退食閑話 / 実事に施す儒学と修史
依て聖人の敎を尊崇し給へるも、修己治人の道を事業に施し、士民を敎導し給ふ條目に載られしに、五倫を以て本となし、史を脩給ひしには、神功皇后を妃に列し、天皇大友を本紀にたて、壽永建元の 天子を正統とし給へるの類は、天下後世の人臣をして、大義を誤らざらしむるには、人倫を明らかにするの實にして、筆端の空論にあらず、如此にして、國家の藩屏とならせられ、天下に大益あるは、是皆其實事にして、威公の御志を繼給ふ所なりしかば、神道をも學び、神宮寺本地佛などいへる陋習を除し、唯一の神道とし給ひ、吉田神祉をも再典ありて、日本武尊を慕せられし遺志を成就し、武備をば繕めらるゝにも、大義を明らかにし、名節を磨勵して、心膽を練り給ふ、一つとして威公の志を繼ぎ述給ふにあらざるはなし、かくのごとく卓見ましませしゆへ、國中を風化し給はんとて、其頃までもいまだ學校といふ事も世に希なりしに、學校を立て敎を施んと志し、舜水先生に就て闕里の聖廟の制度を問ひ、小形をも製し給ひ、
新字:依て聖人の教を尊崇し給へるも、修己治人の道を事業に施し、士民を教導し給ふ条目に載られしに、五倫を以て本となし、史を脩給ひしには、神功皇后を妃に列し、天皇大友を本紀にたて、寿永建元の 天子を正統とし給へるの類は、天下後世の人臣をして、大義を誤らざらしむるには、人倫を明らかにするの実にして、筆端の空論にあらず、如此にして、国家の藩屏とならせられ、天下に大益あるは、是皆其実事にして、威公の御志を継給ふ所なりしかば、神道をも学び、神宮寺本地仏などいへる陋習を除し、唯一の神道とし給ひ、吉田神祉をも再典ありて、日本武尊を慕せられし遺志を成就し、武備をば繕めらるゝにも、大義を明らかにし、名節を磨励して、心胆を練り給ふ、一つとして威公の志を継ぎ述給ふにあらざるはなし、かくのごとく卓見ましませしゆへ、国中を風化し給はんとて、其頃までもいまだ学校といふ事も世に希なりしに、学校を立て教を施んと志し、舜水先生に就て闕里の聖廟の制度を問ひ、小形をも製し給ひ、
書き下し
依て聖人の敎を尊崇し給へるも、修己治人の道を事業に施し、士民を敎導し給ふ條目に載られしに、五倫を以て本となし、史を脩給ひしには、神功皇后を妃に列し、天皇大友を本紀にたて、壽永建元の 天子を正統とし給へるの類は、天下後世の人臣をして、大義を誤らざらしむるには、人倫を明らかにするの實にして、筆端の空論にあらず、如此にして、國家の藩屏とならせられ、天下に大益あるは、是皆其實事にして、威公の御志を繼給ふ所なりしかば、神道をも學び、神宮寺本地佛などいへる陋習を除し、唯一の神道とし給ひ、吉田神祉をも再典ありて、日本武尊を慕せられし遺志を成就し、武備をば繕めらるゝにも、大義を明らかにし、名節を磨勵して、心膽を練り給ふ、一つとして威公の志を繼ぎ述給ふにあらざるはなし、かくのごとく卓見ましませしゆへ、國中を風化し給はんとて、其頃までもいまだ學校といふ事も世に希なりしに、學校を立て敎を施んと志し、舜水先生に就て闕里の聖廟の制度を問ひ、小形をも製し給ひ、
現代語訳
そのため聖人の教えを尊崇されたのも、己を修め人を治める道を事業に施し、士民を教導される条目に載せられたもので、五倫を本とされ、史を修められるにも、神功皇后を妃に列し、天皇大友を本紀に立て、寿永・建元の天子を正統とされたような類は、天下後世の臣下に大義を誤らせないためのものであり、人倫を明らかにする実であって、筆先だけの空論ではありません。このようにして国家の藩屏となられ、天下に大益のあるのは、みなその実際の事柄であり、威公の御志を継がれたところですので、神道をも学び、神宮寺・本地仏などという陋習を除き、唯一の神道とされ、吉田神社をも再興されて、日本武尊を慕われた遺志を成就し、武備を整えられるにも、大義を明らかにし、名節を磨き励まして、心胆を練られました。一つとして威公の志を継ぎ述べられないものはありません。このように卓見をお持ちでしたから、国中を風化しようとして、そのころまでまだ学校というものも世に稀であったのに、学校を立てて教えを施そうと志し、朱舜水先生について闕里の聖廟の制度を尋ね、小さな模型もお作りになり、
