退食閑話 / 学校の源流と東照宮
其後 幕府にて昌平坂の大成殿を營造ありしには、この小形を指出されて其制に摸擬し、天下の學士瞻仰する處とはなりしなり、學校の事は古へ京師に大學校あり、國々には國學あり、官人の子弟を敎育せられしかども、季亂の世に廢して行はれず、 東照宮禍亂を平げ給ひし時に至りて、藤惺窩、林道春、等を召されて經旨を訪咨せられ、自から一貫中和經權等の義を論じ給ひ、續日本紀等の遺書を求て校定せしめ、銅板の活字板を製して、群書治要等の書を刊行せしめられし類を以て、 東照宮の學を好み給ふ事も推て知るべし、又林氏の忍岡の別莊に學問所を立たりしを、後に其所を移して規制を廣めらる、即今の昌平坂の學校なり、是等の事も其本は皆 東照宮學を好み給ひしより淵源したるなれば、 台德公及び尾張敬公の儒術を尊び給ひ、又紀伊南龍公と我威公は神道を尊信し給ひ、義公に至り儒術を尊び聖人の敎を崇奉し給へるが如く、今日に至るまで臣子の身としては斯道を推弘め、東照宮及び威義二公の先德をば發揚して、今此學校を設け給へる深意に遵奉せざるべけむや、
新字:其後 幕府にて昌平坂の大成殿を営造ありしには、この小形を指出されて其制に摸擬し、天下の学士瞻仰する処とはなりしなり、学校の事は古へ京師に大学校あり、国々には国学あり、官人の子弟を教育せられしかども、季乱の世に廃して行はれず、 東照宮禍乱を平げ給ひし時に至りて、藤惺窩、林道春、等を召されて経旨を訪咨せられ、自から一貫中和経権等の義を論じ給ひ、続日本紀等の遺書を求て校定せしめ、銅板の活字板を製して、群書治要等の書を刊行せしめられし類を以て、 東照宮の学を好み給ふ事も推て知るべし、又林氏の忍岡の別荘に学問所を立たりしを、後に其所を移して規制を広めらる、即今の昌平坂の学校なり、是等の事も其本は皆 東照宮学を好み給ひしより淵源したるなれば、 台徳公及び尾張敬公の儒術を尊び給ひ、又紀伊南竜公と我威公は神道を尊信し給ひ、義公に至り儒術を尊び聖人の教を崇奉し給へるが如く、今日に至るまで臣子の身としては斯道を推弘め、東照宮及び威義二公の先徳をば発揚して、今此学校を設け給へる深意に遵奉せざるべけむや、
書き下し
其後 幕府にて昌平坂の大成殿を營造ありしには、この小形を指出されて其制に摸擬し、天下の學士瞻仰する處とはなりしなり、學校の事は古へ京師に大學校あり、國々には國學あり、官人の子弟を敎育せられしかども、季亂の世に廢して行はれず、 東照宮禍亂を平げ給ひし時に至りて、藤惺窩、林道春、等を召されて經旨を訪咨せられ、自から一貫中和經權等の義を論じ給ひ、續日本紀等の遺書を求て校定せしめ、銅板の活字板を製して、群書治要等の書を刊行せしめられし類を以て、 東照宮の學を好み給ふ事も推て知るべし、又林氏の忍岡の別莊に學問所を立たりしを、後に其所を移して規制を廣めらる、即今の昌平坂の學校なり、是等の事も其本は皆 東照宮學を好み給ひしより淵源したるなれば、 台德公及び尾張敬公の儒術を尊び給ひ、又紀伊南龍公と我威公は神道を尊信し給ひ、義公に至り儒術を尊び聖人の敎を崇奉し給へるが如く、今日に至るまで臣子の身としては斯道を推弘め、東照宮及び威義二公の先德をば發揚して、今此學校を設け給へる深意に遵奉せざるべけむや、
現代語訳
その後、幕府で昌平坂の大成殿を造営されたときには、この模型を差し出されてその制度に倣わせ、天下の学者が仰ぎ見るところとなりました。学校については、古は京都に大学校があり、諸国には国学があって、官人の子弟を教育されましたが、季世の乱で廃れて行われなくなりました。東照宮が禍乱を平らげられたときに至って、藤原惺窩・林道春らを召して経書の趣旨を訪ね、自ら一貫・中和・経権などの義を論じられ、続日本紀などの遺書を求めて校訂させ、銅板の活字板を作って、群書治要などの書を刊行させられたことなどから、東照宮が学を好まれたことも推して知るべきです。また林氏が忍岡の別荘に学問所を立てていたのを、後にその所を移して規模を広められました。すなわち今の昌平坂の学校です。これらのことも、その本はみな東照宮が学を好まれたことに淵源していますので、台徳公および尾張敬公が儒術を尊び、また紀伊南龍公と我が威公が神道を尊信され、義公に至って儒術を尊び聖人の教えを崇奉されたように、今日に至るまで臣下の身としてはこの道を推し広め、東照宮および威・義二公の先徳を発揚して、いまこの学校を設けられた深い意図に従い奉らずにいられましょうか。
解説
この章句が説くこと
