玉勝間 / 一の巻 中臣寿詞
大嘗會の中臣壽詞と云ふ文あり。宇治ノ左大臣賴長公の台記の、康治元年の大嘗會ノ別記に載せられたり。其文、現御神止大八島國所知食須大倭根子天皇我御前と、天神乃壽詞遠稱辭定奉良久止申須。高天原仁神留坐須皇親神漏岐神漏美乃命遠持天、八百萬乃神等遠集會賜天、皇孫尊波高天原上事始天、豐葦原乃瑞穂乃國遠安國止平介久所知食天、天都日嗣乃天都高御座仁御坐天、天都御膳遠長御膳乃遠御膳止、千秋乃五百秋七、瑞穗遠平介久安介久由庭仁所知食止事依〓奉〓、天降坐之後仁、中臣乃遠都祖天兒屋根命、皇御孫尊乃御前に奉仕弖、天忍雲根神遠天乃二上仁奉上弖、神漏岐神漏美命乃前仁受給波里申仁、皇御孫尊乃御膳都水を、宇都志國乃水了天都水加加奉牟止申遠里、事〓給志仁依弖、天忍雲根神、天乃浮雲上乘弖、神漏岐神漏美命乃前仁申世波、天乃玉櫛事依奉弖、此玉櫛刺立弖、自夕日至朝日照万弖、天都詔戶乃太詔刀言以弖告〓、如此告〓、麻知波弱韮仁由都五百篁生出牟、自其下天乃八井出牟、此持天天都水止所聞食止事依奉支、如此奉志任任仁所聞食由庭乃瑞穂〓、四國ト部等、太兆仁ト事〓持弖奉仕留、悠紀仁近江國野洲、主基仁丹波國氷上遠齋定弖、
新字:大嘗会の中臣寿詞と云ふ文あり。宇治ノ左大臣頼長公の台記の、康治元年の大嘗会ノ別記に載せられたり。其文、現御神止大八島国所知食須大倭根子天皇我御前と、天神乃寿詞遠称辞定奉良久止申須。高天原仁神留坐須皇親神漏岐神漏美乃命遠持天、八百万乃神等遠集会賜天、皇孫尊波高天原上事始天、豊葦原乃瑞穂乃国遠安国止平介久所知食天、天都日嗣乃天都高御座仁御坐天、天都御膳遠長御膳乃遠御膳止、千秋乃五百秋七、瑞穂遠平介久安介久由庭仁所知食止事依〓奉〓、天降坐之後仁、中臣乃遠都祖天児屋根命、皇御孫尊乃御前に奉仕弖、天忍雲根神遠天乃二上仁奉上弖、神漏岐神漏美命乃前仁受給波里申仁、皇御孫尊乃御膳都水を、宇都志国乃水了天都水加加奉牟止申遠里、事〓給志仁依弖、天忍雲根神、天乃浮雲上乗弖、神漏岐神漏美命乃前仁申世波、天乃玉櫛事依奉弖、此玉櫛刺立弖、自夕日至朝日照万弖、天都詔戸乃太詔刀言以弖告〓、如此告〓、麻知波弱韮仁由都五百篁生出牟、自其下天乃八井出牟、此持天天都水止所聞食止事依奉支、如此奉志任任仁所聞食由庭乃瑞穂〓、四国ト部等、太兆仁ト事〓持弖奉仕留、悠紀仁近江国野洲、主基仁丹波国氷上遠斎定弖、
書き下し
大嘗会の中臣寿詞と云う文あり。宇治の左大臣頼長公の台記の、康治元年の大嘗会の別記に載せられたり。その文、現御神と大八島国知ろしめす大倭根子天皇が御前に、天つ神の寿詞を称辞定め奉らくと申す。高天原に神留まり坐す皇親神漏岐・神漏美の命を持ちて、八百万の神等を集え賜いて、皇孫尊は高天原に事始めて、豊葦原の瑞穂の国を安国と平らけく知ろしめして、天つ日嗣の天つ高御座に御坐して、天つ御膳を長御膳の遠御膳と、千秋の五百秋に、瑞穂を平らけく安らけくゆにわに知ろしめせと事依さし奉りて、天降り坐しし後に、中臣の遠つ祖天児屋根命、皇御孫尊の御前に仕え奉りて、天忍雲根神を天の二上に上せ奉りて、神漏岐・神漏美命の前に受け給わり申すに、皇御孫尊の御膳つ水を、うつし国の水に天つ水を加えて奉らむと申せと、事教え給いしに依りて、天忍雲根神、天の浮雲に乗りて、神漏岐・神漏美命の前に申せば、天の玉櫛を事依さし奉りて、この玉櫛を刺し立てて、夕日より朝日の照るに至るまで、天つ詔戸の太詔刀言を以ちて告れ。かく告らば、まちは弱韮にゆつ五百篁生い出でむ。その下より天の八井出でむ。これを持ちて天つ水と聞こしめせと事依さし奉りき。かく奉りし任々に聞こしめすゆにわの瑞穂を、四国の卜部等、太兆に卜事を持ちて仕え奉る、悠紀に近江国野洲、主基に丹波国氷上を斎い定めて、
現代語訳
