退食閑話 / 神聖を祭る深い意図
大陽の出る方に向ひ、陽氣の生ずる處にして、正氣の國なれば、其敎も正しくして、前にも論ぜし如く天地の初より五倫の敎興れり、神州の古へは人民淳朴にして、自から 神明の大道に合ひたれども、質より文に赴くは天地の常なれば、名敎といふことありて、忠孝仁義等の名を立て敎るなり、されば、民多岐に迷ひ易し、故に漢土にて敎とする處の忠孝仁義等の樣に名あるに因りて、孔子の盛德を摸範として、人倫を明かにする、是人に取て善をするの義なれば、欽其德資其敎とは即ち是なり、然れば、神聖の大道大に弘まり、今日に至るまで君父に事へ、臣子を養ひ、夫婦兄弟朋友も和睦して、禽獸に異なる事を得たりしは、偶然にあらざれば、學校を設けて孔子を祭り給ふも、其本を忘れず、且は其偶然ならざる故をしらしめんとの義なり、されば、神祉聖廟を瞻仰して、神聖の敎の本づく處をしり、人倫を明かにして、其學ぶ所を實行實事に施むと、神聖を祭りたまふの深意なるべし、
新字:大陽の出る方に向ひ、陽気の生ずる処にして、正気の国なれば、其教も正しくして、前にも論ぜし如く天地の初より五倫の教興れり、神州の古へは人民淳朴にして、自から 神明の大道に合ひたれども、質より文に赴くは天地の常なれば、名教といふことありて、忠孝仁義等の名を立て教るなり、されば、民多岐に迷ひ易し、故に漢土にて教とする処の忠孝仁義等の様に名あるに因りて、孔子の盛徳を摸範として、人倫を明かにする、是人に取て善をするの義なれば、欽其徳資其教とは即ち是なり、然れば、神聖の大道大に弘まり、今日に至るまで君父に事へ、臣子を養ひ、夫婦兄弟朋友も和睦して、禽獣に異なる事を得たりしは、偶然にあらざれば、学校を設けて孔子を祭り給ふも、其本を忘れず、且は其偶然ならざる故をしらしめんとの義なり、されば、神祉聖廟を瞻仰して、神聖の教の本づく処をしり、人倫を明かにして、其学ぶ所を実行実事に施むと、神聖を祭りたまふの深意なるべし、
書き下し
大陽の出る方に向ひ、陽氣の生ずる處にして、正氣の國なれば、其敎も正しくして、前にも論ぜし如く天地の初より五倫の敎興れり、神州の古へは人民淳朴にして、自から 神明の大道に合ひたれども、質より文に赴くは天地の常なれば、名敎といふことありて、忠孝仁義等の名を立て敎るなり、されば、民多岐に迷ひ易し、故に漢土にて敎とする處の忠孝仁義等の樣に名あるに因りて、孔子の盛德を摸範として、人倫を明かにする、是人に取て善をするの義なれば、其の德を欽み、其の敎に資るとは即ち是なり、然れば、神聖の大道大に弘まり、今日に至るまで君父に事へ、臣子を養ひ、夫婦兄弟朋友も和睦して、禽獸に異なる事を得たりしは、偶然にあらざれば、學校を設けて孔子を祭り給ふも、其本を忘れず、且は其偶然ならざる故をしらしめんとの義なり、されば、神祉聖廟を瞻仰して、神聖の敎の本づく處をしり、人倫を明かにして、其學ぶ所を實行實事に施むと、神聖を祭りたまふの深意なるべし、
現代語訳
太陽の出る方に向かい、陽気の生ずる所であって、正気の国ですから、その教えも正しく、先に論じたとおり天地の初めから五倫の教えが興りました。神州の古は人民が淳朴で、自ら神明の大道に合っていましたが、質から文に赴くのは天地の常ですから、名教ということがあって、忠孝仁義などの名を立てて教えるのです。そうなると民は多くの分かれ道に迷いやすくなります。そこで漢土で教えとするところの忠孝仁義などのように名があることにより、孔子の盛徳を模範として人倫を明らかにする、これは人に取って善をなすという意味で、「其の徳を欽み、其の教えに資る」とはまさにこのことです。そうであれば、神聖の大道が大いに広まり、今日に至るまで君父に事え、臣子を養い、夫婦・兄弟・朋友も和睦して、禽獣と異なることができたのは、偶然ではありません。学校を設けて孔子を祭られるのも、その本を忘れず、かつその偶然でない理由を知らしめようとする意味です。ですから神社・聖廟を仰ぎ見て、神聖の教えの基づくところを知り、人倫を明らかにして、学ぶところを実際の行いと実際の事に施すことが、神聖を祭られる深い意図でしょう。