解説
この章句が説くこと
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『退食閑話』・吉田神社と実事の志然れば、日本武尊の功烈あるが如く、永世まで 天朝の藩屏として、夷狄を鎭撫し給んとの雄志を奮ひ給ひしより、發せられしやと、察し奉るなり、況や吉田神祉は、日本武尊を神と祭り、名神の大祉にして、大城に密邇す、遠く日本武尊の德を慕ひ給ひて、遺志を奉承し給んと追ひ思ひ給ひて、宗祉の鎭護とす、生民の大幸なるべし、されば、公の欽慕し給ふは實事において感じ給ふ所あらんか、是によりて神道を尊み、蠻夷の左道を排し、武威の衰へざるやうにし、兵備を繕めて戎狄を攘斥すべきの手當ともなれり、何れも實事に施し給ふの御志より發せらるゝ事どもなれば、學生書生の徒の、其氣象言語等のみを稱するが如きに非ざらんかと存じ奉るなり、
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『退食閑話』・結び・公の深意其人の好む所に任すべきなり、但其本とする所は神を敬し聖を崇び、神道は即ち聖道なり、聖道は即ち神道なりと心得て、大道の本意を失はず、文武の道を學びて熟練し、衆思を集め群力を宣べ、忠孝を盡して國恩に報ひ、神聖の靈も降臨ましますに至らん事を片時も忘るべからず、されども、人材を實事に用ゆべきよふに養ひ成さんは容易の事にあらず、我濟淺陋の學にして其任に堪ゆべきにあらず、且又、敎と治と並び行れて輕重なく、二つのものゝ本を執り、天下を卒ひ申さんは臣下の專にすべきにあらず、其治敎は御名を記させられしなり、是即ち義公の士臣を喩し給ひしにも、聖賢の道をば學びし者は、我も亦儒者なりとのたまひし遺意ならんかとおしはかり奉る、されば、記文の深意は、國君の自からさとし給ふ所なれば、結語にも斯の舘を設け其の治敎を統ぶる者は誰ぞとありて、我輩の口舌を以て論說せんは憚かるべき事なれども、默して答へざらむも職分を疏畧するに近ければ、聊か吾子が問に答ゆるなり、無稽の臆說も多からん、恐懼の念少からず、吾子また更に明識の人に就て正されんことを希がふなり、
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『退食閑話』・神聖を祭る深い意図大陽の出る方に向ひ、陽氣の生ずる處にして、正氣の國なれば、其敎も正しくして、前にも論ぜし如く天地の初より五倫の敎興れり、神州の古へは人民淳朴にして、自から 神明の大道に合ひたれども、質より文に赴くは天地の常なれば、名敎といふことありて、忠孝仁義等の名を立て敎るなり、されば、民多岐に迷ひ易し、故に漢土にて敎とする處の忠孝仁義等の樣に名あるに因りて、孔子の盛德を摸範として、人倫を明かにする、是人に取て善をするの義なれば、其の德を欽み、其の敎に資るとは即ち是なり、然れば、神聖の大道大に弘まり、今日に至るまで君父に事へ、臣子を養ひ、夫婦兄弟朋友も和睦して、禽獸に異なる事を得たりしは、偶然にあらざれば、學校を設けて孔子を祭り給ふも、其本を忘れず、且は其偶然ならざる故をしらしめんとの義なり、されば、神祉聖廟を瞻仰して、神聖の敎の本づく處をしり、人倫を明かにして、其學ぶ所を實行實事に施むと、神聖を祭りたまふの深意なるべし、
