退食閑話 / 文武は車の両輪
問、鹿島の神は武神なり、孔子は文德の聖人なり、然れば、神祉は武夫の拜する神にて、聖廟は文學の士の拜すべきに似たり、今祉廟ともに文武の士をして、同じく拜せしめ給ふことは如何、曰、今人の文武といふものは文武の藝あり、古人の文武は文武の道なり、刀鎗弓銃等の術は武藝なり、禮義廉恥を知て、士道を守り節操を勵して、國家の干城となるは武道なり、文字をよみ傳註を說き、博文强記にして、故事を知り詩文書算を能する如き、皆文藝なり、忠孝仁義を本として、神聖の大道に通じ、國家の事體に明かにして、公侯の腹心ともなるべきは文道なり、藝を論ずる時は文藝と武藝と各異なれども、道を論ずるに於ては、文道武道ともに車の兩輪のごとく相離るべからず、是によりて古は道藝とて道と藝とを一にして、藝ありて道なければ羿が射などの如く、藝も却て害となるなり、さて又古の六藝は禮學書數は文、射御は武なれば、藝を敎るも文武を兼て敎るなり、故に孔子も有文事者。
新字:問、鹿島の神は武神なり、孔子は文徳の聖人なり、然れば、神祉は武夫の拝する神にて、聖廟は文学の士の拝すべきに似たり、今祉廟ともに文武の士をして、同じく拝せしめ給ふことは如何、曰、今人の文武といふものは文武の芸あり、古人の文武は文武の道なり、刀鎗弓銃等の術は武芸なり、礼義廉恥を知て、士道を守り節操を励して、国家の干城となるは武道なり、文字をよみ伝註を説き、博文強記にして、故事を知り詩文書算を能する如き、皆文芸なり、忠孝仁義を本として、神聖の大道に通じ、国家の事体に明かにして、公侯の腹心ともなるべきは文道なり、芸を論ずる時は文芸と武芸と各異なれども、道を論ずるに於ては、文道武道ともに車の両輪のごとく相離るべからず、是によりて古は道芸とて道と芸とを一にして、芸ありて道なければ羿が射などの如く、芸も却て害となるなり、さて又古の六芸は礼学書数は文、射御は武なれば、芸を教るも文武を兼て教るなり、故に孔子も有文事者。
書き下し
問、鹿島の神は武神なり、孔子は文德の聖人なり、然れば、神祉は武夫の拜する神にて、聖廟は文學の士の拜すべきに似たり、今祉廟ともに文武の士をして、同じく拜せしめ給ふことは如何、曰、今人の文武といふものは文武の藝あり、古人の文武は文武の道なり、刀鎗弓銃等の術は武藝なり、禮義廉恥を知て、士道を守り節操を勵して、國家の干城となるは武道なり、文字をよみ傳註を說き、博文强記にして、故事を知り詩文書算を能する如き、皆文藝なり、忠孝仁義を本として、神聖の大道に通じ、國家の事體に明かにして、公侯の腹心ともなるべきは文道なり、藝を論ずる時は文藝と武藝と各異なれども、道を論ずるに於ては、文道武道ともに車の兩輪のごとく相離るべからず、是によりて古は道藝とて道と藝とを一にして、藝ありて道なければ羿が射などの如く、藝も却て害となるなり、さて又古の六藝は禮學書數は文、射御は武なれば、藝を敎るも文武を兼て敎るなり、故に孔子も文事有る者は、
現代語訳
問い。鹿島の神は武神であり、孔子は文徳の聖人です。そうであれば、神社は武人が拝む神で、聖廟は文学の士が拝むべきもののようです。いま社と廟のどちらにも、文武の士に同じく拝ませられるのはなぜですか。答え。今の人のいう文武は文武の芸です。古人の文武は文武の道です。刀・槍・弓・銃などの術は武芸です。礼義廉恥を知って士道を守り、節操を励まして国家の干城となるのが武道です。文字を読み、伝注を説き、博文強記で故事を知り、詩文書算に長じているようなものは、みな文芸です。忠孝仁義を本として神聖の大道に通じ、国家の事体に明るく、公侯の腹心ともなれるのが文道です。芸を論じるときは文芸と武芸はそれぞれ異なりますが、道を論じるとなれば、文道と武道は車の両輪のように離れることができません。このため古は道と芸を一つにして道芸といい、芸があって道がなければ、羿の射のように、芸もかえって害となります。また古の六芸は、礼・学・書・数が文、射・御が武ですから、芸を教えるのも文武を兼ねて教えたのです。それゆえ孔子も「文事有る者は、
