匡正論 / 文と武はもとひとつの安民の道
文武之義知れ易きに似て其實知れ易きに非るにや、俗士動もすれば其實を失ふものあり、夫文と云は中華先聖王の立賜へる道を狀りて云たる也、其道をさして文と云は如何となれば、先天に天文と云、地に地理と云、先王の道の大原より出て、天に法りて道を立玉ひ、禮樂の敎粲然たる以天下を安治する道なる故に文とは云也、武と云は文字に於ても止戈を義とする也、又戡亂也と注して、天下の亂逆を靜むるをさして云也、故に武の本意は民を安ずるの仁心より亂逆を靜て國土を安ぜん爲にて、先王安民の道の一端にて、治る時は文を用ひ亂る時は武を用ふと云までの事にて、畢竟文武は唯一道なり、後世の如き文道武道と云樣なる別にては無き也、古の君子の先王の道を學と云ふは學宮の中に優游而六藝を學び行ひ自然に其位を成す、各性質の偏有に因て盛德の上にて見れば、文事の人ともなり、されば古も文武兼備の人を以て盛德とする事にて、其故は軍事あれば六卿皆出て將軍となる事なれば、文武の才にあらざれば卿とは成がたきなり、三代の君子みな劍を帶するも是故也、後世秦漢以後の文武宮を殊にし政を殊にする比ひには非ずと知るべし、故に詩經に尹吉甫稱して、文武吉甫萬邦爲憲と云へり、又禮記に勇而有强力者、天下無事、則用之於禮儀、天下有事、則用之於戰勝、則無敵、用之禮儀則順治、外無敵、內順治、此之謂盛德と云へり、君子の勇强は匹夫兵卒の比ひに非る事可見也、又左傳僖公二十七年に、晉國將軍の才を撰び、卻縠と云人禮樂を說び詩書に敦なるを以て擢て將軍となせし事あり、後世より見れば、將軍の才の撰び方格別なる樣なれども、
新字:文武之義知れ易きに似て其実知れ易きに非るにや、俗士動もすれば其実を失ふものあり、夫文と云は中華先聖王の立賜へる道を状りて云たる也、其道をさして文と云は如何となれば、先天に天文と云、地に地理と云、先王の道の大原より出て、天に法りて道を立玉ひ、礼楽の教粲然たる以天下を安治する道なる故に文とは云也、武と云は文字に於ても止戈を義とする也、又戡乱也と注して、天下の乱逆を静むるをさして云也、故に武の本意は民を安ずるの仁心より乱逆を静て国土を安ぜん為にて、先王安民の道の一端にて、治る時は文を用ひ乱る時は武を用ふと云までの事にて、畢竟文武は唯一道なり、後世の如き文道武道と云様なる別にては無き也、古の君子の先王の道を学と云ふは学宮の中に優游而六芸を学び行ひ自然に其位を成す、各性質の偏有に因て盛徳の上にて見れば、文事の人ともなり、されば古も文武兼備の人を以て盛徳とする事にて、其故は軍事あれば六卿皆出て将軍となる事なれば、文武の才にあらざれば卿とは成がたきなり、三代の君子みな剣を帯するも是故也、後世秦漢以後の文武宮を殊にし政を殊にする比ひには非ずと知るべし、故に詩経に尹吉甫称して、文武吉甫万邦為憲と云へり、又礼記に勇而有強力者、天下無事、則用之於礼儀、天下有事、則用之於戦勝、則無敵、用之礼儀則順治、外無敵、内順治、此之謂盛徳と云へり、君子の勇強は匹夫兵卒の比ひに非る事可見也、又左伝僖公二十七年に、晋国将軍の才を撰び、却縠と云人礼楽を説び詩書に敦なるを以て擢て将軍となせし事あり、後世より見れば、将軍の才の撰び方格別なる様なれども、
書き下し
文武之義知れ易きに似て其實知れ易きに非るにや、俗士動もすれば其實を失ふものあり、夫文と云は中華先聖王の立賜へる道を狀りて云たる也、其道をさして文と云は如何となれば、先天に天文と云、地に地理と云、先王の道の大原より出て、天に法りて道を立玉ひ、禮樂の敎粲然たる以天下を安治する道なる故に文とは云也、武と云は文字に於ても止戈を義とする也、又戡亂也と注して、天下の亂逆を靜むるをさして云也、故に武の本意は民を安ずるの仁心より亂逆を靜て國土を安ぜん爲にて、先王安民の道の一端にて、治る時は文を用ひ亂る時は武を用ふと云までの事にて、畢竟文武は唯一道なり、後世の如き文道武道と云樣なる別にては無き也、古の君子の先王の道を學と云ふは學宮の中に優游而六藝を學び行ひ自然に其位を成す、各性質の偏有に因て盛德の上にて見れば、文事の人ともなり、されば古も文武兼備の人を以て盛德とする事にて、其故は軍事あれば六卿皆出て將軍となる事なれば、文武の才にあらざれば卿とは成がたきなり、三代の君子みな劍を帶するも是故也、後世秦漢以後の文武宮を殊にし政を殊にする比ひには非ずと知るべし、故に詩經に尹吉甫稱して、文武吉甫萬邦爲憲と云へり、又禮記に勇而有强力者、天下無事、則用之於禮儀、天下有事、則用之於戰勝、則無敵、用之禮儀則順治、外無敵、內順治、此之謂盛德と云へり、君子の勇强は匹夫兵卒の比ひに非る事可見也、又左傳僖公二十七年に、晉國將軍の才を撰び、卻縠と云人禮樂を說び詩書に敦なるを以て擢て將軍となせし事あり、後世より見れば、將軍の才の撰び方格別なる樣なれども、
現代語訳
文武の意味は分かりやすそうでいて、実は分かりやすくないものであり、俗な士はともすればその実質を失うことがあります。そもそも文とは、中国の先聖王がお立てになった道をかたどって言うものです。その道を文と言うのはなぜかというと、天に天文があり地に地理があるように、先王の道は大本から出て、天にのっとって道をお立てになり、礼楽の教えが明らかで、それによって天下を安らかに治める道だからです。武は文字の上でも「戈を止める」ことを意味します。また「乱を平らげること」と注され、天下の乱逆を鎮めることを指します。ですから武の本意は、民を安んじる仁の心から乱逆を鎮めて国土を安らかにするためのもので、先王の安民の道の一端であり、治まる時は文を用い乱れる時は武を用いるというだけのことで、結局、文武はただ一つの道です。後世のように文道・武道と分けるようなものではありません。古の君子が先王の道を学ぶというのは、学宮の中でのびのびと六芸を学び行い、自然にその位を成すことで、それぞれの性質の偏りによって、盛徳の上で見れば文事の人ともなるのです。ですから古も文武兼備の人を盛徳とし、そのわけは、軍事があれば六卿がみな出て将軍となるので、文武の才がなければ卿にはなりがたかったからです。三代の君子がみな剣を帯びたのもこのためです。後世、秦漢以後の、文武が官を異にし政を異にするのとは違うと知るべきです。ですから詩経には尹吉甫をたたえて「文武の吉甫は万邦の憲となる」と言い、礼記にも「勇があって強い力のある者は、天下に事がなければ礼儀に用い、天下に事があれば戦勝に用いる。そうすれば敵なく、礼儀に用いれば順って治まる。外に敵なく内に順って治まる、これを盛徳という」と言っています。君子の勇強が一介の匹夫や兵卒のたぐいとは違うことは明らかです。また左伝僖公二十七年に、晋国が将軍の才を選ぶとき、郤縠という人が礼楽を好み詩書に厚いというので抜擢して将軍にした事があります。後世から見ると将軍の才の選び方が格別のようですが、
解説
この章句が説くこと
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『直毘霊』仁義礼譲孝悌忠信さてその道というものの様は、いかなるぞと言えば、仁義礼譲孝悌忠信などいう、こちたき名どもを、くさぐさ作り設けて、人を厳しく教え趣けむとぞすなる。さるは後世の法律を、先王の道に背けりとて、儒者はそしれども、先王の道も、古の法律なるものをや。また易などいう物をさえ作りて、いとも心深げに言いなして、天地の理を究め尽くしたりと思うよ。これはた世人を懐け治めむための、たばかり事ぞ。
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荀子・大略篇知らずして堯舜(ぎょうしゅん)に問ひ、有(も)つこと無くして天府(てんぷ)に求む。曰く、先王の道は、則ち堯舜のみ。六貳(りくじ)の博きは、則ち天府のみ。
