素書 / 『素書』功を立て終りを保つ
親仁友直、所以扶顛;近恕篤行、所以接人;任材使能、所以濟務;癉惡斥讒、所以止亂;推古驗今、所以不惑;先揆后度、所以應卒;設變致權、所以解結;括囊順會、所以無咎;橛橛梗梗、所以立功;孜孜淑淑、所以保終。右第三章、言志不可以妄求。
新字:親仁友直、所以扶顛;近恕篤行、所以接人;任材使能、所以済務;癉悪斥讒、所以止乱;推古験今、所以不惑;先揆后度、所以応卒;設変致権、所以解結;括嚢順会、所以無咎;橛橛梗梗、所以立功;孜孜淑淑、所以保終。右第三章、言志不可以妄求。
書き下し
仁に親しみ直を友とするは、顛れるを扶くる所以なり。恕に近づき行いを篤くするは、人に接する所以なり。材に任じ能を使うは、務めを済す所以なり。悪を癉み讒を斥くるは、乱を止むる所以なり。古を推し今を験するは、惑わざる所以なり。先に揆り后に度るは、卒に応ずる所以なり。変を設け権を致すは、結ぼれを解く所以なり。囊を括り会に順うは、咎無き所以なり。橛橛梗梗は、功を立つる所以なり。孜孜淑淑は、終りを保つ所以なり。右第三章、志は以て妄りに求む可からざるを言う。
現代語訳
仁のある人に親しみ、正直な人を友とするのは、傾いたときに支えてもらうためです。思いやりに近づき、行いを篤くするのは、人と接するためです。人の才能に任せ力を活かすのは、務めを成し遂げるためです。悪を憎み、そしる者を退けるのは、乱れを止めるためです。古を推し量り今に照らして確かめるのは、惑わないためです。先に見積もり後で測るのは、突然の事態に応じるためです。変化に備え臨機応変に動くのは、行き詰まりを解くためです。口を閉じて時に従うのは、咎めを受けないためです。ひたむきで真っ直ぐであるのは、功を立てるためです。たゆまず善良であるのは、終わりを全うするためです。以上が第三章で、志は軽々しく求めてはならないという意味です。
解説

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