言志四録 / 言志晩録 別存 第六条 昌平黌を興す
公當寛政初載。特命出嗣林氏。固辭不得命。乃幡然就仕。至此首建言。新創國學。令旗下諸士及其子弟就學。因請納昌平阪私學。并所藏聖像四配。及祭器諸品。藏書數十百種。以充官用。官嘉納。於是。命改造大成殿。及學堂諸寮。令公主管。公乃創制學中規則。試業科擧。森有法度。於今爲盛。皆公之功也。
新字:公当寛政初載。特命出嗣林氏。固辞不得命。乃幡然就仕。至此首建言。新創国学。令旗下諸士及其子弟就学。因請納昌平阪私学。并所蔵聖像四配。及祭器諸品。蔵書数十百種。以充官用。官嘉納。於是。命改造大成殿。及学堂諸寮。令公主管。公乃創制学中規則。試業科挙。森有法度。於今為盛。皆公之功也。
書き下し
公寛政の初載に当り、特に命じて林氏を出で嗣がしむ。固辞すれども命を得ず。乃ち幡然として仕に就く。此に至りて首めて建言し、新たに国学を創め、旗下の諸士及び其の子弟をして学に就かしむ。因りて昌平阪の私学、并びに蔵する所の聖像四配、及び祭器諸品、蔵書数十百種を納れて、以て官用に充てんことを請ふ。官嘉納す。是に於て、命じて大成殿及び学堂諸寮を改造し、公をして主管せしむ。公乃ち学中の規則を創制し、業を試み挙に科し、森として法度有り。今に於て盛んと為るは、皆公の功なり。
現代語訳
公(林述斎)は寛政の初めのころ、特に(幕府の)命によって林家を継ぐことになった。固く辞退したが許されず、そこで決然と心を改めて仕官した。そして真っ先に建言して、新たに幕府の学校(国学)を創設し、旗本の武士とその子弟を入学させるようにした。そのために、昌平坂にあった林家の私塾と、所蔵する孔子像と四配(顔子・曾子・子思・孟子)の像、祭器の品々、蔵書数十百種を献納して、幕府の公用に充てることを願い出た。幕府はこれを喜んで受け入れた。そこで大成殿と学舎・寮の数々を改築させ、公にその管理を任せた。公は学内の規則を制定し、学業の試験や選抜の制度を設け、整然と法度が備わった。今日(学問所が)盛んであるのは、すべて公の功績である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 張耳陳余列伝貫高独り怒り罵りて曰く、「誰か公をして之を為さしめし。今王実に謀無くして、并せて王を捕ふ。公等皆死せば、誰か王の反せざるを白さん」と。乃ち轞車に膠致せられ、王と長安に詣る。張敖の罪を治む。上乃ち趙の群臣賓客に詔すらく、敢て王に従ふ有らば皆族せんと。貫高と客孟舒等十余人と、皆自ら髡鉗し、王の家奴と為りて従ひ来たる。貫高至り、獄に対へて曰く、「独り吾が属之を為す。王実に知らず」と。吏治めて榜笞すること数千、刺剟して、身に撃つべき者無きも、終に復た言はず。呂后数々言ふ、張王は魯元公主の故を以て、宜しく此れ有るべからずと。上怒りて曰く、「張敖をして天下に拠らしめば、豈に而が女を少しとせんや」と。聴かず。廷尉貫高の事の辞を以て聞す。上曰く、「壮士なり。誰か知る者ぞ。私を以て之に問へ」と。中大夫泄公曰く、「臣の邑子にして、素より之を知る。此れ固より趙国の名義を立てて侵されず、然諾を為す者なり」と。上泄公をして節を持して之に箯輿の前に問はしむ。仰ぎ視て曰く、「泄公か」と。泄公労苦すること生平の驩の如く、与に語り、張王果して計謀有りや不やを問ふ。高曰く、「人情寧ぞ各々其の父母妻子を愛せざらんや。今吾が三族皆以て死に論ぜらる。豈に王を以て吾が親に易へんや。顧ふに王実に反せず、独り吾等之を為せり」と。具に本指の為す所以と王の知らざる状とを道ふ。是に於て泄公入り、具に以て報ず。上乃ち趙王を赦す。上貫高の人と為り能く然諾を立つるを賢とし、泄公をして具に之に告げしめて曰く、「張王已に出でたり」と。因りて貫高を赦す。貫高喜びて曰く、「吾が王審らかに出でたるか」と。泄公曰く、「然り」と。泄公曰く、「上足下を多とす。故に足下を赦す」と。貫高曰く、「死せずして一身に余無き所以の者は、張王の反せざるを白さんとすればなり。今王已に出づ。吾が責已に塞がる。死すとも恨みず。且つ人臣として篡殺の名有り、何の面目ありて復た上に事へんや。縦ひ上我を殺さずとも、我心に愧ぢざらんや」と。乃ち仰ぎて骯を絶ち、
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論語・衛霊公篇子曰わく、君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む。
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論語・季氏篇孔子曰く、禄の公室を去ること、五世なり。政の大夫に逮ぶこと、四世なり。故に夫の三桓の子孫、微なり。
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論語・憲問篇子曰く、「我を知ること莫きかな。」子貢曰く、「何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。」子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か。」
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史記 李将軍列伝広大将軍に謝せずして起ちて行き、意甚だ慍怒して部に就き、兵を引きて右将軍食其と軍を合はせて東道より出づ。軍に導亡く、或いは道を失ひ、大将軍に後る。大将軍単于と接戦し、単于遁走し、得る能はずして還る。南のかた幕を絶りて、前将軍・右将軍に遇ふ。広已に大将軍に見え、還りて軍に入る。大将軍長史をして糒醪を持ちて広に遺らしめ、因りて広・食其の道を失ひし状を問ふ。青書を上りて天子に軍の曲折を報ぜんと欲す。広未だ対へず。大将軍長史をして急に広を責めて幕府に之きて簿に対へしむ。広曰く、「諸校尉は罪無し。乃ち我自ら道を失へり。吾今自ら簿に上らん」と。莫府に至り、広其の麾下に謂ひて曰く、「広結髪より匈奴と大小七十余戦す。今幸ひに大将軍に従ひて出でて単于の兵に接す。而るに大将軍又広の部を徙して行くこと回遠にし、而して又迷ひて道を失ふ。豈に天に非ずや。且つ広は年六十余なり。終に復た刀筆の吏に対する能はず」と。遂に刀を引きて自剄す。広の軍の士大夫一軍皆哭す。百姓之を聞き、知ると知らざると、老壮と無く皆為に涕を垂る。
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