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論語・学而篇有子曰く、「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯を美と為す。小大之に由れども、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行う可からざるなり。」
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『匡正論』・文武の実を失った武士の通念詩書は義の府なれば、卿大夫たる者、先王の義に達せざれば、武事のみ長じても、卿とはなさざるなり、古の道みな如此也、故に有文事者、必有武備とも云、仁者必有勇、勇者不必有仁とも云、又有勇而無義、爲亂とも云り、古の學士德成て仕へ、爵大夫に至るを至極とするなれば、敢る事也、後世學文の如き比ひに非ず、吾邦中古以後公家武家と別れてより、政治皆將軍に歸し、諸侯皆武家と稱して、其國の政令も多くは軍命を其まゝに用ひて治らるゝ事、大方は武威を以てひしつけ、何事も簡易徑直なるを貴び、士を敎るに一步も退かざるを以て本意とす、但當時の御條目に文武忠孝を勵む事あれば、何事もこの內にこもることとなれども、全躰に上下共多く文武の實を失ふに似たり、今士の武道なりと稱せる所は、俠客の氣ありて勇を尙び死を厭はず恥を知り信を重じ、むさくきたなびれず、弓馬鎗劍の術に達し、御馬前にて潔く一命を捨るなど云常言あり、是等のことを武道と心得たるなり、又其文道なりとする所は、總て書を讀み詩歌を作るなどの事なりと思ひ、甚しきは讀書は武士の知らずして濟むべき者なりとて、孝悌忠信の沙汰もなく、恥とする事を知らず、是世上文學の行れざる故にや、又小量なる學者の善惡邪正の心盤にして理屈めきたるを見る故にや、學文すれば諸士の交り妨となると思ふの類、皆學風のあしきと無學文官との然らしむる所にして、誠の道を知る人の憂ふる所也、然れども其武道とする一種の志氣は頼もしき所あり、害なしと云べし、只無學の輩多きより治國の才を成す人少く、
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『弘道館記述義』・文武不岐・文と武は車の両輪で分けてはならない文武岐れず。臣彪謹んで案ずるに、神聖は武を以て基を建て、而して文も亦固より其の中に寓す。猶ほ夫れ西土三代の忠質文に於けるがごとし。夏殷に文無きに非ず、周豈に忠質を廃せんや。而るに夏は忠、殷は質、周は文と曰ふは、皆其の向ふ所を言ふのみ。天祖天孫の統を垂れ、神武崇神諸帝の天業を経綸するは、其の武を尚ぶこと論ずる亡し。然れども其の神を敬ひ民を愛し、政を為し治を図るの迹、豈に之を文と謂はざるべけんや。聖子神孫世々其の緒を承け、内は万民を安んじ外は四夷を撫す。諸王諸臣も亦皆文は能く衆を附け、武は能く敵を威す。国運の盛んなること赫赫として日の升るが如し。中葉以降、将相職を異にし、文武背馳す。公卿軟弱にして手に兵を知らず、源平互ひに起こり、皇室陵夷し、天下の大権遂に武人に移る。夫れ文武の国家に於けるは、猶ほ天地の陰陽有るがごとし。陰陽並び行はれて年穀豊饒なり、文武並び挙げて天下乂安なり。其れ然らざる者は則ち反す。是の故に武人の政を為すや、其の文教を質す者は或いは小康を致すべし。専ら威刑に任ずる者は亡ぶること踵を旋らさず。東照宮に至りては文を撥め武を奮ひ、以て今日の基を開く。則ち上に在る君子は固より宜しく其の業を紹述すべし、而して凡そ天下の士は、黽勉して此に従事せざるべからず。蓋し文武の道には各小大有り。