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『退食閑話』・実事に施す儒学と修史依て聖人の敎を尊崇し給へるも、修己治人の道を事業に施し、士民を敎導し給ふ條目に載られしに、五倫を以て本となし、史を脩給ひしには、神功皇后を妃に列し、天皇大友を本紀にたて、壽永建元の 天子を正統とし給へるの類は、天下後世の人臣をして、大義を誤らざらしむるには、人倫を明らかにするの實にして、筆端の空論にあらず、如此にして、國家の藩屏とならせられ、天下に大益あるは、是皆其實事にして、威公の御志を繼給ふ所なりしかば、神道をも學び、神宮寺本地佛などいへる陋習を除し、唯一の神道とし給ひ、吉田神祉をも再典ありて、日本武尊を慕せられし遺志を成就し、武備をば繕めらるゝにも、大義を明らかにし、名節を磨勵して、心膽を練り給ふ、一つとして威公の志を繼ぎ述給ふにあらざるはなし、かくのごとく卓見ましませしゆへ、國中を風化し給はんとて、其頃までもいまだ學校といふ事も世に希なりしに、學校を立て敎を施んと志し、舜水先生に就て闕里の聖廟の制度を問ひ、小形をも製し給ひ、
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言志四録・言志晩録 別存 第六条 昌平黌を興す公寛政の初載に当り、特に命じて林氏を出で嗣がしむ。固辞すれども命を得ず。乃ち幡然として仕に就く。此に至りて首めて建言し、新たに国学を創め、旗下の諸士及び其の子弟をして学に就かしむ。因りて昌平阪の私学、并びに蔵する所の聖像四配、及び祭器諸品、蔵書数十百種を納れて、以て官用に充てんことを請ふ。官嘉納す。是に於て、命じて大成殿及び学堂諸寮を改造し、公をして主管せしむ。公乃ち学中の規則を創制し、業を試み挙に科し、森として法度有り。今に於て盛んと為るは、皆公の功なり。
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『弘道館記述義』・館の設け・義公が学校を設けなかった理由此れ則ち館の設けらるる所以なり。臣彪謹んで案ずるに、慶元櫜を建て文運日に開け、列国の諸侯、学校を城邑に設け、子弟を教育する者、枚挙に遑あらず。我が水藩、前に威・義二公有りて其の基を建て、後に文・武二公有りて其の緒を修む。而るに学校の設け独り聞くこと無き者は、亦以有るなり。昔者朱之瑜、明国より来るや、義公聘して師と為す。嘗て臣僚をして就きて釈奠等の儀節を習はしむ。又梓人に命じて其の口授を受け、闕里の制を摸せしむ。凡そ殿堂廊廡より以て門牆器物に至るまで、皆約して其の様を刻む。(享和中、文恭公大いに昌平坂の聖舎を修む。而して大成殿の制は、専ら我が藩の蔵する所の木様に依ると云ふ。)当時公、大いに国学を起こすの志有りて果たさず。蓋し其の意に謂へらく、道は人の当に学ぶべき所にして、世或いは視て儒者の私業と為す。我の儒員を廃するは、人人をして儒たらしめんと欲すればなり。国学の設け、其の規制を大にし、之を政に合せんと欲すれば、則ち朝夕の辦ずる所に非ず。若し然らずんば則ち人遂に一精舎を以て目さん。教へに益無く治に害有り。家ごとに誦し戸ごとに読ましむるの愈れりと為すに如かず。此れ其の志有りて果たさざる所以なり。学問の道は、尋常有司の忌む所。財用の出□□胥吏の所不欲。乃ち諉りて曰く、義公の文を尚ぶを以てすら猶ほ学を設けず、後嗣何ぞ敢へて之に違はんやと。況んや今各国既に先鞭を着く、而して我之に倣ふは、亦晩からずや。此れ後世の学を設けざる所以なり。然らば則ち義公の学を設けざるは道の或いは廃せんことを恐るればなり、後世の学を設けざるは道の或いは興らんことを恐るればなり。抑も義公は意を修史に鋭くす。故に当時文学の士、
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『論語と算盤』人格と修養・東照公の修養これらの批評はこれだけで止めますが、とにかくこの御遺訓が論語より出たということは、諸君にも明瞭にお解りでありましょう。そのほかにもこの道徳についてはよほどお心を用いられたものと見える。元亀天正の頃はあの通り乱世が打ち続いて、世の中に文学趣味などはほとんど無くなり、仁義道徳の何者か分からぬという時に、誰が申し上げたともなく、とく既に文学を盛んにしなければならぬということについて御心を労され、しかもそれが根本的文学であって、切に仁義道徳を重んずる主義をもって全然朱子学を用いられたように思います。爾来追々と経学にも各派が生じて参りましたが、林家では徹頭徹尾朱子学を主としている。東照公のこれらの御用意はいかなる御手際であるか、私は敬服に余りありというほかない。
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