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駿台雑話 / 歲寒知松柏一

座中ひとり、宋の文天祥、謝枋得が事をいひて嘆美するに、又ひとり明の方孝孺が事をいひ出て、孝孺成祖に對して始終少しも屈せず、あくまで成祖を罵て口をさかれ、まのあたり赤族せらるゝを見て悔ざりし、古今義烈の士といふべしといふを、翁聞て、文山が衣帶にのこれる贊、疊山が却聘の書を見給へ、二子の心事明白なる事を知るべし、文山が元の搏羅と問答するを見るに、其氣象凛々として犯すべからず、しかも其從容たる事は、方孝孺等が忼慨して就死にもまさりて殊勝とぞ覺へ侍る、但文山は宋の亟相にて、もとより國と休戚を同うする身なり、疊山は宗の臣たりといへど、顯仕にも登らず國事に預る程の身にもあらねば、宋亡びて、元に仕へずして、隱れ居ても、さてやみなん、然るに八十歲におよべる老母ある故に、しばらくながらへてありしが、後に元人の聘を却けて、つひに食を絶て死しけり、其淸節文山と抗衡すべし、趙子昂留夢炎等之を以て、恬然として元に仕へしこそ、いかで羞惡の心を失ひけるにや、無恥の甚しきものなり、さて明朝靖難の亂に、殉國の諸臣、その勇壯義烈いづれも孝孺におとるべからず、古今義氣の集るところとや申べき、

新字:座中ひとり、宋の文天祥、謝枋得が事をいひて嘆美するに、又ひとり明の方孝孺が事をいひ出て、孝孺成祖に対して始終少しも屈せず、あくまで成祖を罵て口をさかれ、まのあたり赤族せらるゝを見て悔ざりし、古今義烈の士といふべしといふを、翁聞て、文山が衣帯にのこれる賛、畳山が却聘の書を見給へ、二子の心事明白なる事を知るべし、文山が元の搏羅と問答するを見るに、其気象凛々として犯すべからず、しかも其従容たる事は、方孝孺等が忼慨して就死にもまさりて殊勝とぞ覚へ侍る、但文山は宋の亟相にて、もとより国と休戚を同うする身なり、畳山は宗の臣たりといへど、顕仕にも登らず国事に預る程の身にもあらねば、宋亡びて、元に仕へずして、隠れ居ても、さてやみなん、然るに八十歳におよべる老母ある故に、しばらくながらへてありしが、後に元人の聘を却けて、つひに食を絶て死しけり、其清節文山と抗衡すべし、趙子昂留夢炎等之を以て、恬然として元に仕へしこそ、いかで羞悪の心を失ひけるにや、無恥の甚しきものなり、さて明朝靖難の乱に、殉国の諸臣、その勇壮義烈いづれも孝孺におとるべからず、古今義気の集るところとや申べき、

書き下し

座中ひとり、宋の文天祥、謝枋得が事をいひて嘆美するに、又ひとり明の方孝孺が事をいひ出て、孝孺成祖に對して始終少しも屈せず、あくまで成祖を罵て口をさかれ、まのあたり赤族せらるゝを見て悔ざりし、古今義烈の士といふべしといふを、翁聞て、文山が衣帶にのこれる贊、疊山が却聘の書を見給へ、二子の心事明白なる事を知るべし、文山が元の搏羅と問答するを見るに、其氣象凛々として犯すべからず、しかも其從容たる事は、方孝孺等が忼慨して就死にもまさりて殊勝とぞ覺へ侍る、但文山は宋の亟相にて、もとより國と休戚を同うする身なり、疊山は宗の臣たりといへど、顯仕にも登らず國事に預る程の身にもあらねば、宋亡びて、元に仕へずして、隱れ居ても、さてやみなん、然るに八十歲におよべる老母ある故に、しばらくながらへてありしが、後に元人の聘を却けて、つひに食を絶て死しけり、其淸節文山と抗衡すべし、趙子昂留夢炎等之を以て、恬然として元に仕へしこそ、いかで羞惡の心を失ひけるにや、無恥の甚しきものなり、さて明朝靖難の亂に、殉國の諸臣、その勇壯義烈いづれも孝孺におとるべからず、古今義氣の集るところとや申べき、

現代語訳

座中の一人が、宋の文天祥や謝枋得のことを言って称えると、もう一人が、明の方孝孺のことを言い出しました。孝孺は成祖に対して、終始少しも屈せず、あくまで成祖を罵って口を裂かれ、目の前で一族が皆殺しにされるのを見ても悔いませんでした。古今の義烈の士と言うべきです、と言うのを、私は聞いて言いました。文山(文天祥)が衣帯に残した賛や、畳山(謝枋得)が元の招きを断った書を見てごらんなさい。二人の心の内が明白であることが知れるでしょう。文山が元の搏羅と問答するのを見ると、その気象は凛々として犯すべからず、しかもその落ち着いていることは、方孝孺たちが憤り嘆いて死に就いたのにもまさって、殊勝に思われます。ただし文山は、宋の丞相であって、もとより国と休戚をともにする身でした。畳山は、宋の臣であったとはいえ、顕職にも登らず、国事にあずかるほどの身でもありませんでしたから、宋が滅びて、元に仕えずに隠れ住んでいても、それで終わったでしょう。しかし、八十歳に及ぶ老母がいたので、しばらく生きながらえていましたが、のちに元人の招きを断って、ついに食を絶って死にました。その清節は、文山と並び立つべきものです。趙子昂や留夢炎らが、これと違って平然として元に仕えたのは、どうして羞じ憎む心を失ったのでしょうか。無恥の甚だしいものです。さて、明朝の靖難の乱で殉国した諸臣は、その勇壮義烈において、みな孝孺に劣るものではありません。古今の義気の集まるところと申してよいでしょう。

解説

歳寒知松柏の冒頭です。座中の一人が方孝孺の殉死を称えたのに対し、翁は文天祥と謝枋得の態度のほうが従容として殊勝だと述べます。文天祥は宋の丞相として国と休戚を共にする身で、謝枋得は顕職に就かず、老母のために生き長らえたのちに元の聘を断り、食を絶って死んだと語ります。趙子昂や留夢炎が平然と元に仕えたことを、羞悪の心を失ったものと批判します。靖難の殉国の諸臣も孝孺に劣らないと付け加えます。立場や事情によって取るべき振る舞いは違っても、恥を知る心は共通だと翁は見ます。現代の組織でも、結果だけでなく立場を踏まえて人を見る視点を与えてくれます。

この章句が説くこと

文天祥謝枋得方孝孺節義従容駿台雑話

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