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退食閑話 / 治と教を備える

人其實をしることを得ず、堯舜孔子の立給へる名によりて、 神州の本よりある處の自然の實を知る事を得る、即贊皇猷なり、さて治敎と申ことは、治は國家を治るの法度政令なり、敎は禮樂敎化なり、法度制令ありて禮樂敎化なければ、手足の働ありて心性の本なきがごとく、禮樂敎化ありて法度制令なければ、心性の本ありて手足の働なきがごとし、治と敎と備らざれば治も苟且の治なり、敎も死物となりて用をなさず、 神州の治敎は其本立て是を働らかしむる道具なし、西土の治敎は其本を論ずるときは君臣の義なきがごとき、 神州にしかざる所なれども、其道具の備れる故に是を資として 皇猷を贊けんには、斯道愈大に愈明なるべき理にして、是を文質彬彬とは申べきなり、

新字:人其実をしることを得ず、堯舜孔子の立給へる名によりて、 神州の本よりある処の自然の実を知る事を得る、即賛皇猷なり、さて治教と申ことは、治は国家を治るの法度政令なり、教は礼楽教化なり、法度制令ありて礼楽教化なければ、手足の働ありて心性の本なきがごとく、礼楽教化ありて法度制令なければ、心性の本ありて手足の働なきがごとし、治と教と備らざれば治も苟且の治なり、教も死物となりて用をなさず、 神州の治教は其本立て是を働らかしむる道具なし、西土の治教は其本を論ずるときは君臣の義なきがごとき、 神州にしかざる所なれども、其道具の備れる故に是を資として 皇猷を賛けんには、斯道愈大に愈明なるべき理にして、是を文質彬彬とは申べきなり、

書き下し

人其實をしることを得ず、堯舜孔子の立給へる名によりて、 神州の本よりある處の自然の實を知る事を得る、即ち皇猷を贊くなり、さて治敎と申ことは、治は國家を治るの法度政令なり、敎は禮樂敎化なり、法度制令ありて禮樂敎化なければ、手足の働ありて心性の本なきがごとく、禮樂敎化ありて法度制令なければ、心性の本ありて手足の働なきがごとし、治と敎と備らざれば治も苟且の治なり、敎も死物となりて用をなさず、 神州の治敎は其本立て是を働らかしむる道具なし、西土の治敎は其本を論ずるときは君臣の義なきがごとき、 神州にしかざる所なれども、其道具の備れる故に是を資として 皇猷を贊けんには、斯道愈大に愈明なるべき理にして、是を文質彬彬とは申べきなり、

現代語訳

人はその実を知ることができません。堯・舜・孔子が立てられた名によって、神州にもとからある自然の実を知ることができます。それがすなわち「皇猷を賛く」ということです。さて「治教」というのは、治は国家を治める法度・政令であり、教は礼楽・教化です。法度・政令があって礼楽・教化がなければ、手足の働きがあって心性の根本がないようなものです。礼楽・教化があって法度・政令がなければ、心性の根本があって手足の働きがないようなものです。治と教が備わらなければ、治も一時しのぎの治となり、教も死んだものとなって役に立ちません。神州の治教は、その根本は立っていますが、それを働かせる道具がありません。西土の治教は、根本を論じれば君臣の義がないような点で神州に及びませんが、道具が備わっています。そのため、これを資として皇猷を助けるならば、この道はますます大きく明らかになるはずで、これを文質彬彬というのです。

解説

「治教」を、治(法度・政令)と教(礼楽・教化)に分け、両方が揃って初めて機能すると述べる箇所です。法だけでは手足だけで心がなく、教えだけでは心だけで手足がない、というたとえが印象的です。日本には根本があっても名や道具が足りず、中国の治教がそれを補うという主張です。現代の組織でも、ルールと制度だけでは形骸化し、理念と教育だけでは動きません。上に立つ者は、制度設計と人づくりを両輪として同時に進め、どちらかに偏っていないかを点検したいものです。

この章句が説くこと

治教礼楽法度政令教化堯舜孔子制度と人づくり

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