弘道館記述義 / 集衆思・治と教を一つにする弘道館の設計
臣彪謹案。治之與敎其致維一。亦猶忠孝文武之不可偏廢也。逸書曰。天降下民作之君作之師。易之爲書。繼乾坤以屯蒙。屯利建侯君道起焉。蒙以養正師道立焉。周官冢宰掌邦治。而司徒掌邦敎。其他聖經賢傳之旨。未嘗不重治敎焉。夫民之爲道。佚居無敎則近禽獸。故聖人之於民。謹庠序之敎。申之以孝弟之義。其服敎也。三物賓興之賞從之。其不服敎也。圜土苦使之法。不弟之刑又從之。蓋其被刑辟者。必不可敎之民耳。民之秉彝好是懿德。則所謂刑措不用者。果非誣美也。後世之於民。不謹其敎。不申其義。及陷於罪。從而刑之。所謂罔民者皆是。而亦何怪乎其免而無恥焉。其曰國學曰鄕校。亦唯委諸先生祭酒。時君宰執未必臨之。政府自政府。黌舍自黌舍。治敎不一。學問政事岐而爲二。大道之不明職是之由。我公有見於此。旣設至善堂。以爲燕息之所。又擢一時宿學補小姓頭。兼敎授提擧。以爲貴遊子弟及左右近臣之師。而猶恐政敎之或岐。乃設執政及參政者之府於其傍。凡學校之職自敎授助敎訓導以至一藝一技之師。各得陳意見於有司。若其正歲歲終及比校文武。公親臨之。群有司及諸隊之長亦悉從焉。審其勤惰察其能否而黜陟之。先是唯宗廟之祭爲國之大事。至是學校之政。又爲一大典。初公之補小性頭。有或議曰。故事小性頭。執謁於幕府。名望頗重。往往爲巨室初途。非書生所可輒任。請唯授其資格。勿補其職。公曰。任其實以率其巨室子弟。猶恐敎之不行。若徒授其名。是旣分治敎也。不可。又有議就執政中選一人以統學政者。公曰。豈有執政而不關文武者乎。又不可。此公建學之大端也。抑臣竊有所感焉。案大寶之令。古者大學之寮。其規摸法制蓋備矣。及其衰則人視爲坎壈之府凍餒之鄕。是三善淸行之所以慨嘆。且夫方今學校之設。無邦無之。其始也亦孰不欲一其治敎。以陶冶人材。而其終也委靡衰弊非文具。然則鞠爲茂草。然則使斯館永坎壈凍餒之累不負弘道之名者。實後嗣君及諸執事之所可深任。而亦唯在治敎何如耳。嗚呼可不戒哉。
新字:臣彪謹案。治之与教其致維一。亦猶忠孝文武之不可偏廃也。逸書曰。天降下民作之君作之師。易之為書。継乾坤以屯蒙。屯利建侯君道起焉。蒙以養正師道立焉。周官冢宰掌邦治。而司徒掌邦教。其他聖経賢伝之旨。未嘗不重治教焉。夫民之為道。佚居無教則近禽獣。故聖人之於民。謹庠序之教。申之以孝弟之義。其服教也。三物賓興之賞従之。其不服教也。圜土苦使之法。不弟之刑又従之。蓋其被刑辟者。必不可教之民耳。民之秉彝好是懿徳。則所謂刑措不用者。果非誣美也。後世之於民。不謹其教。不申其義。及陥於罪。従而刑之。所謂罔民者皆是。而亦何怪乎其免而無恥焉。其曰国学曰郷校。亦唯委諸先生祭酒。時君宰執未必臨之。政府自政府。黌舎自黌舎。治教不一。学問政事岐而為二。大道之不明職是之由。我公有見於此。既設至善堂。以為燕息之所。又擢一時宿学補小姓頭。兼教授提挙。以為貴遊子弟及左右近臣之師。而猶恐政教之或岐。乃設執政及参政者之府於其傍。凡学校之職自教授助教訓導以至一芸一技之師。各得陳意見於有司。若其正歳歳終及比校文武。公親臨之。群有司及諸隊之長亦悉従焉。審其勤惰察其能否而黜陟之。先是唯宗廟之祭為国之大事。至是学校之政。又為一大典。初公之補小性頭。有或議曰。故事小性頭。執謁於幕府。名望頗重。往往為巨室初途。非書生所可輒任。請唯授其資格。勿補其職。公曰。任其実以率其巨室子弟。猶恐教之不行。若徒授其名。是既分治教也。不可。又有議就執政中選一人以統学政者。公曰。豈有執政而不関文武者乎。又不可。此公建学之大端也。抑臣窃有所感焉。案大宝之令。古者大学之寮。其規摸法制蓋備矣。及其衰則人視為坎壈之府凍餒之郷。是三善清行之所以慨嘆。且夫方今学校之設。無邦無之。其始也亦孰不欲一其治教。以陶冶人材。而其終也委靡衰弊非文具。然則鞠為茂草。然則使斯館永坎壈凍餒之累不負弘道之名者。実後嗣君及諸執事之所可深任。而亦唯在治教何如耳。嗚呼可不戒哉。