解説
この章句が説くこと
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『退食閑話』・孔子廟を建てる意味問、孔子の廟を建給へる事記文に詳なれども、願くば初學のために其着實なる處を告られ給はんことを乞ふ、曰、唐虞三代の道は人倫を明にする道なれば、天下の達道ともいふ、即ち天地の大道なり、愚夫愚婦といへどもよく知てよく行ふべき道なれども、敎なきときは是を知ることあたはずして、人も禽獸に近し、故に堯舜の五典を行ひ、親義別序信の敎を知らしめられしより、人民始て禽獸にまぬかれし事を得たり、孔子に至りて群聖人の美を集めて大成し、堯舜を祖述してより、堯舜の敎もいよ〱明かになりて、後世人倫の摸範も備り、即ち唐虞三代の道此に折衷すとは是なり、孔子の敎神州に行はれし事も、應神天皇の御宇論語の書はじめて傳はり、此後聖人の經書次第に行はるゝこと人々の知る處なり、道は天下の達道なれば、四海萬國人倫のあらん限りは自然に行はるれども、戎狄は偏氣の國なれば其敎とする處、邪僻にして人倫明かならざる事多し、 神州と漢土とは東海に臨める地勢にして、
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『弘道館記述義』・神豈得已哉・孔子廟を営む理由と聖人の教え神豈に已むを得んや。其の孔子廟を営むは何ぞ。唐虞三代の道、此に折衷するを以て、其の徳を欽び其の教へを資り、人をして斯の道の益ます大に且つ明らかなる所以の、偶然ならざるを知らしめんと欲するなり。臣彪謹んで案ずるに、聖人の教へ、其の節目勝げて数ふべからず。而れども其の大要は人倫を明らかにするに在り。昔者舜、契をして司徒たらしめ、以て其の五教を敷かしむ。教への経籍に見ゆる者、此れを始めと為す。虞夏商周、沿革一ならず、政に変通有り。而れども其の大要に至りては、則ち未だ始めより同じからずんばあらず。周の衰ふるに及び、綱紀振るはず、彝倫日に斁る。弑逆簒奪、国として無きは無し。孔子は実に契の苗裔を以て東魯に生まる。信にして古を好み、堯舜を祖述し文武を憲章し、憤りを発して食を忘れ、周公を夢寐に見る。其の志は蓋し魯の道を一変して、周室を夾輔し、以て大義を天下に明らかにせんと欲す。而れども終身遑遑として席の暖まるに暇あらず。遂に遺経を刪り空言を述べ、以て万世に訓を垂る。当時親しく其の教へを炙る者、或いは夫子を堯舜より賢ること遠しと謂ひ、或いは生民有りて以来未だ夫子より盛んなるは有らずと謂ふ。百世の下、万古一談、敢へて間然する無し。故に司馬遷曰く、天子王侯より、中国に六芸を言ふ者は、夫子に折中すと。楊雄曰く、群言淆乱するも、諸を聖語に折ると。所謂唐虞三代の道、此に折衷すとは、其れ然らざらんや。孔子は聖なりと雖も位は大夫に過ぎず、分は陪臣に属す。而るに惟に西土の君臣之を尊び、朝廷之を崇め、天下之を仰ぐのみならず、又従ひて廟祀す。是れ其の徳を欽ぶなり。邇くは身を脩め家を斉へ、遠くは国を治め天下を平らかにし、明倫正名の教へより以て尊王攘夷の訓に至るまで、苟くも道義を推弘すべき者は、服膺して遵奉せざる莫し。是れ其の教へを資るなり。神州の基を建つる、質は余り有りて文は或いは足らず。
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『五常訓』巻之一・総論一もろこしは天地の中央にありて、風気の正しき国なれば、古よりさばかりの聖人賢人世に多く出でて、天下ををさめ、道を行ひ、人倫の法を立て、天地の道をつぎ行ひ給ふ。中について、孔子は六経を作り、堯舜以来、古の聖人の道を述べ、人倫の教を立て、天下万世にのこし給ふ。是天下万世の、師とし尊びて行ふべき則なり。故にもろこしも、外国も、其教をうけてしたがへり。しかれば、其教の、いたりて尊きこと、いへばおろかなりや。思ひやるべし。ここを以て、古の帝王も、孔子を師とし尊び、其教をおもんじ、時々の祭を行ひ、其廟にまうでて、拝礼をなし給ふ。わが日の本にむかしは都の大学寮に、聖人及十哲の像を安置し、釈奠とて聖人をまつり給ふ礼ありき。又太宰府及び諸州にも、孔廟学校ありて、祭礼をなせり。しかれば天下の人、貴き賤しき、あまねく其教にしたがひて、師とすべきこと言ふに及ばず。されど世界の内、聖人の教を知らで、随はざる国もあり。それは孟子のいはゆる、教なければ禽獣に近きなり。是夷狄の、中華に及ばざる所なり。