解説
この章句が説くこと
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『退食閑話』・孔子の武徳と文武一致必ず武備有りと仰せられたり、鹿島の神も武神なれども、天祖の象敎を垂れて天下に照臨まし〱、天功を亮け奉りしには、文德とも申べし、孔子は文德の聖人なれども、兵を足す事を論ぜられたり、夾谷の會にも齊侯の强暴を席上に挫き、三都を墮ち陳恒を討ぜんと乞れし類の事を以て見る時は、武德をも備へられしは、人々知る處なりしは論ずるにも及ばず、かくのごとく、文武の兼結ぶべきことは、本朝と漢土と同一揆なれど、今 神州の道を奉じて、西土の敎に資て、子弟を敎へ給ふに、神祉聖廟を尊敬して、其始に反り其本に報るを知らしめ、文武を一にして有用の人材を成就し給ふべきに依て、記にも文武岐れずとは仰せらるゝなり、
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『士道要論』・士道・文武は車の両輪、太平の世の備え東照宮の御遺訓にも武家の公家をまなぶことをふかくいましめ玉へり、されば、有德公御世のはじめ白石が建議してたてたる四足門をばこぼちすて祖宗のふるきにかへし、眞の文武をばはげまして、東照宮の御定をまもり玉へり、ありがたき御事なり、東照宮の御定とは、武家諸法度にも第一にしるし玉へる文武の道まなぶべしとあることなり、夫文武の道は二にして一なり、一にして二なり、武ありて文德をもほどこすべく、文ありて武功をもたつべし、文人の文に流るゝは天地を經緯するの文をしらざればな、武人の武にかたよるは神武にして殺ざるの武をしらざればなり、これ何れも眞の文武の道とはいふべからず、眞の文武の道は、いはゆる車の兩輪鳥の兩翼のごとく、ひとつをすてばとびゆくことかなふまじ、漢の高祖は儒をこのまぬ君なれど、陸賈が言に折れ叔孫が議にしたがひて、馬上をもて天下を治めず、織田右府は武き大將なれど、義昭の將軍に學をすゝめ、稻葉一徹が書贊よみたるにめでゝ、ころし玉はざるなど、實學を學ぶにはあらねど、文のやむべからざるをしれるは、さすが英雄の才といふべし、まして、東照宮は千古にひいで玉へる才德にましませば、はやくも學の人に益あることをしろしめされ、干戈いまだ納らぬうちより海内に文敎をひろめ玉へるもむべなりけり、されど、戰國の人は種々の艱苦を甞め、國々の風土をもしり、こゝろをも練り人情にも通じたれば、學の力うすくとも經濟にも達すべし、かく久しくうちつゞきたる太平に生れたる人は、安座して食ひ、四方のさかいをもいでず、頑陋なること多して、耳もきくことなく目もみる事なければ、ふみよみてことをわきまふ事なからましかば、いつもかくあることのみ思ひて、風俗のをとろへゆくをも、政事のやぶれたるをもしらずしてすぎゆかん、危きことならずや、工匠の室を作れるは規矩により、醫師の病を治るも方によれり、士大夫己を治め人を治るになどか法なからざらんや、されば、聖人の道によりて、文武ならび用るこそ、まことに長久の道なれ、
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『弘道館記述義』・文武不岐・文と武は車の両輪で分けてはならない文武岐れず。臣彪謹んで案ずるに、神聖は武を以て基を建て、而して文も亦固より其の中に寓す。猶ほ夫れ西土三代の忠質文に於けるがごとし。夏殷に文無きに非ず、周豈に忠質を廃せんや。而るに夏は忠、殷は質、周は文と曰ふは、皆其の向ふ所を言ふのみ。天祖天孫の統を垂れ、神武崇神諸帝の天業を経綸するは、其の武を尚ぶこと論ずる亡し。然れども其の神を敬ひ民を愛し、政を為し治を図るの迹、豈に之を文と謂はざるべけんや。聖子神孫世々其の緒を承け、内は万民を安んじ外は四夷を撫す。諸王諸臣も亦皆文は能く衆を附け、武は能く敵を威す。国運の盛んなること赫赫として日の升るが如し。