退食閑話 / 邪教の禁と実の事
他國には一向專念の徒横行して、加越歴世の邦君も是が爲に滅亡す、長島石山等の一揆には、織田殿の英明なるすら大に手を摧き、土呂針崎の亂には、參河武士の忠義の名を天下に得るすら、君父に對して弓矢を執り、西洋の邪徒來りしに及むてば、詭術を以て民心を迷し、 神明の邦を變じて狄夷の屬とせんことを謀る、然るに、織田殿山門以下諸國の惡僧を討ち平げ、西洋の姦謀を覺り、邪徒をも卻げんとす、豐臣家邪徒を海外に逐ひ退け、 東照宮に至りては邪徒の禁いよ〱嚴にして、其後寛永の時に至りて盡く是を殄滅して、遂に其根柢を絶給ふ、此段外夷も傳聞て曰、日本人有三眼とて、震ひ恐れしとなり、是又神明の敎正しく、人倫の道は天地の間に廢すべからざる自然の大道なるによりて、再び正しき道に反り、夷狄も卒服すべき道理にあらずや、然れば、 寳祚の無窮、國體の尊嚴、蒼生の安寧、戎狄の卒服、何れも空言にあらず、其實事これありしなり、
新字:他国には一向専念の徒横行して、加越歴世の邦君も是が為に滅亡す、長島石山等の一揆には、織田殿の英明なるすら大に手を摧き、土呂針崎の乱には、参河武士の忠義の名を天下に得るすら、君父に対して弓矢を執り、西洋の邪徒来りしに及むてば、詭術を以て民心を迷し、 神明の邦を変じて狄夷の属とせんことを謀る、然るに、織田殿山門以下諸国の悪僧を討ち平げ、西洋の姦謀を覚り、邪徒をも却げんとす、豊臣家邪徒を海外に逐ひ退け、 東照宮に至りては邪徒の禁いよ〱厳にして、其後寛永の時に至りて尽く是を殄滅して、遂に其根柢を絶給ふ、此段外夷も伝聞て曰、日本人有三眼とて、震ひ恐れしとなり、是又神明の教正しく、人倫の道は天地の間に廃すべからざる自然の大道なるによりて、再び正しき道に反り、夷狄も卒服すべき道理にあらずや、然れば、 宝祚の無窮、国体の尊厳、蒼生の安寧、戎狄の卒服、何れも空言にあらず、其実事これありしなり、
書き下し
他國には一向專念の徒横行して、加越歴世の邦君も是が爲に滅亡す、長島石山等の一揆には、織田殿の英明なるすら大に手を摧き、土呂針崎の亂には、參河武士の忠義の名を天下に得るすら、君父に對して弓矢を執り、西洋の邪徒來りしに及むてば、詭術を以て民心を迷し、 神明の邦を變じて狄夷の屬とせんことを謀る、然るに、織田殿山門以下諸國の惡僧を討ち平げ、西洋の姦謀を覺り、邪徒をも卻げんとす、豐臣家邪徒を海外に逐ひ退け、 東照宮に至りては邪徒の禁いよ〱嚴にして、其後寛永の時に至りて盡く是を殄滅して、遂に其根柢を絶給ふ、此段外夷も傳聞て曰、日本人は三眼有りとて、震ひ恐れしとなり、是又神明の敎正しく、人倫の道は天地の間に廢すべからざる自然の大道なるによりて、再び正しき道に反り、夷狄も卒服すべき道理にあらずや、然れば、 寳祚の無窮、國體の尊嚴、蒼生の安寧、戎狄の卒服、何れも空言にあらず、其實事これありしなり、
現代語訳
他の国では一向専念の徒が横行し、加賀・越中の歴代の藩主もそのために滅亡しました。長島・石山などの一揆には、織田殿のような英明な方でさえ大いに手を焼き、土呂・針崎の乱では、三河武士という忠義の名を天下に得た者たちでさえ、主君・父に弓矢を向けました。西洋の邪教の徒が来るに及んでは、偽りの術で民心を惑わし、神明の邦を変えて夷狄の属国にしようと謀りました。しかし織田殿は比叡山以下諸国の悪僧を討ち平らげ、西洋の奸謀を察して邪徒を退けようとしました。豊臣家は邪徒を海外に追い払い、東照宮に至っては邪徒の禁をいよいよ厳しくし、その後寛永の頃にことごとく滅ぼして、ついにその根を絶たれました。このことは外国人も伝え聞いて、「日本人は三つの目を持つ」と言って震え恐れたということです。これもまた神明の教えが正しく、人倫の道は天地の間に廃してはならない自然の大道であるため、再び正しい道に返り、夷狄も従うべき道理ではありませんか。そうであれば、宝祚の無窮、国体の尊厳、蒼生の安寧、戎狄の卒服は、いずれも空言ではなく、実際の事実があったのです。