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『退食閑話』・実事に施す儒学と修史依て聖人の敎を尊崇し給へるも、修己治人の道を事業に施し、士民を敎導し給ふ條目に載られしに、五倫を以て本となし、史を脩給ひしには、神功皇后を妃に列し、天皇大友を本紀にたて、壽永建元の 天子を正統とし給へるの類は、天下後世の人臣をして、大義を誤らざらしむるには、人倫を明らかにするの實にして、筆端の空論にあらず、如此にして、國家の藩屏とならせられ、天下に大益あるは、是皆其實事にして、威公の御志を繼給ふ所なりしかば、神道をも學び、神宮寺本地佛などいへる陋習を除し、唯一の神道とし給ひ、吉田神祉をも再典ありて、日本武尊を慕せられし遺志を成就し、武備をば繕めらるゝにも、大義を明らかにし、名節を磨勵して、心膽を練り給ふ、一つとして威公の志を繼ぎ述給ふにあらざるはなし、かくのごとく卓見ましませしゆへ、國中を風化し給はんとて、其頃までもいまだ學校といふ事も世に希なりしに、學校を立て敎を施んと志し、舜水先生に就て闕里の聖廟の制度を問ひ、小形をも製し給ひ、
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『退食閑話』・文武は車の両輪問、鹿島の神は武神なり、孔子は文德の聖人なり、然れば、神祉は武夫の拜する神にて、聖廟は文學の士の拜すべきに似たり、今祉廟ともに文武の士をして、同じく拜せしめ給ふことは如何、曰、今人の文武といふものは文武の藝あり、古人の文武は文武の道なり、刀鎗弓銃等の術は武藝なり、禮義廉恥を知て、士道を守り節操を勵して、國家の干城となるは武道なり、文字をよみ傳註を說き、博文强記にして、故事を知り詩文書算を能する如き、皆文藝なり、忠孝仁義を本として、神聖の大道に通じ、國家の事體に明かにして、公侯の腹心ともなるべきは文道なり、藝を論ずる時は文藝と武藝と各異なれども、道を論ずるに於ては、文道武道ともに車の兩輪のごとく相離るべからず、是によりて古は道藝とて道と藝とを一にして、藝ありて道なければ羿が射などの如く、藝も却て害となるなり、さて又古の六藝は禮學書數は文、射御は武なれば、藝を敎るも文武を兼て敎るなり、故に孔子も文事有る者は、
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『退食閑話』・結び・公の深意其人の好む所に任すべきなり、但其本とする所は神を敬し聖を崇び、神道は即ち聖道なり、聖道は即ち神道なりと心得て、大道の本意を失はず、文武の道を學びて熟練し、衆思を集め群力を宣べ、忠孝を盡して國恩に報ひ、神聖の靈も降臨ましますに至らん事を片時も忘るべからず、されども、人材を實事に用ゆべきよふに養ひ成さんは容易の事にあらず、我濟淺陋の學にして其任に堪ゆべきにあらず、且又、敎と治と並び行れて輕重なく、二つのものゝ本を執り、天下を卒ひ申さんは臣下の專にすべきにあらず、其治敎は御名を記させられしなり、是即ち義公の士臣を喩し給ひしにも、聖賢の道をば學びし者は、我も亦儒者なりとのたまひし遺意ならんかとおしはかり奉る、されば、記文の深意は、國君の自からさとし給ふ所なれば、結語にも斯の舘を設け其の治敎を統ぶる者は誰ぞとありて、我輩の口舌を以て論說せんは憚かるべき事なれども、默して答へざらむも職分を疏畧するに近ければ、聊か吾子が問に答ゆるなり、無稽の臆說も多からん、恐懼の念少からず、吾子また更に明識の人に就て正されんことを希がふなり、

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