中葉以降、将相職を異にし、文武背馳す。公卿軟弱にして手に兵を知らず、源平互ひに起こり、皇室陵夷し、天下の大権遂に武人に移る。夫れ文武の国家に於けるは、猶ほ天地の陰陽有るがごとし。陰陽並び行はれて年穀豊饒なり、文武並び挙げて天下乂安なり。其れ然らざる者は則ち反す。是の故に武人の政を為すや、其の文教を質す者は或いは小康を致すべし。専ら威刑に任ずる者は亡ぶること踵を旋らさず。東照宮に至りては文を撥め武を奮ひ、以て今日の基を開く。則ち上に在る君子は固より宜しく其の業を紹述すべし、而して凡そ天下の士は、黽勉して此に従事せざるべからず。蓋し文武の道には各小大有り。天地を経緯し克く禍乱を定むるは、是れ其の大なる者なり。書を読み冊を挟み、剣を撃ち矛を奮ふは、是れ其の小なる者なり。然れども書冊は道義を講ずる所以にして、剣矛は心胆を錬る所以なり。心胆実して後に以て難に臨み変を制すべく、道義明らかにして後に以て己を脩め人を治むべし。且つ文の弊は弱、武以て弱を矯むべし。武の弊は愚、文以て愚を医すべし。然らば則ち学者其の大を語りて其の小を急にするは、固より不可なり。其の小に務めて其の大を忘るるも、亦不可なり。分かちて二と為し、又其の一を廃するは、尤も不可なり。周代六芸の科、射御其の中に居る。孔子曰く、文事有る者は必ず武備有りと。冉求矛を奮ひて斉の軍に入り、仲由三軍を行ふを以て自ら許す。則ち古の人を教ふる所以は、其をして文武兼ね資り、徳を成し材を達せしむるなり、知るべし。後世に及び、大道湮晦し、学校の設けも亦文具に属す。凡そ黌舎に周旋する者は率ね皆白面の書生。古の所謂勇敢強有力なる者は、頭を其の間に屈するを甘んぜず。李唐に至りて呂尚を尊びて孔子に匹似せしめ、別に武学を建てて文学と相対す。其の文武に心を用ふるは則ち似たり。殊に知らず、文武益ます岐れて復た収合すべからず、而して聖人の意大いに荒るるを。備前国主池田氏、蓋し此に見る有り、其の臣熊沢伯継の議を用ひ、新たに学校を設けて文武を合して一と為す。我が公、毎に深く其の国体に通達するを嗟賞し、斯の館を建つるに及び、亦其の美意に倣ふ。文武岐れずの戒め有る所以なり。学者、其れ服膺せざるべけんや。
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『匡正論』・文と武はもとひとつの安民の道文武之義知れ易きに似て其實知れ易きに非るにや、俗士動もすれば其實を失ふものあり、夫文と云は中華先聖王の立賜へる道を狀りて云たる也、其道をさして文と云は如何となれば、先天に天文と云、地に地理と云、先王の道の大原より出て、天に法りて道を立玉ひ、禮樂の敎粲然たる以天下を安治する道なる故に文とは云也、武と云は文字に於ても止戈を義とする也、又戡亂也と注して、天下の亂逆を靜むるをさして云也、故に武の本意は民を安ずるの仁心より亂逆を靜て國土を安ぜん爲にて、先王安民の道の一端にて、治る時は文を用ひ亂る時は武を用ふと云までの事にて、畢竟文武は唯一道なり、後世の如き文道武道と云樣なる別にては無き也、古の君子の先王の道を學と云ふは學宮の中に優游而六藝を學び行ひ自然に其位を成す、各性質の偏有に因て盛德の上にて見れば、文事の人ともなり、されば古も文武兼備の人を以て盛德とする事にて、其故は軍事あれば六卿皆出て將軍となる事なれば、文武の才にあらざれば卿とは成がたきなり、三代の君子みな劍を帶するも是故也、後世秦漢以後の文武宮を殊にし政を殊にする比ひには非ずと知るべし、故に詩經に尹吉甫稱して、文武吉甫萬邦爲憲と云へり、又禮記に勇而有强力者、天下無事、則用之於禮儀、天下有事、則用之於戰勝、則無敵、用之禮儀則順治、外無敵、內順治、此之謂盛德と云へり、君子の勇强は匹夫兵卒の比ひに非る事可見也、又左傳僖公二十七年に、晉國將軍の才を撰び、卻縠と云人禮樂を說び詩書に敦なるを以て擢て將軍となせし事あり、後世より見れば、將軍の才の撰び方格別なる樣なれども、