大嘗会(天皇が即位して最初に行う新嘗の祭)の中臣寿詞という文がある。宇治の左大臣藤原頼長公の日記『台記』の、康治元年の大嘗会の別記に載せられている。その文はこうである。「現御神として大八島国をお治めになる大倭根子天皇の御前に、天つ神の寿詞(祝福の言葉)をたたえ定めて申し上げますと申す。高天原に神としてとどまっておられる皇祖の神漏岐・神漏美の命の仰せによって、八百万の神々を集められ、皇孫の尊は高天原で事を始められて、豊葦原の瑞穂の国を安らかな国として平らかにお治めになり、天つ日嗣(皇位)の天つ高御座にお就きになって、天つ御膳を長く遠く続く御膳として、千年も五百年も、稲を平らかに安らかに斎庭(ゆにわ)で召し上がれとお任せ申し上げ、天降られた後に、中臣の遠い祖先である天児屋根命が皇御孫尊の御前にお仕えして、天忍雲根神を天の二上に上らせ、神漏岐・神漏美命の前で仰せを受けて申し上げると、皇御孫尊の御膳の水は、この地上の国の水に天つ水を加えて奉ろうと申せ、とお教えになったので、天忍雲根神は天の浮雲に乗って、神漏岐・神漏美命の前に申し上げた。すると天の玉櫛を授けて、『この玉櫛を刺し立てて、夕日から朝日が照るまで、天つ詔戸の太詔刀言(尊い祝詞)を唱えよ。そう唱えれば、まちは弱韮に、ゆつ五百篁(数多くの竹)が生い出るだろう。その下から天の八井(清らかな泉)が湧き出るだろう。これを天つ水として召し上がれ』とお任せになった。そのお任せのとおりに召し上がる斎庭の稲を、四国の卜部たちが太兆(亀卜)の占いによってお仕えし、悠紀には近江国野洲を、主基には丹波国氷上を斎い定めて、
解説
関連する章句
-
『玉勝間』一の巻 中臣寿詞物部の人等、酒造児・酒波・粉走・灰焼・新採・相候・稲実公等、大嘗会の斎場に持ち斎わり参来て、今年十一月の中の卯の日に、ゆしりいつしり持ち恐み恐み、清まわり仕え奉り、月の内に日時を撰び撰び定めて献る悠紀・主基の黒木・白木の大御酒を、大倭根子天皇が天つ御膳の長御膳の遠御膳と、汁にも実にも赤丹の穂にも聞こしめして、豊の明りに明り御坐して、天つ神の寿詞を称辞定め奉る皇神等も、千秋五百秋の相嘗に相うづのい奉り、堅磐に常磐に斎い奉り、いかし御世に栄えしめ奉り、康治元年より始めて、大地・月・日と共に照らし明らし御坐す事に、本末傾けず茂し槍の中執り持ちて仕え奉る中臣祭主正四位上行神祇大副大中臣朝臣清親、寿詞を称辞定め奉らくと申す。
-
『玉勝間』一の巻 中臣寿詞その中に、上に引きたる左京二条座二座神は、大社の列にだに入り給わざるに、この祭に預かり給うことは、新嘗に殊なる故ある神なるべし。明良志は、理を延べて良志と云えるにて、阿加理なり。事仁は、下の奉仕と云うへ続く辞なり。食倍はみな多倍と訓むべし、給えと云う事なり。さて聞食倍の下に、弖と云う辞を添えて心得べし。天皇明庭の明の字は、朝の誤りなり。禱乎所聞食止は、一本には称辞竟奉良久止と有り、これも悪しからず。さて天忍雲根神云々の事、伊勢の外宮の書どもに、天村雲命の事として記せり。同じ神にやあらむ。さてこの寿詞を申す事は、辰の日豊楽院に幸し、悠紀の帳に御す、神祇官の中臣、賢木を笏に執りそえて、南門より入る。版位につき跪きて、天つ神の寿詞を奏すと、大嘗祭式に見えたり。わすれたり、大嘗会乃斎場とある会の字は、宮を誤れるなるべし
-
『玉勝間』一の巻 中臣寿詞また申さく、天皇が朝廷に仕え奉る親王等・王等・諸臣・百官人等、天の下四方の国の百姓諸々集い侍りて、見たべ尊みたべ歓びたべ聞きたべ、天皇が明庭に茂し世に、八桑枝の立ち栄え仕え奉るべき禱りを聞こしめせと、恐み恐みも申し給わくと申す、これなり。この文、ふるくめでたき事多きを、世に知れる人稀なる故に、今写し出せり。ところどころ文字の誤りおおかるを、今は三四本を合わせ見て互いに善き悪しき中に、善しとおぼしきを撰びてしるしつ。されどなお誤りと見ゆる所々無きにあらず、なお善本を得て正すべきなり。さて今古言を考えて、訓をも加えたるついでに、いささかことの意をも解くべし。第六行なる天都御膳の遠の字は、必ず乃なるべし。遠にても聞ゆるが如くなれども、さては次に瑞穂遠と有る遠と重なれり。由庭仁所知食の知の字は、聞なるべし。第十行の天忍雲根神遠天乃云々、受給波里申仁、これは天忍雲根神遠、神漏岐神漏美命乃前仁、受給波里申仁、天乃二上仁奉上弖と、語を次第て見れば、よく聞ゆるなり。宇都志国乃水了の了の字は、尸とも加とも有り、皆誤りなり、かならず仁なるべし。天都水加加の立の字は、弖を誤れるなり。申遠里は心得ず、必ず申世止と有るべき処なり。
