慎思録 / 巻之一
凡接人倫之道。以愛敬爲心。愛敬始乎事親。豈啻施於父母而已哉。愛則不敢惡於人。擴之則至于博施濟衆。仁之行也。敬則不敢慢於人。擴之則至不敢侮於鰥寡。禮之行也。接人之道。盡于此而已矣。二者。皆日用彝倫之間所可常行。而不可須臾離之道也。然愛敬以信爲本。苟無信。則雖容貌恭謹。言語姁姁。亦不足以爲愛敬而已。
新字:凡接人倫之道。以愛敬為心。愛敬始乎事親。豈啻施於父母而已哉。愛則不敢悪於人。擴之則至于博施済衆。仁之行也。敬則不敢慢於人。擴之則至不敢侮於鰥寡。礼之行也。接人之道。尽于此而已矣。二者。皆日用彝倫之間所可常行。而不可須臾離之道也。然愛敬以信為本。苟無信。則雖容貌恭謹。言語姁姁。亦不足以為愛敬而已。
書き下し
凡そ人倫に接するの道は、愛敬を以て心と為す。愛敬は親に事ふるに始まる。豈に啻だ父母に施すのみならんや。愛すれば則ち敢へて人を悪まず。之を拡むれば則ち博く施して衆を済ふに至る。仁の行なり。敬すれば則ち敢へて人を慢らず。之を拡むれば則ち敢へて鰥寡を侮らざるに至る。礼の行なり。人に接するの道は、此に尽くるのみ。二者は、皆日用彝倫の間に常に行ふべくして、須臾も離るべからざるの道なり。然れども愛敬は信を以て本と為す。苟も信無くんば、則ち容貌恭謹、言語姁姁たりと雖も、亦以て愛敬と為すに足らざるのみ。
現代語訳
人と人との関係に接する道は、愛と敬を心とすることです。愛と敬は親に仕えることから始まりますが、どうして父母にだけ施すものでしょうか。愛すれば人を憎むことはありません。これを広げれば、広く施して多くの人を救うことに至ります。これが仁の行いです。敬えば人を侮ることはありません。これを広げれば、身寄りのない人をも侮らないことに至ります。これが礼の行いです。人に接する道は、これに尽きます。この二つは、どちらも日々の人倫の中で常に行うべきもので、片時も離れてはならない道です。しかし愛と敬は信を根本とします。もし信がなければ、容貌が恭しく慎み深く、言葉が和やかであっても、愛敬とするには足りません。
解説
この章句が説くこと
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