天地を経緯し克く禍乱を定むるは、是れ其の大なる者なり。書を読み冊を挟み、剣を撃ち矛を奮ふは、是れ其の小なる者なり。然れども書冊は道義を講ずる所以にして、剣矛は心胆を錬る所以なり。心胆実して後に以て難に臨み変を制すべく、道義明らかにして後に以て己を脩め人を治むべし。且つ文の弊は弱、武以て弱を矯むべし。武の弊は愚、文以て愚を医すべし。然らば則ち学者其の大を語りて其の小を急にするは、固より不可なり。其の小に務めて其の大を忘るるも、亦不可なり。分かちて二と為し、又其の一を廃するは、尤も不可なり。周代六芸の科、射御其の中に居る。孔子曰く、文事有る者は必ず武備有りと。冉求矛を奮ひて斉の軍に入り、仲由三軍を行ふを以て自ら許す。則ち古の人を教ふる所以は、其をして文武兼ね資り、徳を成し材を達せしむるなり、知るべし。後世に及び、大道湮晦し、学校の設けも亦文具に属す。凡そ黌舎に周旋する者は率ね皆白面の書生。古の所謂勇敢強有力なる者は、頭を其の間に屈するを甘んぜず。李唐に至りて呂尚を尊びて孔子に匹似せしめ、別に武学を建てて文学と相対す。其の文武に心を用ふるは則ち似たり。殊に知らず、文武益ます岐れて復た収合すべからず、而して聖人の意大いに荒るるを。備前国主池田氏、蓋し此に見る有り、其の臣熊沢伯継の議を用ひ、新たに学校を設けて文武を合して一と為す。我が公、毎に深く其の国体に通達するを嗟賞し、斯の館を建つるに及び、亦其の美意に倣ふ。文武岐れずの戒め有る所以なり。学者、其れ服膺せざるべけんや。
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『学論抄録』・時代で変わる文武の重みと武家の成り立ち孔子豈に独り未だ之を学ばざらんや。将た必ず其の再三問うて措かざるを待ちて後、以て応ずる有るなり。亦た臣の君に対するの礼なり。具眼の儒先の成説已に此くの如し。末学復た何ぞ之れ贅せん。夫れ礼楽は、先王の妙術にして、治道は此に由らざる莫し。軍は是れ五礼の一にして、吉凶賓嘉の四つは、是れ治日の礼、軍は以て乱を戢む。其の軽んずべからざること知るべし。子の慎む所は斎・戦・疾、苟くも慎むこと無くして可ならんや。而して治まれば則ち武衰へ、乱るれば則ち文荒る。理勢の緩急、必ず然らざるを得ざるなり。故に文武の二つは素より軽重無しと雖も、然れども時を済ふの挙は、自ら抑揚有り。此れ政教の異同無きこと能はざる所以なり。按ずるに古に大道・常道の目有り。所謂大とは、小数に対して言ふ。蓋し時王の行ふ所、時俗風を成し、対立する者無きの謂なり。所謂常とは不経に対して言ふ。蓋し先王の建つる所、万世之に依りて易ふべからざるの謂のみ。原ぬるに夫れ我が国上世、細戈千足国と称す。武備の盛んなる、亦た以て知るべし。爾来国人風を成すなり。中葉以降、天下の権、人臣に移り、其の権を握る者、或いは文を以て自ら処り、或いは武を以て自ら処る。蓋し澆季の世、術古に及ばず、所謂文武も亦た先王の旧に非ざるなり。故に文を以て自ら処る者は、早く外患有るを忘れ、淫靡の風従ひて起こる。是を以て永く社稷を保つこと能はず。平相国の如き是れなり。武を以て自ら処る者は、剛烈にして風を損ひ、礼制過朴の弊無きこと能はず。然れども常に戒慎恐懼の意有りて、反って先王の遺旨を存す。是を以て遽かに滅亡の憂ひに至らず。鎌倉氏の如き是れなり。前蹤昭々として見るべし。神祖の運を開くに追び、遠く国初の芳躅を追ひ、近く前代の覆轍を鑑み、武を以て表と為し、文を以て裏と為す。而して玉科金条、標題して武家と曰ふ。恭しく惟みるに皇帝の封冊に曰く、征夷大将軍云々と。所以に、当路の士大夫皆武を以て自ら処り、傍らに儒者を置きて以て顧問に備ふ。官儒と雖も其の始め皆円頂にして僧官に属し、

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