-
『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞小右記の、長和五年のところに云わく、御即位の後、天下の諸神に奉幣する祝詞。天皇が詔旨と、皇神等の広前に、称辞言え奉り申し給わく、高天原に神留まり坐す、皇親神漏伎神漏美の命以ちて、事寄さし給える、豊葦原の瑞穂の国の、天つ日嗣の高御座の次次、去る四月廿八日より食国天下の政を聞こし食すに依りて、その状を申し給うと、散位正六位上大中臣朝臣高邦を、差し使わして、礼代の幣帛を捧げ持たしめ奉り給う、天皇が御命を、申し給わくと申す。今案ずるに、件の文は祝詞なり、宣命に非ず、とあり。称辞言奉申給は、言の字は竟の誤りなるべし。言の字あまりて、竟と云うことたらざればなり。また申と云う言もあまれり、奉申かとも思えど、それも古には例なき事なり。さてまた次次も聞こえず、次隨隨など有りけむが、字の落ちたるなるべし。四月廿八日は、正月廿九日の誤りなり。これらは、善本には然ぞあるべき。そもそも祝詞宣命などの文、中むかしよりこなた、つぎつぎにつたなく成りて、大かた語のととのわで、ことわり聞こえがたき事もおおかるを、こまかにさだする人も無きは、古意にうとく、古言を知らざるが故なり。これらは詞にあやをなせる物にて、古のは皆いとめでたかりしものを、かくのみなおざりに成り行くがうれたさに、今ことのついでに、いささかおどろかし置くなり。
-
『玉勝間』十二の巻 いにしへ神事を重くせられし事書紀天智天皇の御巻に、九年三月、山の御井の傍らに於て、諸神の座を敷きて、幣帛を班つ、中臣金の連祝詞を宣る、と見えたり。そのかみ中臣の氏人は、ここら有りつらむに、金の連にしも、祝詞を宣らしめ給えるをもて、古え神事を、いみしく重くせられしほどを知るべし。この連公この時位は、大錦上にて、正四位上にあたれども、そのかみ第二の臣にて、明年正月に、右大臣に任ぜられて、いと重き人にぞ有りける。そもそもこの天皇は、殊にから御心におわしまして、万づにもろこしぶりをならい移されたる御世なりしかども、なお神事のやんごとなかりし事は、かくぞ有りし。
-
『玉勝間』七の巻 天皇御元服の時のことぶき同別記、久安六年正月四日、近衛天皇御元服の儀式の中に曰く、東に進みて御前に当たり北面し、壁代の外の畔に留まり立ち、磐折して祝詞を奏すらく、御酒これ厚く、御肴これ嘉し、赤花て敬い祭り賜わば、もろもろの神たち悦びたまい、遺の味を嘗め賜わば、御躰平らかに御坐して、天地の休き事を、日月と共に受け保ち賜い、手長の御世の、遠き御世に、貴く戴き重ね御坐せと申す、また御冠を加え奉るところに曰く、御前に当たり進み、壁代の外の畔に留まり立ち、(揖せず)磐折して奏す、祝詞、その詞に云う、掛けまくも畏き天皇が朝廷、今月の吉日に、御冠加え賜いて、盛りに美しき御負い人と成り賜いぬ、天つ神地つ祇相悦び、護り幸え奉り賜いて、御寿長く久しく、宝位動き無く御坐せと申す、と見えたり。この二つの祝詞、文いとつたなし。はじめなるは、殊に拙し。今仮字づけも何も、本のままにしるせるを、かなづきなど、後に写し誤れりと見ゆる所々も有れど、もとよりいと拙きさまなり。古言のかたちの、ほのぼのまじれるは、古きかたの有りしが、つぎつぎに崩れて、かく拙くは成れるなるべし。この頃はやく、古語はむげにすたれ果てて、知れる人も無かりしと見えたり。おくなるは、ことも無けれど、天皇の御事を、天皇が朝廷と有るは、いみしき誤りなり。古語に天皇が朝廷とは、朝廷をこそ申せれ、天皇を然申せる事無し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る