玉勝間 / 一の巻 立田川
古今集秋下に、神なびの山を過て、立田川を渡りける時に、紅葉の流れけるを詠める、「神なびの山を過ゆく秋なれば立田河にぞぬさはたむくる。此神なび山は、山城ノ國乙訓ノ郡にて、同集別ノ部に、山崎より神なびの森まで、おくりに人人まかりて云云、と有ると同所なり。さて源ノ重行集に、山崎川を立田川と云ふを、筑紫へいくとて、「白浪の立田の河を出しより後くやしきは船路なりけり、と有り。然れば立田川と云ふも、山崎のあなた、津ノ國島上ノ郡にて、かの神なび山近き所にて、筑紫へ下る道なり。大和ノ國の立田とは別なり。然るを、神なび山と云ふも、立田も、大和に名高くてある故に、昔より右の古今集なるをも、大和ノ國のとのみ思へり。契沖も然か心得て、神なび山は高市ノ郡、立田は平群ノ郡にて遙かにへだたれれば、其山の紅葉の、立田川に流るべきことわり無しと云ひて疑ひたり。されど詞書に、歌ぬしのみづから、其山を越え、其川を渡りて詠めると有れば、誤りとは云ひがたし。然るを吾師は、もとよりかの歌をひがこととして、詞書をさへ、撰者の作れるがごとく云はれたるは、云ひ過しなりけり。
新字:古今集秋下に、神なびの山を過て、立田川を渡りける時に、紅葉の流れけるを詠める、「神なびの山を過ゆく秋なれば立田河にぞぬさはたむくる。此神なび山は、山城ノ国乙訓ノ郡にて、同集別ノ部に、山崎より神なびの森まで、おくりに人人まかりて云云、と有ると同所なり。さて源ノ重行集に、山崎川を立田川と云ふを、筑紫へいくとて、「白浪の立田の河を出しより後くやしきは船路なりけり、と有り。然れば立田川と云ふも、山崎のあなた、津ノ国島上ノ郡にて、かの神なび山近き所にて、筑紫へ下る道なり。大和ノ国の立田とは別なり。然るを、神なび山と云ふも、立田も、大和に名高くてある故に、昔より右の古今集なるをも、大和ノ国のとのみ思へり。契沖も然か心得て、神なび山は高市ノ郡、立田は平群ノ郡にて遥かにへだたれれば、其山の紅葉の、立田川に流るべきことわり無しと云ひて疑ひたり。されど詞書に、歌ぬしのみづから、其山を越え、其川を渡りて詠めると有れば、誤りとは云ひがたし。然るを吾師は、もとよりかの歌をひがこととして、詞書をさへ、撰者の作れるがごとく云はれたるは、云ひ過しなりけり。
書き下し
古今集秋下に、神なびの山を過ぎて、立田川を渡りける時に、紅葉の流れけるを詠める、「神なびの山を過ゆく秋なれば立田河にぞぬさはたむくる。この神なび山は、山城の国乙訓の郡にて、同集別の部に、山崎より神なびの森まで、おくりに人々まかりて云々、と有ると同じ所なり。さて源の重行集に、山崎川を立田川と云うを、筑紫へいくとて、「白浪の立田の河を出でしより後くやしきは船路なりけり、と有り。然れば立田川と云うも、山崎のあなた、津の国島上の郡にて、かの神なび山近き所にて、筑紫へ下る道なり。大和の国の立田とは別なり。然るを、神なび山と云うも、立田も、大和に名高くてある故に、昔より右の古今集なるをも、大和の国のとのみ思えり。契沖も然か心得て、神なび山は高市の郡、立田は平群の郡にて遥かにへだたれれば、その山の紅葉の、立田川に流るべきことわり無しと云いて疑いたり。されど詞書に、歌ぬしのみづから、その山を越え、その川を渡りて詠めると有れば、誤りとは云いがたし。然るを吾師は、もとよりかの歌をひがこととして、詞書をさえ、撰者の作れるがごとく云われたるは、云い過ごしなりけり。
現代語訳
古今集の秋下に、「神なびの山を過ぎて竜田川を渡った時に、紅葉が流れていたのを詠んだ」として、「神なびの山を過ぎてゆく秋だから、竜田川に幣を手向けるのだ」という歌がある。この神なび山は山城国乙訓郡にあって、同じ集の離別の部に「山崎から神なびの森まで、人々が見送りに出て」などとあるのと同じ所である。さて源重行(重之)の家集に、山崎川を竜田川と言うのを、筑紫へ行くというので「白波の立つ竜田の川を出てから後、悔やまれるのは船路であった」という歌がある。そうであれば竜田川というのも、山崎の向こう、摂津国島上郡にあり、あの神なび山に近い所で、筑紫へ下る道筋なのである。大和国の竜田とは別である。ところが、神なび山も竜田も大和で名高いので、昔から右の古今集の歌も大和国のものとばかり思ってきた。契沖もそう理解して、神なび山は高市郡、竜田は平群郡で遠く隔たっているから、その山の紅葉が竜田川に流れる道理はないと言って疑った。しかし詞書に、歌の作者自身がその山を越え、その川を渡って詠んだとあるのだから、誤りとは言いがたい。それなのにわが師(賀茂真淵)は、はじめからあの歌を誤りと決めてかかり、詞書までも撰者が作ったかのように言われたのは、言い過ぎであった。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 立田川たとい歌はひが心得して詠む事も有りとも、さる詞書までを作るべき物かは。そもそも大和の立田は、万葉集の歌に、十四五首も見えたれど、いづれもいづれも山をのみ詠みて、川を詠めるは一つも見えず。その外の古書にも、立田は山とのみこそ有れ、川はあること無し。立田川と詠めるは、みな今の京になりての歌にて、右に云う山崎のあなたなるなり。「もみじみだれて流るめり、の歌は、もしまことに奈良の帝の御(歌脱か)ならば、平城天皇なるべし。また「もみじ葉ながる神なびの、と云う歌は、飛鳥川と有るかた正しくて、大和なるべし。かの山崎のあなたなるは神なびとは云えど、みむろの山とは云うまじければなり。然るに拾遺集物の名の歌に、「神なびのみむろのきしやくづるらん立田の川の水のにごれる、と有るは、早くかの古今集の歌どもによりて、大和のとまぎれて、斯くは詠み合わせたんめり。その後々の歌どもはさらなり。
