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玉勝間 / 九の巻 妹背山

萬葉に、紀の國と詠みたれども、それは名手の川中なる瀨の山を、まがへて誤れるかと云ひ、かの貝原なども、吉野なるを、それなりと云へるは、みな後の歌にのみなづみて、萬葉をよく見ざる、ひがことなり。萬葉のおもむき、紀の國なる事は、何の疑ひも無し。今も吉野に、それとて有るは、古今集の歌につきて、後に似つかはしき山を、それと名附けたる物なり。そもそも古今集なる、ながれてはの歌は、かの萬葉七の、「せの山にただにむかへる云云、うち橋わたす、又同卷に、「きの川のべの妹と背の山、など有る歌によりて、妹背の山の中に落るとは云ひ、よしやと重ねん料に、紀の川を、同じ川なれば、吉野の川とも詠みなせるものなり。又その歌に、よし野の川と云ひ、落つるとも有るから、六帖なるは、その川を、瀧とも唱へ傳へたるなるべし。

新字:万葉に、紀の国と詠みたれども、それは名手の川中なる瀨の山を、まがへて誤れるかと云ひ、かの貝原なども、吉野なるを、それなりと云へるは、みな後の歌にのみなづみて、万葉をよく見ざる、ひがことなり。万葉のおもむき、紀の国なる事は、何の疑ひも無し。今も吉野に、それとて有るは、古今集の歌につきて、後に似つかはしき山を、それと名附けたる物なり。そもそも古今集なる、ながれてはの歌は、かの万葉七の、「せの山にただにむかへる云云、うち橋わたす、又同巻に、「きの川のべの妹と背の山、など有る歌によりて、妹背の山の中に落るとは云ひ、よしやと重ねん料に、紀の川を、同じ川なれば、吉野の川とも詠みなせるものなり。又その歌に、よし野の川と云ひ、落つるとも有るから、六帖なるは、その川を、滝とも唱へ伝へたるなるべし。

書き下し

万葉に、紀の国と詠みたれども、それは名手の川中なる瀬の山を、まがえて誤れるかと云い、かの貝原なども、吉野なるを、それなりと云えるは、みな後の歌にのみなずみて、万葉をよく見ざる、ひがことなり。万葉のおもむき、紀の国なる事は、何の疑いも無し。今も吉野に、それとて有るは、古今集の歌につきて、後に似つかわしき山を、それと名附けたる物なり。そもそも古今集なる、ながれてはの歌は、かの万葉七の、せの山にただにむかえる云云、うち橋わたす、又同巻に、きの川のべの妹と背の山、など有る歌によりて、妹背の山の中に落つるとは云い、よしやと重ねん料に、紀の川を、同じ川なれば、吉野の川とも詠みなせるものなり。又その歌に、よし野の川と云い、落つるとも有るから、六帖なるは、その川を、滝とも唱え伝えたるなるべし。

現代語訳

その人は、『万葉集』に紀伊国と詠んでいるけれども、それは名手の川中にある瀬の山を取り違えて誤ったのかと言い、あの貝原なども吉野にあるものをそれだと言っているが、これらはみな後の世の歌にばかりこだわって、『万葉集』をよく見ない誤りである。『万葉集』の趣からして、紀伊国であることに何の疑いもない。今、吉野にそれだとされる山があるのは、『古今集』の歌にちなんで、後に似つかわしい山をそれと名付けたものである。そもそも『古今集』の「流れては」の歌は、あの『万葉集』巻七の「背の山にまっすぐ向かい合っている」云々「打ち橋を渡す」や、同じ巻の「紀の川のほとりの妹と背の山」などの歌によって、妹背の山の間に落ちると言い、「よしや(ままよ)」と掛けるために、紀の川を、同じ川なので吉野の川とも詠みなしたものである。またその歌に「吉野の川」と言い、「落つる」ともあるので、『古今六帖』のものは、その川を滝とも唱え伝えたのであろう。

解説

吉野説を退け、妹背山が紀伊にあることを宣長が断言した段である。吉野説の人も益軒も、後の世の歌にとらわれて万葉集をよく見ていない、と宣長は言う。紀の川は上流では吉野川と呼ばれる同じ川であり、古今集の「流れては」の歌は、万葉の紀の川の妹背の山の歌をもとに、「よしや」という言葉と掛けるために吉野川と詠んだのだという。吉野に今ある妹背山は、古今集の歌にちなんで後から名付けたものにすぎない。古い層の史料を優先し、後の歌はそれを踏まえた変奏として読む。宣長が万葉集を古今集より上に置いたのは好みではなく、年代の古い史料ほど事実に近いという方法の問題であった。

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