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『退食閑話』・孔子廟を建てる意味問、孔子の廟を建給へる事記文に詳なれども、願くば初學のために其着實なる處を告られ給はんことを乞ふ、曰、唐虞三代の道は人倫を明にする道なれば、天下の達道ともいふ、即ち天地の大道なり、愚夫愚婦といへどもよく知てよく行ふべき道なれども、敎なきときは是を知ることあたはずして、人も禽獸に近し、故に堯舜の五典を行ひ、親義別序信の敎を知らしめられしより、人民始て禽獸にまぬかれし事を得たり、孔子に至りて群聖人の美を集めて大成し、堯舜を祖述してより、堯舜の敎もいよ〱明かになりて、後世人倫の摸範も備り、即ち唐虞三代の道此に折衷すとは是なり、孔子の敎神州に行はれし事も、應神天皇の御宇論語の書はじめて傳はり、此後聖人の經書次第に行はるゝこと人々の知る處なり、道は天下の達道なれば、四海萬國人倫のあらん限りは自然に行はるれども、戎狄は偏氣の國なれば其敎とする處、邪僻にして人倫明かならざる事多し、 神州と漢土とは東海に臨める地勢にして、
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『退食閑話』・伯夷伝に感じた義公問、義公十八歲にして伯夷傳を讀給ひ感發せられ、是より學を好み脩史の御志も立て、讓國の義をも成し給ひし事は人々の知る所にして、是に依りて更に儒敎を學び、人倫を明にして名分を正し、國家の藩屏とならせられしは、 さもあるべき事にて候へども、威公は日本武尊を慕ひ給はせられ、義公は伯夷傳に感發せられ、孝は志を繼と申候へども、日本武尊と伯夷と氣類も同じからず存候へば、威公の御志とは異なる所あるにて候や、曰、日本武尊と伯夷とは同じからざるやうに候へども、其時にあたりて、其實事につれて感じ給ふは一徹なり、義公は御兄にこえて世子に立給へば、夷齊讓國の義に感ぜられしも、其實事によりて感發し給ひしなり、是によりて學を好み給ひしも、聖賢の道を學び得て實事に施し給はんがためなれば、此道を深く尊信し、明の義士舜水先生に師とし事へて弟子の禮を執り給ふ、脩史の事も、其本は大義を天下に明らかにして、天下後世まで人倫を明らかにせむとの大志より發し給ふ、いづれも儒生などの紙上に空論せる如きの類にはあらず、
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『退食閑話』・学校の源流と東照宮其後 幕府にて昌平坂の大成殿を營造ありしには、この小形を指出されて其制に摸擬し、天下の學士瞻仰する處とはなりしなり、學校の事は古へ京師に大學校あり、國々には國學あり、官人の子弟を敎育せられしかども、季亂の世に廢して行はれず、 東照宮禍亂を平げ給ひし時に至りて、藤惺窩、林道春、等を召されて經旨を訪咨せられ、自から一貫中和經權等の義を論じ給ひ、續日本紀等の遺書を求て校定せしめ、銅板の活字板を製して、群書治要等の書を刊行せしめられし類を以て、 東照宮の學を好み給ふ事も推て知るべし、又林氏の忍岡の別莊に學問所を立たりしを、後に其所を移して規制を廣めらる、即今の昌平坂の學校なり、是等の事も其本は皆 東照宮學を好み給ひしより淵源したるなれば、 台德公及び尾張敬公の儒術を尊び給ひ、又紀伊南龍公と我威公は神道を尊信し給ひ、義公に至り儒術を尊び聖人の敎を崇奉し給へるが如く、今日に至るまで臣子の身としては斯道を推弘め、東照宮及び威義二公の先德をば發揚して、今此學校を設け給へる深意に遵奉せざるべけむや、

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