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『学論抄録』・文と武は陰陽のように偏り立たない道に文武有るは、猶ほ天に陰陽有るがごとし。豈に偏り立つべけんや。故に孔聖曰く、文事有る者は、必ず武備有り、と。自ら文王武王の業有り。伝に文武の道と云ふ。王世貞曰く、孔子兵に於いて、自ら云ふ、我戦へば則ち必ず克つ、と。蒙谿張□曰く、天仲尼を生ぜずんば、則ち斯文の統以て墜ちん。天尚父を生ぜずんば、則ち戡乱の武曷ぞ張らん。七書六経は、固より仁義一原の理、陰陽貞勝の符なり、と。李卓吾曰く、仁義一原、陰陽貞勝は、則ち確論なり。夫れ天下未だ仁有りて義無き有らず、亦た豈に陽有りて陰無き有らんや。独陽は生ぜず、独陰は成らず。文は専ら陽を指し、武は専ら陰を指すと謂はば、則ち但だに武を成さざるのみならず、而も亦た文を成さず、と。筑前府の耆儒、久兵衛貝原子(名は篤信、号は益軒先生)曰く、古人は文を左にし武を右にす。古より、斯の二つを兼ねずして君子と称する者は、未だ之れ有らざるなり。故に文にして武ならざる、是を腐儒と謂ひ、武にして文ならざる、是を傖父と謂ふ。君子豈に専ら文学を為して武備を廃せんや、と。対馬府の宿儒、東五郎雨森子(字は伯陽、号は芳洲先生)曰く、冉求の郎に戦ひて之に克つや、曰く、孔子に学ぶ、と。則ち洙泗の教へは、人なり。籩豆雍容の暇、象箾綴兆の余、未だ始めより武に在らずんばあらざるなり。然り而して用正制奇の方、攻伐撃刺の術、経に見えざる所以の者は何ぞや。蓋し春秋戦国の際に当たり、天下の患ひは、専ら武を用ふるに在り。彼の聖賢なる者深く慮る所有り、故に口を開くに難きは、固より其の宜しきなり。世の学者徒らに其の書を読みて、其の心を察せず、理勢の源に昧く、和漢の情を闕き、以為へらく武を談ずるは吾が儒の事に非ずと。何ぞ陽を取りて陰を舎て、仁を悦びて義を忘るるに異ならんや。大経を遺れて通誼を失ふ、謬れりと謂ふべし、と。徂徠物子、衛霊公陳を孔子に問ふの一章を釈して曰く、凡そ君問ふこと有りて、答ふるに未だ知らず未だ学ばざるを以てする者は、古礼然り。軍旅は君子の必ず学ぶ所なり。
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『告志篇』・文武は一致する、学びを出どころで退けない文武の道も亦一致と存候、凡そ武士たるもの武道を不勵して不叶儀は各も承知之事に候へども、不學文盲にては不相濟事と存候、兒童も知たる通り、今川了俊が不知文道武道遂に不得勝利といへるは、其言淺きに似たれども其旨深しと思ふ、然るに不學の者文道は漢國の敎なりとて嘲り笑ひ、又たま〱學びたる者は其道に泥み、堯舜は天祖、天孫よりも難有ものと、心得違ふ者なきにしもあらず、我等淺學にて古今に暗けれども、幼きより神聖の道を學び、つら〱思ふに、君臣父子の大倫は勿論、祭祀を崇び本に報るの道より、勇武を尙び恥を知るの義に至るまで、皆神代のむかしより備りたる事にて、忠孝文武抔いふ文字こそなけれ、其道はまさしく、神國の大道と存候、其上風俗の美なること、異邦にすぐれ、威稜の健さと、四夷にふるひ、何も事缺たることあらざれども、後の聖君賢主殊更に人に取善をなし給ひ、經書賢人を異國に求め給ひたるゆゑ、漢土の書籍渡り來て、孔子の道も傳り、神國の道ます〱明に、制度も追ゝに備りたる事なれば、神國にて孔子の道を學ぶ人は、孔子の堯舜を尊べるが如くに、天祖、天孫を奉仰候てこそ孔子の道にも叶ふべければ、漢土の道も 神國の人學ぶ時は、即ち 神國を尊ぶの道なるべければ、漢國の道なり迚しりぞくべきにあらず、彼蠻夷の佛敎をば我々信向し、我父母先祖をすら佛抔と唱へながら、獨文道に至ては漢國の敎なりとて學ばざるは、迷へるの甚しきならずや、能ゝ此儀を辨へ、文道をゆるかせにせざる樣存候、是我等の申候言には無之、義公の遺訓にも、士の大節に臨みて嫌疑を定め、

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