解説
この章句が説くこと
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『新論』虜情豊臣氏に至りて、胡僧及び愚民の夷教に汚るる者を駆りて、尽く諸を海外に出だす。東照宮興りて、禁を設くること殊に厳なり。故に伊斯把・諳厄利諸蕃の相踵いで至る有りと雖も、卒に夷教を以て入ること能はず(東照宮嘗て西宗真なる者を西洋に遣はし、三年にして還る。台徳公も亦揖斐某を遣はして西洋に至らしめ、七年にして還る。皆虜情を探偵する所以にして、蓋し此に由りて審らかに異言を識ると云ふ。痛く之を禁絶する所以なり。大猷公も亦嘗て訳官を遣はして天竺に往き、精舎を視しむ。疑ふらくは亦深意有らん)。寛永の初め、令を下して胡神の像を鋳、愚民の過ちを悔いて正に帰する者をして足もて之を踏ましむ。外夷も亦自ら脱するを得ざるを度り、長崎を望みて股栗す。清人の或いは胡神の堂を毀たんと欲するも、亦之を引きて以て言を為す(西湖志・台湾志等の載する所、大約此くの如し)。国家の興隆には天も亦之を保佑す。故に時に島原の賊起こりて、天下の邪徒を一城に聚め、一掃して之を殲す。余燼再び燃ゆることを得ざるは、実に此に由るなり。
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『退食閑話』・武備を忘れぬ攘夷東照宮に至つては益朝廷を尊び、永世にても大禮行はれ、其後義公の撰述せられし禮義類典を進獻ありしより、禮義全備して 幕府よりも其料を調進ありしかば、曠代の廢典全く再興して、御代ごとに行はるゝ事とはなりしよし承る、是等の事皆尊 王の義と申奉るべきなり、又治世に亂を忘れ給はず、常に子弟に訓戒し給ふにも、日本太平にして武道怠る時は、異國より日本を伺ふ故、異國亂るゝと聞ば、武道の達人を撰むて是を押へさせよ、日本の中の軍は勝負ともに其一家計りの盛衰なり、外國の爭は負たる時は、日本國の恥辱なりと、深く戒め給ふに依りて、西洋の邪徒、 神州を伺ふ事も深く察し給ひしうへ、其禁を甚嚴になし給ふ、 台德大猷二公も御志を繼せられ、寛永の年までに盡く誅戮ありて、永世の禍根を絶給ふて、 國家の武威の外國に震ひしは、是皆攘夷の義と稱し奉るべきなり、
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『退食閑話』・戎狄の卒服と邪教の害皇太神を祭りし祝詞に、遠國は八十綱打かけて引寄るがごとくとあるが如し、素盞烏尊新羅に渡り給ひ、 崇神天皇の御宇、任那の人歸化し、また神功皇后三韓を征伐し給ひてより西蕃服從し、景行天皇日本武尊をして蝦夷を征伐せられてより、 桓武平城嵯峨の御時に至りては、坂上田村麿文室綿麿等の名將を得て、終に蝦夷を海外に逐退けて、東地靜寧なり、中にも 成明天皇の御宇には肅愼までも征伐して、威を遐方に震ひ給へり、其後女眞蒙古等の冠亂ありしも、深患をなす事あたはず、豐太閤は朝鮮を伐て威を海外にふるはれたり、さて又夷狄の道を以て、 神明の敎を害する事も、天竺の道神州に行はれてより民心始て純一ならず、又西土奢麗の風、 神明の邦に移りて堂塔を作り、田園を寄附し、これが爲に天下正稅の半を絶すと、古人もいひしが如く、終に四海困窮せり、延暦興福園城寺等の僧徒强訴して、やゝもすれば 天闕を犯し、
