退食閑話 / 神代に見る君臣の義
問、上古神聖天下の基を帥創し給へるの時等の事を記したるは、古事記、日本紀、古語拾遺などなれども、何れの書にも人倫の道などと說給へることは見へ侍らず、記文に生民不可須臾離者也と記し給へるは、人倫の道を指し給へるなるべく、然るに、神聖の極を立給ふは、斯道に由られたるよし、載給ふ事は、何れの義にて候ぞや、曰、神代の事實、後輩晚學の某、猥に喙を容れ候はむは、尤も恐れ憚るべき事なれども、聊所見を述て、只今吾子の問に答へ、且大方君子の是正を乞申べし、上古淳朴の世には、神聖の彝訓を垂れ給へるも、言語を以てせずして、行事に因りて其義を示し、敎を其中に寓して、萬民の法則となし給ふなり、人の五倫は、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五品にて、是を五典とも申なり、第一君臣の義と申は、天照大神高天原にまし〱て、皇孫天津彦瓊瓊杵尊に天位を傳へられしとき、八坂瓊曲玉、八咫鏡、艸薙劍、三種の神器を授給ひて、葦原千五百秋之瑞穗國は、是吾子孫可王之地也と宣ひしより、此神器を以て永く天位の信となし給ひ、
新字:問、上古神聖天下の基を帥創し給へるの時等の事を記したるは、古事記、日本紀、古語拾遺などなれども、何れの書にも人倫の道などと説給へることは見へ侍らず、記文に生民不可須臾離者也と記し給へるは、人倫の道を指し給へるなるべく、然るに、神聖の極を立給ふは、斯道に由られたるよし、載給ふ事は、何れの義にて候ぞや、曰、神代の事実、後輩晩学の某、猥に喙を容れ候はむは、尤も恐れ憚るべき事なれども、聊所見を述て、只今吾子の問に答へ、且大方君子の是正を乞申べし、上古淳朴の世には、神聖の彝訓を垂れ給へるも、言語を以てせずして、行事に因りて其義を示し、教を其中に寓して、万民の法則となし給ふなり、人の五倫は、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五品にて、是を五典とも申なり、第一君臣の義と申は、天照大神高天原にまし〱て、皇孫天津彦瓊瓊杵尊に天位を伝へられしとき、八坂瓊曲玉、八咫鏡、艸薙剣、三種の神器を授給ひて、葦原千五百秋之瑞穂国は、是吾子孫可王之地也と宣ひしより、此神器を以て永く天位の信となし給ひ、
書き下し
問、上古神聖天下の基を帥創し給へるの時等の事を記したるは、古事記、日本紀、古語拾遺などなれども、何れの書にも人倫の道などと說給へることは見へ侍らず、記文に生民、須臾も離るべからざる者なりと記し給へるは、人倫の道を指し給へるなるべく、然るに、神聖の極を立給ふは、斯道に由られたるよし、載給ふ事は、何れの義にて候ぞや、曰、神代の事實、後輩晚學の某、猥に喙を容れ候はむは、尤も恐れ憚るべき事なれども、聊所見を述て、只今吾子の問に答へ、且大方君子の是正を乞申べし、上古淳朴の世には、神聖の彝訓を垂れ給へるも、言語を以てせずして、行事に因りて其義を示し、敎を其中に寓して、萬民の法則となし給ふなり、人の五倫は、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五品にて、是を五典とも申なり、第一君臣の義と申は、天照大神高天原にまし〱て、皇孫天津彦瓊瓊杵尊に天位を傳へられしとき、八坂瓊曲玉、八咫鏡、艸薙劍、三種の神器を授給ひて、葦原千五百秋之瑞穗國は、是れ吾が子孫の王たるべきの地なりと宣ひしより、此神器を以て永く天位の信となし給ひ、
現代語訳
問い。上古に神聖が天下の基を始め開かれたときのことを記したものは古事記、日本紀、古語拾遺などですが、どの書にも人倫の道などとは説いてありません。記文に「生民、須臾も離るべからざる者なり」とあるのは人倫の道を指すのでしょうが、神聖が極(最高の基準)を立てられたのがこの道によったと載せておられるのは、どういうことですか。答え。神代の事実について、後輩で晩学の私がみだりに口を出すのは、まことに恐れ憚るべきことですが、いささか見るところを述べ、いまのあなたの問いに答え、また大方の君子の訂正を乞います。上古の素朴な世では、神聖が不変の教えを垂れられるのも、言葉によらず、行いによってその意味を示し、教えをその中に込めて、万民の法則となさったのです。人の五倫は、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五つで、これを五典ともいいます。第一の君臣の義というのは、天照大神が高天原におられて、皇孫の天津彦瓊瓊杵尊に天位を伝えられたとき、八坂瓊曲玉、八咫鏡、草薙剣の三種の神器を授けられ、「葦原千五百秋の瑞穂の国は、これわが子孫の王たるべき地なり」と仰せられたことに始まります。以来、この神器を永く天位の証とされ、
解説
この章句が説くこと
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『退食閑話』・五倫と国恩素盞烏尊、を生給ひし時、天照太神は高天原を治すべし、月夜見尊は夜の食國を治すべし、素盞烏尊は滄海原を治すべしと任じ給ひしは、兄弟の序なり、思兼手力雄、兒屋、太玉、建雷、猿田彦等の諸神、心を同して天神を輔翼し奉り、友を以て仁を輔けしは、朋友の信を申なり、かくのごとく五倫の敎は天地の始より立て、今日に至るまで、人たるもの君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友の道を離れて世に居る事あたはず、されば今も仰ぎ奉る至尊は、天照太神と同體にまし〱、 大將軍は數百年の亂を平げ萬民を安んじ給ひて、 東照宮の御嗣にて、天朝の政を天下に布て、民をして兵革盜賊等の憂をまぬかれしめ給ふ邦君は 天朝の藩屏、 大將軍の分職にて、各其國を治め給ふ、今此海內に生れて臣民の數に備らんもの、誰か 天子と大將軍と邦君との恩澤を蒙らざるものあらんや、されば、人各五倫の道を盡して、國恩の萬一をも報じ奉るべしと志ん事、誰か其道を離れ得べきや、記文に神聖の斯道に由れしと載給へるは、かゝる意味にも侍らむやと存じ奉るなり、
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