書き下し
臣彪謹んで案ずるに、治と教との其の致は維れ一なり。亦猶ほ忠孝文武の偏廃すべからざるがごとし。逸書に曰く、天、下民を降し、之が君を作り之が師を作ると。易の書たる、乾坤を継ぐに屯蒙を以てす。屯は侯を建つるに利あり、君道起こる。蒙は以て正を養ひ、師道立つ。周官は冢宰は邦治を掌り、司徒は邦教を掌る。其の他聖経賢伝の旨、未だ嘗て治教を重んぜずんばあらず。夫れ民の道たる、佚居して教へ無ければ則ち禽獣に近し。故に聖人の民に於けるや、庠序の教へを謹み、之を申ぬるに孝弟の義を以てす。其の教へに服すれば、三物賓興の賞之に従ひ、其の教へに服せざれば、圜土苦使の法、不弟の刑又之に従ふ。蓋し其の刑辟を被る者は、必ず教ふべからざるの民のみ。民の彝を秉りて是の懿徳を好めば、則ち所謂刑措きて用ひずとは、果たして美を誣ふるに非ず。後世の民に於けるや、其の教へを謹まず、其の義を申ねず、罪に陥るに及びて、従ひて之を刑す。所謂民を罔する者は皆是なり。而して亦何ぞ其の免れて恥づる無きを怪しまんや。其の国学と曰ひ郷校と曰ふも、亦唯先生祭酒に委ぬるのみ。時君宰執は未だ必ずしも之に臨まず。政府は自ら政府、黌舎は自ら黌舎、治教一ならず、学問政事岐れて二と為る。大道の明らかならざる職として是に由る。我が公此に見る有り、既に至善堂を設けて以て燕息の所と為し、又一時の宿学を擢きて小姓頭に補し、教授提挙を兼ねしめ、以て貴遊の子弟及び左右近臣の師と為す。而るに猶ほ政教の或いは岐れんことを恐れ、乃ち執政及び参政者の府を其の傍に設く。凡そ学校の職、教授助教訓導より以て一芸一技の師に至るまで、各意見を有司に陳ぶるを得。若し其の正歳歳終及び文武を比校するには、公親ら之に臨み、群有司及び諸隊の長も亦悉く従ふ。其の勤惰を審らかにし其の能否を察して之を黜陟す。先に是れ唯宗廟の祭のみ国の大事たり。是に至りて学校の政も又一大典と為る。初め公の小姓頭に補するや、或る議に曰く、故事に小姓頭は幕府に執謁し、名望頗る重く、往往巨室の初途と為る。書生の輒く任ずべき所に非ず。請ふ唯其の資格を授け、其の職に補する勿れと。公曰く、其の実に任じて以て其の巨室の子弟を率ゐんとするも、猶ほ教への行はれざるを恐る。若し徒に其の名を授けば、是れ既に治教を分かつなり。不可なりと。又執政の中より一人を選びて以て学政を統べしめんと議する有り。公曰く、豈に執政にして文武に関はらざる者有らんや。又不可なりと。此れ公の建学の大端なり。抑も臣竊かに感ずる所有り。案ずるに大宝の令、古者大学の寮は、其の規摸法制蓋し備はれり。其の衰ふるに及びて、則ち人視て坎壈の府、凍餒の郷と為す。是れ三善清行の慨嘆せし所以なり。且つ夫れ方今学校の設け、邦として之無きは無し。其の始めや亦孰か其の治教を一にし、以て人材を陶冶せんと欲せざらん。而るに其の終はりや委靡衰弊して文具に非ざるは無し。鞠まりて茂草と為る。然らば則ち斯の館をして永く坎壈凍餒の累あらしめず弘道の名に負かざらしむるは、実に後嗣の君及び諸執事の深く任ずべき所、而して亦唯治教何如に在るのみ。嗚呼戒めざるべけんや。
現代語訳
