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徂徠先生答問書 / 卷下

其上事物當行の理といふ詞は、廣く何事へも用ひらるゝ語に候。茶湯立花和歌筆道劍術、或は小笠原の立廻りにも、上下の着なし、大小の指樣にも、是はかくあるべき筈、それは左あるべき筈と申、能程位のかねあひはある物に候。是皆聖人の道にてあるべく候や。事は替りても理は同じ事と料簡して、右の樣なる類迄を聖人の道と見申候半は、誠に杜撰の甚敷と云つべし。愚老抔が心は、只深く聖人を信じて、たとひかく有間敷事と我心には思ふとも、聖人の道なれば定めて惡敷事にてはあるまじと思ひ取りて、是を行ふにて候。行ひ熟して後は、習與性成、習慣如天性候故、坦路を行ごとくに成候事に候。

新字:其上事物当行の理といふ詞は、広く何事へも用ひらるゝ語に候。茶湯立花和歌筆道剣術、或は小笠原の立廻りにも、上下の着なし、大小の指様にも、是はかくあるべき筈、それは左あるべき筈と申、能程位のかねあひはある物に候。是皆聖人の道にてあるべく候や。事は替りても理は同じ事と料簡して、右の様なる類迄を聖人の道と見申候半は、誠に杜撰の甚敷と云つべし。愚老抔が心は、只深く聖人を信じて、たとひかく有間敷事と我心には思ふとも、聖人の道なれば定めて悪敷事にてはあるまじと思ひ取りて、是を行ふにて候。行ひ熟して後は、習与性成、習慣如天性候故、坦路を行ごとくに成候事に候。

書き下し

其上事物当行の理といふ詞は、広く何事へも用ひらるゝ語に候。茶湯立花和歌筆道剣術、或は小笠原の立廻りにも、上下の着なし、大小の指様にも、是はかくあるべき筈、それは左あるべき筈と申、能程位のかねあひはある物に候。是皆聖人の道にてあるべく候や。事は替りても理は同じ事と料簡して、右の様なる類迄を聖人の道と見申候半は、誠に杜撰の甚敷と云つべし。愚老抔が心は、只深く聖人を信じて、たとひかく有間敷事と我心には思ふとも、聖人の道なれば定めて悪敷事にてはあるまじと思ひ取りて、是を行ふにて候。行ひ熟して後は、習与性成、習慣如天性候故、坦路を行ごとくに成候事に候。

現代語訳

そのうえ「事物当行の理」という言葉は、どんな事にも広く当てはまる語です。茶の湯、立花、和歌、書道、剣術、あるいは小笠原流の立ち居振る舞いにも、裃の着こなし、大小の刀の差し方にも、これはこうあるべきはず、それはそうあるべきはずと言い、ちょうどよい程合いの基準というものはあります。これらがみな聖人の道だというのでしょうか。事は違っても理は同じだと考えて、右のような類まで聖人の道と見るのは、まことにずさんの極みと言うべきです。私などの心は、ただ深く聖人を信じて、たとえ自分の心ではこうあるべきではないと思っても、聖人の道であるなら、きっと悪いことではあるまいと受けとめて、これを行うのです。行いが熟したあとは、「習いは性と成る」「習慣は天性のごとし」で、平らな道を行くようになるものです。

解説

「当行の理」なら茶の湯や剣術、着物の着方にもある。それを全部聖人の道とするのはずさんだと徂徠は言う。道は個々の「あるべき筋」の寄せ集めではなく、先王が天下を治めるために建てた礼楽の体系だからである。そのうえで徂徠は、自分の心に合わなくても聖人を信じてまず行い、習熟すれば習いが天性のようになると語る。理解してから行うのではなく、行って身につける学びである。新しい職場の作法も、納得を待つより先に型として実践してみると、後から意味が見えてくることが多い。

この章句が説くこと

習慣信道聖人礼楽実践

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