退食閑話 / 孔子廟を建てる意味
問、孔子の廟を建給へる事記文に詳なれども、願くば初學のために其着實なる處を告られ給はんことを乞ふ、曰、唐虞三代の道は人倫を明にする道なれば、天下の達道ともいふ、即ち天地の大道なり、愚夫愚婦といへどもよく知てよく行ふべき道なれども、敎なきときは是を知ることあたはずして、人も禽獸に近し、故に堯舜の五典を行ひ、親義別序信の敎を知らしめられしより、人民始て禽獸にまぬかれし事を得たり、孔子に至りて群聖人の美を集めて大成し、堯舜を祖述してより、堯舜の敎もいよ〱明かになりて、後世人倫の摸範も備り、即ち唐虞三代の道折衷於此とは是なり、孔子の敎神州に行はれし事も、應神天皇の御宇論語の書はじめて傳はり、此後聖人の經書次第に行はるゝこと人々の知る處なり、道は天下の達道なれば、四海萬國人倫のあらん限りは自然に行はるれども、戎狄は偏氣の國なれば其敎とする處、邪僻にして人倫明かならざる事多し、 神州と漢土とは東海に臨める地勢にして、
新字:問、孔子の廟を建給へる事記文に詳なれども、願くば初学のために其着実なる処を告られ給はんことを乞ふ、曰、唐虞三代の道は人倫を明にする道なれば、天下の達道ともいふ、即ち天地の大道なり、愚夫愚婦といへどもよく知てよく行ふべき道なれども、教なきときは是を知ることあたはずして、人も禽獣に近し、故に堯舜の五典を行ひ、親義別序信の教を知らしめられしより、人民始て禽獣にまぬかれし事を得たり、孔子に至りて群聖人の美を集めて大成し、堯舜を祖述してより、堯舜の教もいよ〱明かになりて、後世人倫の摸範も備り、即ち唐虞三代の道折衷於此とは是なり、孔子の教神州に行はれし事も、応神天皇の御宇論語の書はじめて伝はり、此後聖人の経書次第に行はるゝこと人々の知る処なり、道は天下の達道なれば、四海万国人倫のあらん限りは自然に行はるれども、戎狄は偏気の国なれば其教とする処、邪僻にして人倫明かならざる事多し、 神州と漢土とは東海に臨める地勢にして、
書き下し
問、孔子の廟を建給へる事記文に詳なれども、願くば初學のために其着實なる處を告られ給はんことを乞ふ、曰、唐虞三代の道は人倫を明にする道なれば、天下の達道ともいふ、即ち天地の大道なり、愚夫愚婦といへどもよく知てよく行ふべき道なれども、敎なきときは是を知ることあたはずして、人も禽獸に近し、故に堯舜の五典を行ひ、親義別序信の敎を知らしめられしより、人民始て禽獸にまぬかれし事を得たり、孔子に至りて群聖人の美を集めて大成し、堯舜を祖述してより、堯舜の敎もいよ〱明かになりて、後世人倫の摸範も備り、即ち唐虞三代の道此に折衷すとは是なり、孔子の敎神州に行はれし事も、應神天皇の御宇論語の書はじめて傳はり、此後聖人の經書次第に行はるゝこと人々の知る處なり、道は天下の達道なれば、四海萬國人倫のあらん限りは自然に行はるれども、戎狄は偏氣の國なれば其敎とする處、邪僻にして人倫明かならざる事多し、 神州と漢土とは東海に臨める地勢にして、
現代語訳
問い。孔子の廟を建てられたことは記文に詳しいですが、初学のために、その実際のところをお聞かせください。答え。唐虞三代の道は人倫を明らかにする道ですから、天下の達道ともいい、すなわち天地の大道です。愚夫愚婦であってもよく知り、よく行える道ですが、教えがなければこれを知ることができず、人も禽獣に近くなります。そのため堯・舜が五典を行い、親・義・別・序・信の教えを知らしめられてから、人民ははじめて禽獣を免れることができました。孔子に至って、多くの聖人の美を集めて大成し、堯・舜を祖述してから、堯・舜の教えもいよいよ明らかになり、後世に人倫の模範も備わりました。すなわち「唐虞三代の道、此に折衷す」とはこのことです。孔子の教えが神州に行われたことも、応神天皇の御代に論語の書がはじめて伝わり、その後聖人の経書が次第に行われたことは人々の知るところです。道は天下の達道ですから、四海万国に人倫のある限り自然に行われますが、戎狄は偏った気の国なので、その教えとするところは邪僻で、人倫が明らかでないことが多いのです。神州と漢土とは東海に臨む地勢で、
解説
この章句が説くこと
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『童子問』卷上問ふ、従来皆論語を以て、徒らに平易近情・意味親切と為して、未だ其の広大甚深にして、此の如く知り難きことを知らざるなり。冀はくは申ねて審喩を垂れよと。曰く、論語の書は、聖人大中至正の心を以て、大中至正の道を説く。故に唯だ大中至正の人のみ能く之を知る。子必ず難知難行・高遠にして及ぶべからざる者を以て至道と為して、易知易行・平正親切なる者の、却つて是れ万世不易・天下極至の理なることを知らず。蓋し難知難行・高遠にして及ぶべからざるの説は、乃ち異端邪説にして、易知易行・平正親切なる者は、便ち是れ堯舜の道にして、孔子立教の本原、論語の宗旨なり。昔在、孔子古今を旁観し、群聖を歴選して、特に堯舜を祖述し、文武を憲章し、尽く夫の難知難行・磅礴広大にして窺測すべからざるの説を黜けて、其の易知易行・万世不易の道を立て、以て生民の極と為し、之を門人に伝へ、之を後世に詔ぐ。
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『徂徠先生答問書』卷下しかるに後世の儒者見識低く器量小く、何事も我身一つに思ひ取候故、心法理窟の説盛に成行、今日の脩行を以て聖人にならんと求め候。聖人に成得候得ば天下国家はおのづから治まると思取より、事は替れ共仏老の意地に陥候。釈迦は乞食の境界にて、家もなく妻子もなく、まして国天下も持不申身故、其道専ら我身一つの事に候。是等の所聖人の道之大段の分れめにて候。帝嚳以前は徳を以て天下を治玉へり。堯舜に至りて始て道を建立し玉へる故、孔子も祖述堯舜、又書経も堯舜より始まる事、我道の元祖たる故也。堯舜も徳を以て天下を治め玉はんには、道の建立に及ばざる事也。聖賢なき世にても、此道伝はる時は、聖賢在世のごとく天下国家平治なすべき様を工夫まし〳〵て、建立し玉へる事にて、禹湯文武周公相継で脩補まし〳〵たる事也。是によりて孔子も学玉はざれば道は知り玉はず、宋儒は只徳を以て天下を治むる事計を会得して、道といふ物を不存是によりて孔子の好学との玉ひ、博く学び玉へる事、其解不明白、或は謙詞といひ、或は学者を勉むるの語抔まぎらかし被置候也。是己が意を以て聖人を量り、聖言の真実なるを不知也。

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