に『続日本後紀』、次に『文徳実録』、次に『三代実録』である。『日本書紀』からこれまでを合わせて六国史といい、いずれも朝廷の正史である。順に必ず読むべきである。
解説
神代・上代だけでなく、その後の各時代も知らねばならないとして、六国史を順に読めと指示する。宣長の学問は古代に集中しているが、古代だけを切り取って理解しようとはしていない。奥の注では、六国史のうち『日本後紀』は失われて伝わらず、現存する二十巻は完全なものではないこと、その代わりに鴨祐之が『類聚国史』を元に編んだ『日本逸史』があることまで説明している。何が伝わり、何が失われ、欠けた部分を何で補うか。資料の現存状況を把握したうえで読む順序を示すのが、宣長の実務的なところである。

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六国史正史通史資料の欠落読書順
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うひ山ぶみ・注[ヌ]六国史といふいかにしたるにか、亡て伝はらず、今それとて廿巻あるは、全き物にあらず、然るに近き世、鴨ノ祐之といひし人、類聚国史をむねと取リ、かたはら他の正しき古書共をもとり加ハへて、日本逸史といふ物四十巻を撰定せる、後紀のかはりは、此書にてたれり、類聚国史は、六国史に記されたる諸の事を、部類を分ケ聚めて、菅原ノ大臣の撰玉へる書也、さて三代実録の後は、正しき国史は無し、されば宇多ノ天皇よりこなたの御世々々の事は、たゞこれかれかたはらの書共を見てしること也、其書ども、国史のたぐひなるも、あまた有、近世水戸の大日本史は、神武天皇より、後小松ノ天皇の、後亀山ノ天皇の御禅を受させ給へる御事までしるされて、めでたき書也、御世々々の宣命には云々、書紀に挙られたる、御世々々の詔勅は、みな漢文なるのみなるを、続紀よりこなたの史共には、皇朝詞の詔をも、載せられたる、これを分て宣命といふ也、続紀なるは、世あがりたれば、殊に古語多し、その次次の史どもなる、やうやうに古き語はすくなくなりゆきて、漢詞おほくまじれり、
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うひ山ぶみ・注[ル]御世々々の宣命にはすべて宣命にはかぎらず、何事にもせよ、からめきたるすぢをはなれて、皇国の上代めきたるすぢの事や詞は、いづれの書にあるをも、殊に心をとどめて見るべし、古ヘをしる助ケとなること也、釈日本紀、此書は後の物にて、説もすべてをさなけれども、今の世には伝はらぬ古書どもを、これかれと引出たる中に、いとめづらかに、たふときことどもの有也、諸国の風土記なども、みな今は伝はらざるに、此書と仙覚が万葉の抄とに、引出たる所々のみぞ、世にのこれる、これ殊に古学の用なり、又むかしの私記どもも、皆亡ぬるを、此釈には、多く其説をあげたり、私記の説も、すべてをさなけれども、古き故に、さすがに取ルべき事もまゝある也、さて六国史をはじめて、こゝに挙たる書共いづれも、板本も写本も、誤字脱文等多ければ、古本を得て、校正すべし、されど古本は、たやすく得がたきものなれば、まづ人の校正したる本を、求め借りてなりとも、つぎつぎ直すべき也、さて又ついでにいはむ、今の世は、古ヘをたふとみ好む人おほくなりぬるにつきては、
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うひ山ぶみ・注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき多くいろは仮字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、書紀をよむには大に心得あり云々、書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々万の事これによらせ給ひ、世々の学者も、これをむねと学ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御代々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、広からず、審ならざるを、此紀は、広く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神学者、此わきまへなくして、ただ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し様、ことごとく漢流の理窟にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記伝の首巻にしるせり、猶又別に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、六国史といふ云々、六国史のうち日本後紀は、
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うひ山ぶみ・第三十一段次に延喜式、姓氏録、和名抄、貞観儀式、出雲国ノ風土記、釈日本紀、令、西宮記、北山抄、さては己が古事記伝など、おほかたこれら、古学の輩の、よく見ではかなはぬ書ども也、
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うひ山ぶみ・第二十二段此道は、古事記書紀の二典に記されたる、神代上代の、もろもろの事跡のうへに備はりたり、此ノ二典の上代の巻々を、くりかへしくりかへしよくよみ見るべし、
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うひ山ぶみ・注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢすくなし、これも後世の書ども、いとあまたあれども、まづ古書よりよく考ふべし、此古書は、まづ延喜式など也、さては西宮記北山抄、此二書は、装束調度などの学のみにはかぎらず、律令官職儀式、其外の事、いづれにもわたりて、おほよそ朝廷のもろもろの事をしるされたり、かならずよくよむべき書なり、さて件のしなじなの学問いづれもいづれも、古ヘざまの事は、六国史に所々其事どもの出たるを、よく参考すべし、又中古以来のことは、諸家の記録どもなどに、散出したるを、参考すべし、さて歌まなびの事は、下に別にいへり、むかし四道の学とて、しなじなの有しは、みな漢ざまによれる学びなれば、こゝに論ずべきかぎりにあらず、四道とは、紀伝明経明法算道これ也、此中に明法道といふは、律令などの学問なれば、上にいへると同じけれど、昔のは、その実事にかゝりたれば、今の世のたゞ書のうへの学のみなるとは、かはり有リ、さてなほ外国の学は、儒学仏学其外、殊にくさぐさ多くあれども、皆よその事なれば、今論ずるに及ばず、吾は、あたら精力を、