退食閑話 / 近世の学の偏り
物徂徠の徒のごとく、唐土をば中華中國などゝ稱し、自分は日本東夷など稱する類あり、是 神州の臣民敢ていふべき所にあらず、新井氏など關東を王と稱せしより、 天朝を宿公の如く申奉んも、西土の名號になづみて、 東照宮の 皇朝を尊崇し給へる深意にたがふなり、物新二氏いづれも豪傑の士にして、其あらはせる所の書も世に益あるもの多しといへども、舍此從彼の病は遁るべからず、又皇國學と稱して、 神州の尊き事を稱揚し奉るは、卓識ともいふべき處ありて、大に人心世道のために益となるべき事も少からず、舍此從彼にはあらずして、其功の大なる事もあれど、多くは治敎の大體を知らずして、神聖經綸の道に闇く、人倫の天敍を外にして、私を以て一種の說を設け、人道を牛馬に同じく、老莊墨翟などの意に近き自己の偏見を執りて、堯舜をも譏議し、大人に狎れ、聖人の言を侮りて、天朝にても資として 皇猷を贊け給ひし深遠の意を容ざる事あるに至ては、又舍此從彼の徒に近かるべし、又文墨の藝の如きも、道を尊び敎を施す筋ともなるべき事なれども、
新字:物徂徠の徒のごとく、唐土をば中華中国などゝ称し、自分は日本東夷など称する類あり、是 神州の臣民敢ていふべき所にあらず、新井氏など関東を王と称せしより、 天朝を宿公の如く申奉んも、西土の名号になづみて、 東照宮の 皇朝を尊崇し給へる深意にたがふなり、物新二氏いづれも豪傑の士にして、其あらはせる所の書も世に益あるもの多しといへども、舎此従彼の病は遁るべからず、又皇国学と称して、 神州の尊き事を称揚し奉るは、卓識ともいふべき処ありて、大に人心世道のために益となるべき事も少からず、舎此従彼にはあらずして、其功の大なる事もあれど、多くは治教の大体を知らずして、神聖経綸の道に闇く、人倫の天叙を外にして、私を以て一種の説を設け、人道を牛馬に同じく、老荘墨翟などの意に近き自己の偏見を執りて、堯舜をも譏議し、大人に狎れ、聖人の言を侮りて、天朝にても資として 皇猷を賛け給ひし深遠の意を容ざる事あるに至ては、又舎此従彼の徒に近かるべし、又文墨の芸の如きも、道を尊び教を施す筋ともなるべき事なれども、
書き下し
物徂徠の徒のごとく、唐土をば中華中國などゝ稱し、自分は日本東夷など稱する類あり、是 神州の臣民敢ていふべき所にあらず、新井氏など關東を王と稱せしより、 天朝を宿公の如く申奉んも、西土の名號になづみて、 東照宮の 皇朝を尊崇し給へる深意にたがふなり、物新二氏いづれも豪傑の士にして、其あらはせる所の書も世に益あるもの多しといへども、此を舍てて彼に從ふの病は遁るべからず、又皇國學と稱して、 神州の尊き事を稱揚し奉るは、卓識ともいふべき處ありて、大に人心世道のために益となるべき事も少からず、此を舍てて彼に從ふにはあらずして、其功の大なる事もあれど、多くは治敎の大體を知らずして、神聖經綸の道に闇く、人倫の天敍を外にして、私を以て一種の說を設け、人道を牛馬に同じく、老莊墨翟などの意に近き自己の偏見を執りて、堯舜をも譏議し、大人に狎れ、聖人の言を侮りて、天朝にても資として 皇猷を贊け給ひし深遠の意を容ざる事あるに至ては、又此を舍てて彼に從ふの徒に近かるべし、又文墨の藝の如きも、道を尊び敎を施す筋ともなるべき事なれども、
現代語訳
荻生徂徠の徒のように、唐土を中華・中国と称し、自分は日本・東夷などと称する類があります。これは神州の臣民が言うべきことではありません。新井氏が関東を王と称したことから、天朝を宿公のように申し上げることも、西土の名号にこだわって、東照宮が皇朝を尊崇された深い意図に背くものです。物(荻生)・新井の二氏はいずれも豪傑の士で、著した書も世に益あるものが多いとはいえ、此を捨てて彼に従うという病は免れません。また皇国学と称して神州の尊さを称揚するのは、卓見というべきところがあり、人心世道のために大いに益となることも少なくなく、此を捨てて彼に従うものではなく、その功が大きいこともありますが、多くは治教の大体を知らず、神聖が経綸した道に暗く、人倫の天の秩序を外にして、私をもって一種の説を設け、人の道を牛馬と同じにし、老荘・墨翟などに近い自己の偏見に固執し、堯舜をも批判し、大人に馴れ、聖人の言を侮って、天朝でも資として皇猷を助けられた深遠な意図を容れないことがあるに至っては、これも此を捨てて彼に従う徒に近いでしょう。また文墨の芸も、道を尊び教えを施す手立てともなるべきことですが、
解説
この章句が説くこと
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『及門遺範』・諸学の長短を見て短を捨てる一、先生文学に於いて、古今を網羅し、衆説を会華し、之を聖経に断ず。謂ふ、漢儒博士の学は、訓詁を先にして実用を疎んじ、甚だしきは讖緯の言に流れ、大いに聖人の道を害す。宋儒は陋習を一洗し、躬行心術を説く、其の見卓なり。然れども自信太だ過ぎ、前賢を蔑視し、以て二千年絶学を継ぐと為す。後学の弊に至りては、則ち或いは濂洛有るを知りて、洙泗有るを知らず。明人の言に、敢へて周公孔子を非るも、敢へて宋人を非らず、と。亦た誣に非ざる者有り。而して自ら藩籬を設け、門戸を立て、己に異なる者を見れば、則ち排擯して異学と為し、汎く愛し衆を容るる能はず。陳同甫は英邁の才を以て大義を倡へ、其の王覇の弁は、一得無きに非ず。然れども豪気過甚にして、其の言も亦た醇ならざる者有り。王伯安は一代の人豪にして、其の物に就きて理を窮むるを支離と謂ふは、亦た一理有るが如し。然れども自ら聡明を恃み、禅機に浸淫して、則ち聖人の旨を失ふ。明清考証の学は、経を解すること精密なり。然れども或いは砕細に務めて大義を遺し、一失無きに非ず。熊沢氏は才識絶倫なれども、偏に王学を信ずるは、則ち未だ得たりと為さず。山崎氏は節義を磨礪して風教に益有り、然れども狭隘にして僻説多し。伊藤氏は論語を以て宇宙第一の書と為し、□充の義を説くは、卓見と謂ふべし。然れども道を見ること平易に過ぎ、亦た一偏に流る。荻生氏は雄才卓識、古今を圧倒す。然れども英雄人を欺き、経を説くこと牽強多く、道を以て先王の造作する所と為し、君臣の名、華夷の分を知らず。新井氏は聡明絶倫、経綸の才なり。然れども君臣名分に至りては、則ち大いに其の義を失す。此れ皆長有り短有り、短を舎て長を取り、聖経を以て根拠とせば、庶幾くは其れ倍かざらん。安謂へらく、義公嘗て曰く、先賢各々見る所有り、広く蒐め博く採り、之を用ひて偏せざれば則ち善し。偏見を執り、一隅に拘泥するは、儒中の異端なり、と。先生は蓋し公の遺意を奉ずるなり。
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