臣の彪が謹んで考えます。治(政治)と教(教育)は、その行き着くところは一つです。ちょうど忠孝や文武のどちらかを欠いてはならないのと同じです。逸書(『書経』の逸文)に「天は下の民を降し、これのために君を立て、これのために師を立てた」とあります。『易経』は乾・坤の次に屯・蒙を置いています。屯は「諸侯を立てるのに利がある」とされ、君の道が起こります。蒙は「正しさを養う」とされ、師の道が立ちます。『周礼』では、冢宰が国の政治を司り、司徒が国の教育を司りました。そのほかの聖人の経典や賢者の伝承の趣旨も、治と教を重んじていないものはありません。 民の道としては、安逸に暮らして教えがなければ、禽獣に近くなります。そこで聖人は民に対して、庠序(地方の学校)の教えを慎み、孝弟の義を重ねて教えました。教えに服すれば、三物(六徳・六行・六芸)による賓興(人材登用)の賞がそれに従い、教えに服さなければ、圜土(牢獄)での苦役や、年長者に従わない者への刑がそれに続きました。刑罰を受ける者は、必ず教えることのできない民だけでした。民が常の道を守り、この美徳を好めば、「刑を置いて用いない」(刑措)という言葉は、決して美化の偽りではありません。後世の民への対し方は、教えを慎まず、義を重ねて説かず、罪に陥ってから刑を加えます。いわゆる民を網にかけるものはすべてそうで、免れて恥を知らないことを不思議に思うことがあるでしょうか。国学と言い郷校と言っても、ただ先生や祭酒(学長)に任せるだけで、時の君主や執政が必ずしも臨席しません。政府は政府、学舎は学舎で、治と教が一つでなく、学問と政治が二つに分かれました。大道が明らかでないのは、もっぱらこれが理由です。 わが公(斉昭)はこれをお考えになり、すでに至善堂を設けて休息の場とし、また当時の碩学を抜擢して小姓頭に任じて教授・提挙を兼ねさせ、身分の高い家の子弟や近臣の師としました。そして、なお政治と教育が分かれることを恐れ、執政と参政の役所をその傍らに設けました。学校の職は、教授・助教・訓導から、一芸一技の師に至るまで、それぞれ意見を役人に述べることができます。正月や年末、文武の比較試験(比校)には、公が自ら臨み、役人や諸隊の長もみなこれに従います。そして勤惰を調べ、能力の有無を見て、昇進や降格を行います。これまでは、宗廟の祭りだけが国の大事でしたが、ここに至って学校の政務もまた一つの大典となりました。 当初、公が小姓頭を補任したとき、ある者の議論がありました。「先例で小姓頭は幕府に拝謁し、名望も重く、しばしば名家の出世の第一歩になります。書生が簡単に任じられるものではありません。資格だけを与え、職には任じないでください」と。公は言いました。「実際に任じて、名家の子弟を率いさせても、なお教えが行われないことを恐れる。ただ名だけを授けるなら、それはすでに治と教を分けることになる。だめだ」と。また執政の中から一人を選んで学政を統べさせようという議論もありました。公は言いました。「執政で文武に関わらない者がいてよいはずがあろうか。これもだめだ」と。これが公の建学の大筋です。 さらに私はひそかに感じるところがあります。考えるに、大宝令の時代、古の大学寮は、その規模や法制が整っていました。その衰えるに及んで、人は大学寮を、不遇な者の府、飢え凍える者の郷と見なしました。これが三善清行が嘆いた理由です。また、今は学校の設置されない国はありません。その始まりのときは、誰もが治と教を一つにして人材を育てようとしたはずです。ところがその終わりには、衰え弊れて形だけのものにならないものはなく、荒れて草むらになりました。そうであれば、この館を永く不遇と飢寒の累いにせず、弘道の名に背かないようにすることは、後を継ぐ君主と諸役人が深く引き受けるべきことで、またそれもただ治と教をどう保つかにかかっています。ああ、戒めないでよいでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『講孟余話』萬章下 首章然れども是れ吾が徒小人の知行偏廃の弊を言ふのみ。其の実は知にして行を廃するは真の知に非ず、行にして知を廃するは実の行に非ず。故に知行二つにして一つ、而して先後亦相待ちて済すことあるなり。抑々伯夷・伊尹・柳下恵の力ありて巧を闕くと云ふ者は、浅近の論に非ず。孔子の巧力倶に全きを以て是に比して、初めて其の少しき闕あるを見るのみ。孔門の諸子、顔淵・閔子・冉牛の「体を具へて微なる」如き、巧にして力足らずと言ふべし。子夏・子游・子張の「一体を具ふる」如き、力ありて巧足らずと言ふべし。後の道を学ぶ者、孔子を以て宗とすれば、巧力倶に至り、知行兼ね進むべきは勿論なれども、前輩を論じ及び人材を育する如きは、妄りに是を以て衆人を律することなかれ。人各々能あり不能あり。
