酔古堂剣掃 / 集醒・秋風の耳を過ぐると作す
鑠金玷玉,從來不乏乎讒人;洗垢索瘢,尤好求多於佳士。止作秋風過耳,何妨尺霧障天。
新字:鑠金玷玉,従来不乏乎讒人;洗垢索瘢,尤好求多於佳士。止作秋風過耳,何妨尺霧障天。
書き下し
金を鑠かし玉を玷すは、從來讒人に乏しからず。 垢を洗ひて瘢を索むるは、尤も多きを佳士に求むるを好む。 止だ秋風の耳を過ぐると作さば、何ぞ尺霧の天を障ふるを妨げん。
現代語訳
金をも溶かし、玉にも傷をつけるような中傷をする者は、昔から尽きることがありません。垢を洗い落としてまで傷跡を探すような者は、とりわけ立派な人に多くを求めて粗探しをしたがります。ただ秋風が耳元を吹き過ぎるものと聞き流していれば、わずか一尺の霧が天を覆ったところで、何の差し支えがあるでしょうか。
解説
中傷や粗探しへの向き合い方を説いた一則です。鑠金は「衆口金を鑠かす」の語によるもので、大勢の悪口は金をも溶かすほどの力を持つことを言います。洗垢索瘢は、垢を洗い流してまで傷跡を探すことで、わざわざ人の欠点を探し出す粗探しのたとえです。すぐれた人ほど目立つため、こうした攻撃の的になりやすいと著者は見ています。そのうえで、秋風が耳を過ぎるように聞き流せばよいと勧めます。一尺ほどの霧が天を覆っても、空そのものは少しも損なわれないからです。心ない批判に心を乱されそうなとき、それが一尺の霧にすぎないかを見極めたいものです。
この章句が説くこと
讒言中傷忍処世平常心
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