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『玉勝間』二の巻 又立田川立田川と云うは、前の巻にいえる如く、山崎川の事なるを、そは今いずれの川ならむ。かのわたりの事、よくも知らで、年ごろいぶかしかりつるを、ことし寛政五年三月、京より大坂に下れるかえるさまに、山ざきのきしに船よせておりて、そのあたり見めぐりて、この川をも尋ねけるに、大かた山崎よりあなたには、水無瀬川をおきては、川ひとつも無し。さてつらつら考うるに、水無瀬川と云うは、後の名にて、この河ぞ古の立田川なるべき。この川、山崎と水無瀬とのさかいにあり。山城の国と津の国との堺は、川よりすこしこなたにて、川は津の国島の上の郡になん有りける。今は狭き河なれど、かなたこなたの堤高くて、水はよろしきほどの流れなるを思うに、古はややひろく流れけむを、後に堤を高くつきて、今のごとせばくは成しつるなるべし。さて立田川に詠み合わせたる、神なび山神なびの杜は、神名帳なる、山城の国乙訓の郡、玉手より祭り来る酒解神社、(名神大月次新嘗)これを続後紀また臨時祭式などに、山崎の神ともあれば、この神社によりたる名にて、すなわち山崎山の事にぞあるべき。この社は、すなわち今の山崎天王なりとも云えり。
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『玉勝間』二の巻 又立田川然るに今水無瀬の里を過ぎて、はるかにあなたに、神内村と云う有りて、そのほとりに、ちいさき森のかたも有りて、これなむ神なびの杜なると云うなれど、そこにては、古の歌どもにかなわず、その近きほどには川も無し。思うに神内と云うは、後に地をうつして、古の名をのこしたる物にやあらん。かの森のかたは、さて後につくりたるにも有るべし。古今集の詞書に、山崎より神なびのもりまで云云とあるは、山崎をはなれて、あなたなるように聞こゆるは同じ山ざきの内ながら、その里よりかの森までと云うなるべし。
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『玉勝間』五の巻 立田山 小ぐらの峰古え大和より難波へもいずくへも下るに越えし、立田山は、今のくらがり峠なり、と云う説の有るは、その名、万葉九の巻に、小鞍嶺と有るに通い、又かの道ぞ、今の世にむねと越ゆる道なればなり。そのうえそのあたりに、小倉寺村と云うさえ有るなれば、さも有らんとは思われながら、立田神社と、程のいと遠きは、心得ぬ事に覚えしに、或る人の、立田山おぐらのみねは、くらがり越にはあらず、今の立野越なりと云い、又この頃、師のいせ物がたりの古意のしりに附けたる、上田の秋成と云う人の考えにも、然か云いて、そのよしを委しくわきまえたるは、まことに然る事とぞ思わるる。但し立田川と云えるをも、そこなる川なりと云えるは、たがえり。こは立田山のあたりの川とは、誰もふと思うべき事にて、昔よりみな然か心得来つれども、立田川と云う名は、万葉の頃までには、歌にも何にも、見えたる事無くして、今の京に成りての後の歌に、多く見えたれば、立田山とは異ところにして、大和の国にはあらず。この河の事は、すでに一の巻に、くわしく云えるがごとし。
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『玉勝間』九の巻 妹背山万葉に、紀の国と詠みたれども、それは名手の川中なる瀬の山を、まがえて誤れるかと云い、かの貝原なども、吉野なるを、それなりと云えるは、みな後の歌にのみなずみて、万葉をよく見ざる、ひがことなり。万葉のおもむき、紀の国なる事は、何の疑いも無し。今も吉野に、それとて有るは、古今集の歌につきて、後に似つかわしき山を、それと名附けたる物なり。そもそも古今集なる、ながれてはの歌は、かの万葉七の、せの山にただにむかえる云云、うち橋わたす、又同巻に、きの川のべの妹と背の山、など有る歌によりて、妹背の山の中に落つるとは云い、よしやと重ねん料に、紀の川を、同じ川なれば、吉野の川とも詠みなせるものなり。又その歌に、よし野の川と云い、落つるとも有るから、六帖なるは、その川を、滝とも唱え伝えたるなるべし。
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『玉勝間』九の巻 妹背山すべて歌に名所を詠めること、その所にいたりて見たるさまを詠めるなどこそ、後の世のと云えども、より所とすべきは有れ、さらぬ恋の歌などに詠めるは、古えのも、ただ古き歌に詠める事をとりて、あやにしたること多ければ、多くはその名どころの考えの証にはなり難きわざなるを、このいもせ山の事、昔より誰も誰も、ただかの古今集の歌にのみなずみて思えるは、委しからぬ事ぞかし。又かの続古今集に、延喜の御とてのせたる歌、玉葉に篁の卿のとせる歌などは、いたく後のさまにて、さらにその世の歌ざまにあらず。云いなしざま古今集なるによれる事しるし。たとい実にその歌どもにも有れ、古今集なるは古く聞こゆれば、かれによれるは論無ければ、まして証にはいかでかなるべき。
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