-
『春秋左氏伝』襄公三十年 王子必ず免れず裨灶之を指して曰く、「猶ほ以て歲を終ふべし。歲此の次に及ばざるのみ」と。其の亡ぶるに及びてや、歲は娵訾の口に在り。其の明年、乃ち降婁に及ぶ。僕展伯有に從ひ、之と皆死す。羽頡出でて晉に奔り、任の大夫と為る。雞澤の會に、鄭の樂成楚に奔り、遂に晉に適く。羽頡之に因り、之と比して趙文子に事へ、鄭を伐つの說を言ふ。宋の盟の故を以て、可かず。子皮公孫鉏を以て馬師と為す。楚の公子圍大司馬蒍掩を殺して其の室を取る。申無宇曰く、「王子必ず免れざらん。善人は國の主なり。王子楚國に相として、將に善を是れ封(つちか)ふべし。殖して之を虐ぐるは、是れ國に禍するなり。且つ司馬は令尹の偏にして、王の四體なり。民の主を絕ち、身の偏を去り、王の體を艾りて、以て其の國に禍す。不祥焉より大なるは無し。何を以てか免るるを得ん」と。宋の災の為の故に、諸侯の大夫會し、以て宋の財を歸さんことを謀る。
-
『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事地かたには吟味役と云ふものありて将のやうなる者なれとも助なし、頭大勢なり、町奉行は助も允も尽く内与力と云ふものを家来に拵へて取捌かすること宜しからさることなり、寺社奉行は全く家来はかりを使ふ故、役替れは皆新規になりてものになれす、御奏者は家来を殿中へ呼ひてをし合なと云ふやう成ることをさするたくひ宜しからさることなり、御老中には若老中すけのやうなるものにて祐筆の組頭なそさんにもあたるへけれとも、しやうのやうなるものなくてこと足らす、若老中にも亦御旗本の支配をする所勤め各別なり、御老中若老中寺社奉行なとは大名にて家来を召しつかふて用ひ定る様なれとも、公儀の御用に家来をなれさすること詮なし、あたら御旗本を箇様のことに召し仕はれす候故、御旗本の者共に才智つかす、特に大名はものことに下の情に疎きものなり、学ても平人のことく得せぬものなり、されとも此等の御役は皆禄の相応有りて仰せ付けらるゝことなれは平人に仰せ付けられかたし、何れも御旗本の学問も有り才智あるものを、その下役にして使ひ立ては夫より外の役に仰せ付けらるゝにも事もなれ、又才智のほとも知れて宜かるへし、兎角に何の役にも頭役添役下役留役と云ふものを拵へ置かは諸事の為め宜かるへきなり、
-
『驢鞍橋』卷上其夜半に左右の者に向て曰、此寺の宗元は如何程志付きたるや心元なし。かいもく無道心の者はせんず様なし。少しなりとも志有る者には、無理にも仏法すり付けたく思ふ也。中々胸の中に入つてなりとも起させたく思ふ也。
-
『武家家訓集』朝倉敏景十七箇条「第五条」一、京都四座の猿樂等を切々呼び下し、見物を好まるまじく候。其の價を以て、國の猿樂の内、器用ならん者を上げ、仕舞をも習はせられ候はば、末々まで嘉樂たるべき事、
-
葉隠・聞書第一御家中(ごかちゅう)、よき御被官(ごひかん)出来候様(できそうろうよう)に、人を仕立(した)て候事(そうろうこと)忠節なり。我が持分(もちぶん)を人を以て御用に立つるは本望(ほんもう)の事なり。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る