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『退食閑話』・安寧と大乱の歴史かゝるめでたきためしも、其本は天地の始よりして、君臣父子の大倫正しくして、人情風氣厚きによりて、かくのごとく萬國に勝れたるなれば、國體も是によりて尊さに非ずや、且蒼生の安寧なるも、古は異端邪說といふ事もなし、古言に、唯神とは前にいへるが如く、神明の敎のまゝにして、君臣父子の大倫亂れざりしかば、異域に、五胡十六國などいへるが如き大亂は曾てなかりしなり、されども、一治一亂は天下の常なれば、太平久しくして縉紳宴安に溺れ、神聖の敎衰へて君臣父子の道正しからず、保元平治の亂ありて、 朝威衰へ、壽永、承久、元弘、建武等の亂ありて、四海鼎沸す、是によりて戰鬪暫くも止ず、 東照宮禍亂を平げ給ひしより民始て干戈を免れ、其父母妻子を養ひ、安穩に身を終る事を得たり、 神明の敎正しく、君臣父子の大倫斷滅せざるによりて、天下の亂も遂に正しきになりて、蒼生も安寧なるに非ずや、夷狄の卒服する事も、
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『弘道館記述義』・尊王攘夷・外患を防ぎ、名分を正す徳川の遺訓既にして又大いに皇居を脩め規制を増広す。又嘗て伶官を招聚して以て雅楽を復す。朝廷其の功を嘉し、嘗て擬するに相国を以てするも敢へて当らず。賜ふに菊桐の御章を以てするも敢へて受けず。其の恭敬抑損、皇室を翼戴する者、蓋し此くの如し。戦国搶擾の間、外夷覬覦し、我が政教の廃弛に乗じ、乃ち敢へて其の妖教を布く。豊臣氏嘗て之を禁ず。東照宮に至りて、更に大いに憲令を設け、悉く天下を捜索し、悉く其の寺を毀ち、其の徒を戮す。後嗣継述して懈らず。是に於て外夷の防ぎ、妖教の禁は、永く憲法第一義と為る。其の果決明断、夷狄を攘除する者、蓋し又此くの如し。今恭しく其の遺訓を観るに、仁政武備の要に於て、尤も深く戒めを垂る。其の内憂を慮り外患を防ぐ所以の者、一にして足らず。詩に曰く、戎狄は是れ膺ち、荊舒は是れ懲らすと。孟軻之を広げて曰く、父なく君なきは周公の膺つ所なりと。春秋に曰く、元年春王の正月と。左丘明伝して曰く、元年春王の周の正月と。今皇朝衰ふと雖も、其の尊厳は固より東周の比に非ず。然れども履霜の漸、聖人之を戒む。則ち春秋の義は講ぜざるべからず。外夷妖教の毒は、啻だに戎狄荊舒のみならず。則ち膺懲の典尤も明らかにせざるべからず。而るに無識の徒、或いは幕府を指して朝廷と曰ひ、甚だしきは則ち王と称す。近時又蘭学者流有り。(世の西洋学を脩むるは、天文医術の徒に非ざれば則ち訳者舌人の流なり。大抵皆無識にして国体に達せず、此を舎てて彼に従ひ、天を襃めて神を慢る。其の害言ふに勝ふべからず。臣別に論著する所有らんと欲す。故に具さには論ぜず。)或いは唱説して曰く、西洋の教法は其の流一に非ず、今彼の奉ずる所は国家の禁ずる所と同じからず、と。嗚呼是れ惟に皇家の罪人のみならず、亦幕府の罪人なり。抑も亦周孔の罪人なり。
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『新論』虜情是の時に当たりてや、西夷の妖教を唱ふること甚だ力む。那勿蠟は則ち其の王を以て自ら入り、波羅泥は則ち王の姪を以て入る。入れば輙ち皆戮に就く。是に於いてか夷輩胆落ち、相告げて曰く、日本人に三眼有りと。国威の海外に震ふ、亦快と称するに足る(明人戊寅の歳を以て是の事を書に筆す、実に寛永十五年なり。本注に云ふ、再び日本に到りて教を開き、其の両殺を被る、故に云ふと。今按ずるに、此れ那勿蠟・波羅泥を指すに似たり。而して那勿蠟王の寛永丙子を以て戮に就く者は、其の年暦正に戊寅の前二年に当たる。波羅泥王姪の戮に就くが如きは、則ち己卯の年の事にして、戊寅に後るること一年、疑ふらくは一誤有らん。又按ずるに、島原の賊の誅に伏するも、亦戊寅の年に在り。是れ亦虜の胆を寒からしむるに足る。而るに明人の言ふ所、島原の事に及ばざる者は、蓋し西夷既に知りて之を畏るるも、適々明人未だ聞かざるなり)。

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