退食閑話 / 孔子の武徳と文武一致
必有武備と仰せられたり、鹿島の神も武神なれども、天祖の象敎を垂れて天下に照臨まし〱、天功を亮け奉りしには、文德とも申べし、孔子は文德の聖人なれども、兵を足す事を論ぜられたり、夾谷の會にも齊侯の强暴を席上に挫き、三都を墮ち陳恒を討ぜんと乞れし類の事を以て見る時は、武德をも備へられしは、人々知る處なりしは論ずるにも及ばず、かくのごとく、文武の兼結ぶべきことは、本朝と漢土と同一揆なれど、今 神州の道を奉じて、西土の敎に資て、子弟を敎へ給ふに、神祉聖廟を尊敬して、其始に反り其本に報るを知らしめ、文武を一にして有用の人材を成就し給ふべきに依て、記にも文武不岐とは仰せらるゝなり、
新字:必有武備と仰せられたり、鹿島の神も武神なれども、天祖の象教を垂れて天下に照臨まし〱、天功を亮け奉りしには、文徳とも申べし、孔子は文徳の聖人なれども、兵を足す事を論ぜられたり、夾谷の会にも斉侯の強暴を席上に挫き、三都を堕ち陳恒を討ぜんと乞れし類の事を以て見る時は、武徳をも備へられしは、人々知る処なりしは論ずるにも及ばず、かくのごとく、文武の兼結ぶべきことは、本朝と漢土と同一揆なれど、今 神州の道を奉じて、西土の教に資て、子弟を教へ給ふに、神祉聖廟を尊敬して、其始に反り其本に報るを知らしめ、文武を一にして有用の人材を成就し給ふべきに依て、記にも文武不岐とは仰せらるゝなり、
書き下し
必ず武備有りと仰せられたり、鹿島の神も武神なれども、天祖の象敎を垂れて天下に照臨まし〱、天功を亮け奉りしには、文德とも申べし、孔子は文德の聖人なれども、兵を足す事を論ぜられたり、夾谷の會にも齊侯の强暴を席上に挫き、三都を墮ち陳恒を討ぜんと乞れし類の事を以て見る時は、武德をも備へられしは、人々知る處なりしは論ずるにも及ばず、かくのごとく、文武の兼結ぶべきことは、本朝と漢土と同一揆なれど、今 神州の道を奉じて、西土の敎に資て、子弟を敎へ給ふに、神祉聖廟を尊敬して、其始に反り其本に報るを知らしめ、文武を一にして有用の人材を成就し給ふべきに依て、記にも文武岐れずとは仰せらるゝなり、
現代語訳
必ず武備有り」と仰せられたのです。鹿島の神も武神ですが、天祖が象教(形に示す教え)を垂れて天下に照臨し、天功を亮けられたのは、文徳ともいうべきでしょう。孔子は文徳の聖人ですが、兵を足すことを論じられました。夾谷の会でも斉侯の強暴を席上で挫き、三都を堕とし、陳恒を討とうと請われたことなどから見れば、武徳をも備えておられたことは人々の知るところで、論じるまでもありません。このように、文武を兼ね備えるべきことは、本朝と漢土で同一の道ですが、いま神州の道を奉じ、西土の教えを資として子弟を教えられるにあたり、神社・聖廟を尊敬して、その始めに返りその本に報いることを知らしめ、文武を一つにして有用の人材を育てようとなさるので、記にも「文武岐れず」と仰せられているのです。
解説
この章句が説くこと
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